煙草を忘れたその時は













「げっ!」


思わず声に出てしまう。
いつも必ず持っている、日常生活の必需品という奴を
ついつい忘れてしまった瞬間というのは。


「やべー、・・煙草がねぇ・・・」


家には在る。が、今日は寝坊したせいで朝からドタバタしていた。
10代目に朝一番に会うため、お迎えにあがるためには
一分、一秒も遅れることはできない。よって、自分の持ち物を確認せず
家を飛び出た。そういう日に限って煙草が胸元やポケットに入っていないという
失態が起きるのはある種、奇蹟に近いのかもしれない。不思議な現象だとは思うが
そんなことを不思議がっていても埒があかない。

煙草は商売道具みたいなモンだ。
ダイナマイトに火をつけるいわば必需品。
無いと色々困る。まぁ、近くの自販機で買えばいいのだが、
・・あいにく持ち合わせがゼロに近い。っつーか、さっき購買で焼きそばパンを
買ったのが大きかった。でも仕方ねェよな。昼飯食わねぇわけにはいかねーし。


「〜〜〜くそーっ・・」

そんなこんなで、オレは機嫌が悪かった。
今日はいい天気で、屋上の風は気持ちよくて、
隣には居眠り中の10代目がいて、野球バカは部活のミーティングで
10代目と二人きり。これで煙草をふかせりゃあ、最高の一日だってのに、
たった一つ足りないだけで、こうも機嫌が悪くなる自分の心の狭さに少しだけ
落胆する。もっと器のでかい男になりてぇーなぁ・・。



「はぁ・・・・っ」

そんなことを大空の下、密かに思って、ため息を一つ零すのだった。


すると。
オレの小さなため息に、薄っすらと瞳を開けた人物が一人。
こちらの異変にどうやら気づいたようだった。


「ん・・・?っ、ど・・したの・・・?」

まだ とろん、とした瞳が合わない焦点に戸惑いつつも
こちらを覗きみてきた。眠たげな甲高い擦れた声。
華奢な身体がゆらり、とオレの肩に触れた。思わず、身が竦んでしまう。
10代目の体温に胸がどくん、とざわめくのが痛いほどわかったのだ。


「あ、・・・いえ、・・・なんでもないっス!
起こしてすみませんでした・・・」


オレは即座に謝った。屋上の壁に二人並んで寄りかかり、風を穏やかに
感じていた。影が少しだけ日の角度のイタズラで重なり合っているみたいに
見える。そんな些細な事でこんなにも幸せな気分になれるのに、
自分はつまらない失態をふと零したせいで こんな風に隣の大切な人の安眠を妨害
してしまったのだ。情けないことこの上ない。

10代目は軽く凹んでいるオレを思ってか、困った表情をしながら小さく笑ってくれた。
そして、柔らかい声でもう一度オレに問いかけてくれたのだ。”どうしたの?”と。

10代目の優しさに触れたオレは、恥を承知で渋々答えた。
心配してくれてんのに、これ以上言い澱んだりするのは逆に失礼だと思ったからだ。


「あー・・〜、そのっ、大したことじゃないんス!・・煙草忘れちまって、
口寂しいっつーか・・・なんつーか・・」

最後は苦笑いですべて流す気だった。
オレは頭の後ろを軽く手でかいて、羞恥心をやり過ごそうと試みる。
そんなオレに向かって、10代目はというと・・。


「・・そっか。・・・・・・−−獄寺くん」


不意に名前を呼ばれ、”はいっ?”と10代目に視線と顔を向ける。
次の瞬間。まるで周囲が静止してしまったように、風の音は聴こえず、
時の流れは停滞していた。
目の前に、影が落ちる。すべてがスローモーションと化したのだ。


オレの唇に触れる、柔らかい10代目の温もり。
ちゅっ、と軽い音があとから耳に響いてきた。
オレの瞳が それと同時に見開かれる。

目の前の人の大きな瞳は静かに閉じられ、長い睫毛を
風に揺らしていた。

全てが動き出したのは10代目の唇が、離れたあと、だった。




「・・・・・・・・・・・・・え、っ?」


何が起きたか解からない。
けれど確かにそこは熱を持って、その人の唇と重なったのだ。
途端、身体中が熱くなる。−−−自覚、とは恐ろしいものだ。



「じゅ、・・・だいめ・・・・?」


かぁぁぁ、っと火照る身体を隠しきれず、ただ目の前の10代目に
信じられないといった視線を送れば、華奢なその人は 少し恥ずかしそうな顔をして
オレに可愛らしく紡いでくれたのだった。


「おれ、煙草持ってないし、飴玉ランボに全部あげちゃったし・・君にあげられるもの
持ってないから、さーーー・・・・これで我慢してくれる?」



にこっ、と頬を薄っすら赤らめて 温かく笑うその人に、
オレはまた 恋に落ちた。可憐に咲く、花のような人。
オレには勿体無いくらいの、笑顔。

口寂しい、といったオレの言葉を受けて
10代目はオレにキスを贈ってくれた。
今日一番の幸せを、オレはこの人から貰ったんだ。


10代目・・!貴方はやっぱり凄いっス!!



「が、っ・・・〜〜我慢もなにも・・・、10代目にキスして貰えんなら
オレ、毎日煙草、忘れますっっ!!!!」


勢い良くそう叫んだオレに、10代目はちょっと呆れ顔な表情を作って、
再びオレに言の葉をおとしてくれた。



「もぉ〜・・困ったひとだなぁ、獄寺くんは・・。
ーーーー考えておくね?」


10代目はそう言って、再び瞳を瞑られた。
オレの肩に、今度は頭を寄りかからせて 深い眠りへと堕ちていったのだった。



考えておく、ってことは・・脈あり、ってことで
もしかしたら、また煙草を忘れたときにキスしてもらえるかもしれないっ
てことだから・・・・。−−−オレはグルグル頭の中で10代目の熱に絆されて
舞い上がるばかりだった。−−−ちょっとかっこ悪いかもしんねーけど、・・こんな自分も
悪くない、って思えるのは・・多分10代目のお蔭なんだろうな、と思った。そして。








煙草を忘れるのも、悪くないと思う、
今日この頃なのであった。















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