生きることが償いだと想った






















Dear、ファントム〜第一章『闇の住人』〜





















「王子!黒の王子!!お前の彼女が呼んでるぞ」



竜宮学園中等部、三年S組の扉付近で騒がしく彼を呼ぶのは
クラスの男子生徒であった。

窓際、後ろから二番目に座る この学園始まって以来の天才は
目を通していた洋書から視線を外すと、重い腰をゆっくりと上げ、
ため息混じりに”あぁ”と短い返事を返したのだった。


颯爽と風を切る、長い琥珀の髪。
流れるように引き締まった体躯。
すれ違うだけで、周囲の空気が変わるほど、彼の存在は
孤高であり、鮮明であった。

黒の王子と称されるが故の威厳や優美さは、
周囲の人間には痛いくらい伝わっている。
だからだろう。彼を別の世界の住人だと考えてしまうのは。

独自の風格を過ぎ行く風に交じらせながら、
真摯な銀色の双眸を輝かせて
皆城総士は教室の扉付近まで足を進めた。



「・・・小百合か。−−なんだ、どうかしたのか?」



端的で冷静な声音を雰囲気に絡ませた総士は
身に纏う鮮やかさを押し隠すことなく、振り撒きながら
壁に寄りかかって 目の前に佇む小柄な女子生徒を一瞥した。



「総士くん・・・ごめんね、この前は。
剛史が貴方に迷惑かけたでしょう・・?」



上目遣いに総士を見上げる小柄なこの女子生徒は、
総士より一つ年上で 竜宮学園高等部の校舎からわざわざやって来た、
竜宮学園中高問わず、可愛いと評判の女の子であった。

女の子らしい、ともいうべきか。
軽く二つに端を結わき、おとなしめの大きな瞳を揺らして
総士をじっと見つめる彼女、柴田小百合は あるイザコザを
自分の彼氏に謝りにやって来たのであった。


「この前・・・?ーーーなんか・・・・あった、か?
ごめん。あまり覚えていない・・・」


空を仰いで、少しだけ考え込むように瞳を閉じた
総士の仕草に 見惚れていた小百合だったが、
あまりの無頓着さと関心の無さに半ば呆然としていた。



「・・・・・覚えてないかな?剛史が貴方に、決闘を申し込んだでしょう?
たしか柔道で。−−結局総士くんが”足車”っていう技で勝って・・」



「柔道−−−?ーーー・・・・・・・・・・あぁ!」



少しの沈黙を破った総士が口にした言葉は、
やっと思い出した、という合図であった。

小百合は すっかり総士に忘れられてしまった剛史の存在が
心なしか不憫に思えてならない。
総士にとっては、些細な出来事どころか、即忘却の彼方に
置き去りにされてしまうような記憶でしかなかったのだ。

いつか・・・自分も彼の記憶から
完全に消去されてしまう日が来るのだろうか。

小百合は、不安な表情を隠しながら、自分が関わっている
私用の出来事に興味や関心を示さない総士へ視線を必死に向けて言った。


「総士くん・・・本当にごめんなさい。
もう二度と、あんなこと無いようにするからーー・・」


遠慮がちにそう呟く瞳を、総士は
真正面から射抜くように優しく包み込んで語りかけるのであった。



「気にしなくていい。君は悪くない」




気まぐれに、優しくする。



それが黒の王子の所以で在る事は
付き合い出す前から解かっていたことなのに。


どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろう?




それはきっと、自分がもう、取り返しのつかない所まで深く、
彼を愛している証拠なのだと小百合は思ったのだった。



「ありがとう・・・。総士くんは相変わらず、優しいね・・」



小百合がポツリ、と言葉を床に落とせば
総士ははにかむように微笑んで、彼女へと言葉を返した。




「君ほどじゃないよ」





落ち着いた、その声色に。
期待してしまう。
もしかしたら、彼の心は・・少しでも自分に向っているのではないかと。




「・・・総士くん、今日・・・一緒にーー帰れる、かな?」




堕ちていく、全部が。
彼に。




「ごめん、今日は早苗さんと約束してるんだ」




呑み込まれてしまう。
心も、身体も。




「・・・・・そ、う。わかった。じゃあ、また今度・・」




「あぁ、本当にすまない」



嘘。



本当は悪いなんて、思ってないくせに。
どうしてそんな瞳を揺らして訴えてくるの?


