掠め取ったキスに意味なんてなかった。
ただ、触れた唇がどうしようもなく熱くて
心の奥底まで、その熱が届いた気がした。
それからだ。
その熱に焦がれるようになったのは。
君を・・
どうしても忘れられなかった。
どうしても。
桜づもり
見上げれば、空は桜色に輝いていた。
春風が、俺たちの肌に触れたかと思えば
すぐさま離れて、虚空に消えるようだった。
季節は、めぐり巡って また新しい息吹と共に覚醒する。
知らぬ間に 新しい環境、新しい世界が
俺たちの未来に立ちはだかっていた。
ずっと一緒に居られると、どうして俺たち
思えたのだろう?
家族でもなければ、親戚でもない俺たちが
同じ時をいつまでも育むことなんて、
出来るわけがない。
その日。
君と過ごす最後の夜。
俺たちは 大人に内緒で二人、屋敷を抜け出した。
季節は春。
桜が満開な、この季節。
夜桜を見ようと 二人で手を繋いで
川沿いの夜道を延々と歩いた。
大きな桜の木が 丁度川を渡った向こう側に
ひっそりと佇んでいるのを 俺たちは知っていた。
だから。
最後の記念にと、
俺たちは二人だけで夜の花見を楽しむことにしたんだ。
「キラ・・・ほら、こっちだ。そこ滑るから気をつけて」
「あ、・・アスラン!待ってよぉ・・」
繋がっている手とは裏腹に、歩調はどんどんと差がついていく。
半ばキラはアスランに引っ張られる形で
強引に前へと進んで行くようだった。
川の緩やかな斜面に足を掻け、勢いよく
ジャンプした二人は、川向こうに立つ 大きな桜の木に
視線を直ぐに移した。
「あと少しだキラ。頑張ろう」
「うん!」
川を渡り、草むらを抜け、少しだけ小高い丘の上に出た二人は
息を切らして、目の前にそびえ立つ大きな桜を仰ぎ見た。
「うわぁ〜〜っ・・凄いねッ」
キラは感嘆のため息を漏らしながら
ただただ 紫玉の瞳を大きく揺らして 桜に心を奪われていた。
一方、傍らに佇むアスランは、そんなキラを横目で盗み見て、
柔らかく笑みを零していたのだった。
「綺麗だな・・」
夜空に浮かぶ、桜色。
清浄な空気と、肌を掠める柔らかな風。
散り行く花びらは、まるで夢物語の終わりを告げているようだ。
アスランの隣には瞳を輝かせて花を仰ぐ、キラがいた。
そんな彼を憂いを帯びた瞳でいつまでも見つめているアスラン。
二人の距離は、手の届く距離だというのに。
アスランにとっては、息が詰まるほど遠い距離だった。
何が自分たちをそうさせるのか。
そんな事は考えなくともわかっていた。
アスラン・ザラ。
このプラントという国を支える三大勢力の一つ、
”ザラ家”の第一子であり、跡取り息子である。
そしてアスランの父、パトリック・ザラは この国の評議会議長でありながら
数百年の伝統芸能を持つザラ家の当主でもある。
アスランは、最も才に恵まれていたとされるザラ家初代当主を
遥かに凌ぐ才能の持ち主だと周囲に称され、幼い頃から
脚光を浴び続けていた。類まれなる才だけでなく、その眼球を
焼き尽くすほどの端麗な顔立ちには 老若男女問わず、
心を奪われてしまう奇蹟の存在と 世でもてはやされていた。
”肩書き”・”伝統”・”家柄”
それがキラと自分を別つ世界の境界線に在る
障害なのだとアスランはいつも考えていた。
実際、それらは至極同然の事実であって、
アスラン自身から 自由を奪う根元でもあった。
「アスラン・・・?どうしたの?」
不意に。
思考を巡らしていたその瞬間に、キラが
こちらを向いて 不思議そうに訊ねてきた。
アスランはハッと意識を戻すと 隣に佇むキラへと
苦笑を漏らすのだった。
「いや・・・なんでもないよ」
桜に目もくれず、キラに意識を向けていたなんて
言えるはずも無くて。
アスランは 視線をすぐさま夜空に広がる桜へと移して、
もう一度”綺麗だな”と繰り返したのだった。
そんなアスランにキラはきょとん、としながら
大きな紫玉を再び空へと向けて
桜をいつまでも愛で続けるのだった。
二人の間に流れる時は、永遠のようでいて
刹那的な感覚で終焉を告げる。
辺りは暗闇の底を二人に見せるように真っ暗で
桜の鮮やかさも次第に隠してしまうほど、深い闇に包まれていた。
そろそろ家路に着こうと、アスランはキラに視線を向けて
促すことを試みるーーはず、だった。
しかし、月下のもと、玲瓏に輝く紫玉の瞳が
アスランを捕らえて放さなかった。
その美しい瞳が瞬きを忘れて、ただ静かに
真珠の粒を 止め処なく零していたのだ。
「・・・・キラ」
アスランは目を見開いて、その姿を瞳に焼き付ければ
キラは 桜を仰ぎ見たまま 小さく弱弱しい声を
虚空に振動させた。
「・・・・アスラン・・・僕・・桜になりたい」
零れ落ちる言の葉と、流れ落ちる涙と
どちらが儚く光り輝いたのだろう。
風に揺られて少しずつ散っていく 花びらに
覆い隠されるかのように キラはただ 立ち尽くしていた。
傍らに在るぬくもりを密かに感じていたアスランだったが
今にも消えそうなキラを見て、もしかしたら
このまま彼は風に溶けて失くなってしまうのではないか
と思えてしまうほど 不確かな存在と化していた。
「・・・どうして・・・桜になりたいの?」
優しく繋ぎとめておきたい。
そう思ったアスランの想いが 伸ばした腕に真実を教えた。
桜を仰ぎ見ていたキラの横顔に指先を這わせると
零れ落ちた真珠を、そっと綺麗に拭いとったのだ。
触れられた指先に反応するかのように、キラは自然と
アスランの方へ身体を向け、視線を合わせてきた。
紫玉の瞳には 幾筋もの願いと、悲しみが
途方も無く溢れ続けていたのだった。
「・・だって・・・、風に攫ってもらえるもん」
「ーーー・・キラ・・・・?」
「アスランに・・”綺麗だ”って・・言ってもらえる・・」
「・・・キ、・・ラーーーー・・・」
「アスランの傍に・・・、ずっと居られる・・っ」
ひらひら、ひらひら と。
空中を舞う 花びら。
どうしたんだ?
何がお前をそれほどまでに追い詰める?
言いたいことは山ほどあった。
でも。
言葉に上手く、出来なくてーーー。
自分でも不思議なくらい衝動的に
口より先に 身体が動いた。
掠め取ったキスに意味なんてなかった。
ただ、触れた唇がどうしようもなく熱くて
心の奥底まで、その熱が届いた気がした。
触れた唇の彼方に、何が見えるというのだろう?
未来の姿が見えたわけでもないのに。
触れ合う唇が、喉が焼けるほど熱くて
呼吸すら忘れてしまえるほど・・・大切なことのように思えて。
小刻みに震える君の身体と、驚きながら
次第に紫玉が細められていく様を
意識の底で傍観していた。
そうだ。意味なんてなかった。
ただ、俺の瞳に映る幾粒もの涙を止めたかっただけだ。
桜に紛れて 綺麗に立つ、君の姿に惑わされただけ。
そう思えば気が楽だった。
なのにーーーー。
それだけじゃない、何かが胸の中で息づいた。
無性に『愛しい』と想える、この気持ちは
一体何処から来るのだろう。
ただ仲が良かった、それだけなのに・・・。
”桜になりたい”
”俺の傍にいたい”と泣いた、君を
あのときの俺は どうして受け止められただろう。
俺たちはまだ、幼くて・・
キラの置かれている状況すら 俺は知らなかった。
キラが流した涙の訳なんて 考える余裕はなかったんだ。
明日、俺の家から離れる君を 素直に送り出せない自分がいる。
今在る君を抱きしめることすら考え付かなかった自分。
現実を受け止められない自分がいるのに
どうして目の前の君を受け止められるというんだ?
次第に離れていく唇を”哀しい”と思うのは
何故なんだ?
瞳を瞑っていたキラが 頬を少しだけ桜色に染め上げて
ゆっくりと瞳を開いた。
彼の瞳には今、俺の姿が映っている。
小さな柔らかい唇が紡ぐ言葉に
俺は耳を傾けて 紫玉の双眸を真摯な眼差しで
射抜いていた。
「・・・・・・攫いに来て、アスラン」
月明りが 俺たちを導くように 照らし仰いでいた。
透き通るような声。
甘美なまでに煌く紫玉。
亜麻色の髪は 春風に靡いて、桜の花びらと共に
夜空を舞った。
先ほど触れ合わせた唇の熱が 身体中に回る。
まるで媚薬だと思った。
流れる時に逆らうように、君の紡いだ言の葉は
俺の中の時間を その日でずっと留め続けていた。
キラは翌日、俺の前から居なくなった。
もう、何も見えない。
俺に残ったモノは 君の残像と 唇の熱さだけだ。
それからだ。
その熱に焦がれるようになったのは。
君を・・
どうしても忘れられなかった。
どうしても・・・
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どうも〜!!青井です、こんにちは!!!
ここまで読んで下さって どうもありがとうございますvv
如何でしたでしょうか?久しぶりのアスキラだったもので
少し心配しております(汗)
アスキラのパラレル連載スタートということで
説明を少々。
このお話は幼少アスキラですが
次回からは高校生アスキラになります。
大幅に二人の雰囲気が変わるかもしれませんので
予めご了承下さいませ〜!!それでは、次回もまた
宜しくお願いします。
青井聖梨 2007・2・1・