胸が、痛いよ・・。



小百合は一度視線を逸らしたあと、明るい調子で
総士に微笑を作って虚空に想いを吐き出した。




「・・・・総士くん、私たち・・付き合ってるんだよね?
私は総士くんの彼女の一人、・・・そうだよね?」



言葉にして、こんなに哀しかったことはなかった。
最初から知っていた。
貴方を独占することなんて出来ない。

貴方は誰のものでもない。
そして、皆のものでも、ある存在。


全部わかってて・・・それでも一緒に居たくて、私は・・。



やるせない想いが言葉に形を変えて
空を彷徨うように、自分のやり場のない悲しみが
今にも瞳に滲んできそうで怖かった。

小百合は精一杯の微笑を 大好きな総士へと贈る事で
総士に少しでも気にかけて貰いたかったのだった。


そんな彼女を前に、総士は瞳を細めて、擦れた声で呟いた。




「もちろんだ。・・・・君は僕の彼女の一人だよ」






悲しみを覚えた小百合の肢体は
ただ小刻みに震えるしかなかった。






愛を知らない黒の王子の愚かさよ。
どうか私の想いに報復を。






+++















「窓の外に・・何か面白いモノでも在るの?」




温かでどこか母性を匂わせる、その女性は
総士の視線の矛先を 自分に向けようと 大人の女を着飾ってみせた。
総士は口の端を軽く吊り上げ微笑むと、すぐさま彼女の方へと振り向いた。



「いいえ、ただの気まぐれですよ。
貴女以上に僕の眼を惹きつける対象物など、在りはしない」



「・・・口が本当に上手いのね」



「事実ですよ」



「それに嘘も上手だわ・・・」



「心外だな」



黒の微笑みが、宙を舞う様を彼女は瞳に捕らえていた。
目の前の大人びた少年が時々自分の胸の奥を燻らせる感覚は
新鮮であり、残酷だと想った。

彼女自身、気付かないうちに 多くを知り、求める彼を
言葉には表せないほど慕っていたのだ。
その事実に気付いたのは、つい最近で 深層では戸惑いを
隠せないでいた。けれど溢れる想いを止める事は
どうしても出来なくてーーこうして彼の言動が気になって仕方ない。

仕草一つに一喜一憂してしまう自分がいる。
本当に、報われない。

心底、ついそう思ってしまう。


彼女の名前は鏑木早苗。
竜宮学園ではなく、向島高校に通う一年生である。
云うなれば、他校の生徒なのだ。
彼女も小百合と同じく、総士より一つ年上であり、
向島のマドンナ的存在であった。

早苗は、小百合とは対照的な性格で
大人びた清楚な雰囲気を身に纏う女性であった。
母性を滲ませつつ、時折積極的な態度で
艶かしい女を魅せる彼女は 総士に言わせれば
扱いやすい女性像であった。

早苗も、総士が自分を上手くあしらう瞬間に
気付いていないわけではないが、
見て見ぬフリをしてあげるのが 二人の暗黙のルールであった。


早苗だけに限らず、総士の”彼女”である女性は皆、
自分以外にも交際している女性が総士に居ることは
始めから知っていた。


それは総士が前置きをきちんとしているから、なのだが・・




『僕には他にも付き合っている女性がいる。
・・それでも僕と付き合いたいというのなら、僕は君を受け入れるよ』



決して褒めたものではないのは
確かである。








「総士、それよりどうかしら?
ここのコーヒー、気に入ってくれた?」






放課後の下校途中。
制服デートに格好をつけて、
二人で異国情緒溢れる店内の窓際に身を寄せて座る。

西日を背に、テーブルへ頬杖をつく 黒の王子は
小百合同様、早苗の心までをも締め付ける美しさを放っていた。

絵画から抜け出した目の前の貴公子は 薄っすらとした微笑を浮かべて
コーヒーカップに口をつけ、静かな声音で空に言の葉を散りばめた。



「早苗さんのお勧めなら
何だって僕は気に入りますが?」




女性に合わせて口調を換え、物腰や態度を
バランスよく変化させる黒の王子には 
最早、女性に関して不可能はないのかもしれない。


壮絶な美と至誠に心を奪われるというのは
こういう感覚なのかもしれない。


早苗は 瞬きすら忘れるほど 目の前の少年、
否 恋人に魅入っていた。


すると不意に 彼の視線が再び窓の外に逸れる。



思わぬ眼差しのズレに、早苗はついつい口に出してしまったのだった。



「どうかしたの・・・?」





落ち着いた口調を装ったはずだった。
けれど少し声は上擦ってしまった。
動揺、に似た焦燥・・・予感、が彼女の胸を少なからず
不安にさせたのだ。





「・・・・すみません、楽しい一時を壊してしまうのは
忍びないのですがーーこの辺で今日は失礼しても宜しいですか?」



「え・・・・・?」




総士の突然の申し出に、息を吐く間もなく
早苗は瞳を丸くした。


近くにある薄手のコートを素早く羽織り、
カバンを手に取ると 総士は早苗の返事も聞かずに
伝票を流し取って レジまで足を進めていく。

その刹那に流れる時間を ただ見過ごすしかなかった早苗は
はっ、と一瞬意識を覚醒させると 声を露に総士を呼び止めた。




「総士・・・待って!理由を云って・・?」



一つ年上の自分。
出来れば彼の前で余裕を見せていたかった。
だが、自分の前をあっけなく去ろうとする彼の姿を
見送るだけの余裕は 持ち合わせてはいない。

格好付けだけ一人前の自分が少し情けない、と
思えてしまうのは早苗自身 どこか総士が向ける自分への
感情に自信がない証拠であった。



レジで会計を済ませ、声のする方へと身体を向けた総士は
早苗の眼差しの意味を理解していても尚、それを跳ね除ける結界に似た
牽制の眼を瞳に宿して声を零した。






「秘密を持っていた方が、
貴女の心を惹きつけられるので云えません」





冷静な物腰の向こう側には闇が広がっている。
早苗は ふいにそんな事を思った。


危険だとわかっている。


けれどどうしても生まれ来る情動を止める事が、出来ない。



もっと知りたいのだ。
彼が抱える闇を。そして、彼の思考を。


欲している、全てを。





早苗は窓の外に視線を泳がせた。
彼の理由を自らで見つけるために。

すると、窓越しに映る黒い人影が二つ、もみ合っているように見えた。


片方の男性は背の高い眼鏡をかけた二十代後半の様相。
そしてもう片方は、総士と同じ制服を身に纏った華奢な男子学生であった。



見覚えの在る、その端麗な顔立ち。
彼はーーーー・・・




「・・・・白の、王子・・・?」




そうだ。



総士の幼馴染で・・・対極の色彩を放つ、もう一人の王子。
竜宮学園だけでなく、向島でもその名が知れ渡っている、彼。





「真壁一騎くん・・・・」





あまり特定の人とつるまない総士が、
唯一 一緒に行動をとる人物。
彼の大切な親友・・。





口から零れた早苗の言葉に、瞳を刹那、細めたと思いきや
総士は瞬時に妖しい微笑みを作って 彼女の言葉を肯定するのだった。




「どうやらバレてしまったようですね。
・・申し訳ありません、僕の片割れが絡まれているようですので
席を外させていただきます」




云い終って、颯爽とドアへ向う総士。
早苗は後を追うように 総士の傍へと歩み寄る。
止める気はないが、置いていかれる気もないのである。



が、近寄る早苗を制する手が、そこにはあった。



「付いてきてはいけません。・・危ないですよ。
僕が行ってきますからーーー早苗さんはもう帰って下さい」


視線を白の王子に向けながら、そう呟く総士が
まるで一騎の騎士のように見えた。



「・・・あしらわないで総士。
もう少し、貴方と一緒に居たいの」




着込んだコートをきつく掴めば、総士の銀色の双眸が
すぐにこちらに向く事は知っていた。

早苗は自分より背が高い総士の懐に身体を寄せると
静かに波紋を作り出すのだった。



「貴方は・・白の王子の騎士ではないわ。
黒の王子でしょう・・?きっと白の王子を慕う騎士達が
彼を守るわーーーー・・・きっと・・」



離れるのが寂しいなんて、云えない。


いつまた こうして放課後に会ってくれるかも分からない、黒の王子。
彼は皆のもの。博愛主義の彼は・・何でも受け入れ、
そして手放していく。


私がここで手を放せば、きっと彼はもう 手の届かない人に
変わってしまう。



早苗の抑えられない気持ちは 行動となって総士を
その場に留めさせた。
大人なフリがもう、限界に来ていたのだ。


彼を、愛するあまりにーーーーーー。





瞬間。
きつく握られたコートを、解く大きな手が
彼女の行動を凍りつかせるように制御させた。






「−−−僕は黒の王子であり、彼の友人です。
騎士でなくとも・・守る理由はいくらでもありますよ」





深く、地に沈む声が彼女を果てへと誘う。
拒否、去勢、熱望。

どう捉えればいいのだろう。
どれが本当の真実で、彼が示す応えなのか。

早苗は幾ら思慮を深めても、応えを導くまでには至らなかった。
その前に。


総士の身体は・・自分から離れていったのだ。





「・・・・まるで、彼を守ることが義務のようね」



ぽつり、と落ちた言の葉が 離れた温もりに影を落とした。
総士はピタリ、と止まると 背後越しに 彼女へ応えを送り届けた。








「違います。−−−−−・・・僕の生きる理由なんです」










真摯な声が、扉を開ける音と共に途切れては消えた。









早苗は 夕日の紅をその身に纏って一騎の元へ
歩みを速める総士の姿に 一つ小さなため息を零すのだった。










「結局貴方は・・白の王子を慕う騎士達の一人・・
ということなのでしょう・・・・?」











+++















夕焼けが闇を連れてくる、その時間。
一騎は 背後からそっと声を掛けられたのだった。


下校途中だった為、油断していたせいもある。
無防備に振り返った見返りが 突然の衝撃だなんて、誰が予想出来ただろう。
身を翻すその前に、ただがむしゃらに一騎は腕を強く掴まれたのだ。


驚いた、・・というよりも 何が起きたのか把握しきれなかったと云えばいいか。
一騎の栗色は 途端に強い光をその眼に映し出した。
夕焼け色の光沢が瞳の奥に飛び込んで、彼の瞳を一瞬緩ませたのである。

その隙とばかりに、男は一騎の両手首を捕まえて叫んだ。



「真壁・・・・私は君をッーーーー・・!!」



情欲、情熱、焦燥、懇願・・・全てを含んだ色を瞬かせて
目の前の男は一騎の顔を見つめ続けた。

銀色の細いフレームの眼鏡をかけた背の高い
二十台後半の男が 低い声を挙げて 堪えられない、とばかりに
一騎へと切望の眼差しを向ける。


驚くよりも、この状況が何なのかさえ、つかめない。
どう対処すればいいのか、解からないのだ。






「ずっとずっと見ていた・・!!気の遠くなるほど、ずっと!!
この気持ちを抑えることがもう、出来ないんだ!!!」



「えっ・・・・?!!」




あなたは誰ですか?


そう聞く前に、自分の名を呼ばれて
動揺してしまう。


自分のことを知っている、この人。
・・もしかしたら、自分はこの人に会った事がある・・?



一騎は自分の中にある記憶を隅々まで手繰り寄せてみた。
けれど中々思い当たる人物が浮かんでこない。


暫くは手首をつかまれ、もみ合う形でその場に立ち尽くした。
しかし一向に進展しない動向と咬みあわない話に
どうしたものか、と一騎も途方に暮れていた。

とりあえず、この状態を打破しなければ。


一騎は黒髪を風に揺らし、逆光の紅に瞳を細めながら
相手の視線を受け止めつつ、言い放ったのだった。





「すみません・・・オレ、貴方の気持ちには・・その、
応えられません・・・・・」





明確に。幻聴でないことを、空中へ振動させて伝えた。
相手の瞳が 一際哀しそうに揺らめく。



その様が、痛々しくて この先、どう言葉を紡げばいいか
わからなかった。





そんな瞬間ーーーーーーーーーーーーー。







ガツッ・・・・!!










静寂と互いの沈黙を破る、激しい音と衝撃が
掴まれた手首に響いてきた。



一騎は自らの背後を覗き見ると 夕日を背に
細い体躯をくっきりと映し出して 優美に佇む幼馴染の姿を
瞳の端に捉えたのだった。





「・・・総士!」






驚きで、思わず声が弾む。



琥珀の髪が流れるように風と絡み合っていた。
銀色の双眸は こちらを睨むでもなく憐れむでもなく
淡い色彩を慈しむかのようで、綺麗だった。



端整な顔立ちが 男を一瞥すると
一騎の手首から引き剥がした男の両手を乱雑に放り投げた。






「・・・こいつに用があるなら、僕を通してからにしろ」





低く擦れた声が辺りに響き、空気中に溶けた。
自然の一部として、その声が還って逝くようであった。




「っーーーー・・!」






一騎へ想いを募らせ、迫った男は 総士の姿を真正面から見るなり
怯えたような顔を作って その場を立ち去ったのであった。
まるで、総士が身に纏っている空気が彼の身体を傷つけるかの如く
壮絶な苦痛を男に味合わせたのである。


急ぎ足で立ち去っていく男の背を小さくなるまで見送った二人は
同時に互いの顔を見合わせた。





「ありがと総士・・・丁度困ってたんだ。
あの人、真剣だったし・・どう言えば あれ以上
傷つけないで済むかなって・・考えててーーー」


そこまで言い掛けた一騎の頭に ポコッ、と軽く小突くような
衝撃が走った。思わぬ衝撃に 一騎の首が曲がる。


「いたっ・・・?!」



小さな悲鳴を挙げた一騎は 衝撃を生み出した主へと
焦点を合わせれば、主は恨めしそうな瞳でこちらに銀色の双眸を向けて言った。



「お前・・本当に呑気な奴だな。少しは身の危険を感じろ」



つん、と尖らせた口から出るのは お説教の数々。
黒の王子という愛称には無縁とも呼べる発言が辺りに木霊する。
一騎はガミガミと横で話し始める総士の様子に苦笑いを漏らして
何とかこの場を切り抜けようと試みるのであった。



「・・・わかってるって!今度からは自分で何とかするよ。
総士には迷惑かけないから・・・、な?もういいだろ?」



「お前なぁ・・僕が言ってるのはそんな事じゃないぞ!」




一騎の言葉に不満を漏らす総士を見上げて、
一騎はマズッた・・、と後悔の念を胸に刻ませるのだった。
早口に捲くし立てる総士を横目に、一騎は 視線を泳がせてクルリ、と
すぐさま踵を返して 足を進めた。



「おい、一騎?!どこ行くんだ・・」



話はまだ終わってない、とばかりに不機嫌そうな声を散漫させる
黒の王子を促す形で 白の王子は呟いた。



「帰るんだよ。−−お前の説教は歩きながら聞くから。
こんなとこで突っ立ってるのも変だし、行こっ?」



きょとん、とした丸い眼を夕日に輝かせながら一歩踏み出す白の王子。
華奢な身体が夕焼けに溶け込むようで 銀色の瞳には儚げに映る。

眩いばかりの栗色が、光を背負って また一歩前へと進めば
光の道を渡り歩くようだった。
黒い少し長めの髪が 風に優しく交じり、華麗に舞う様は
白の王子ならではの艶やかさが緩慢とした雰囲気に踊っていた。


総士は僅かに前を歩く一騎の影を踏みしめて、瞳をスッ、と細めると
困ったような微笑を小さく零したのだった。





「・・まったく、お前からは いつも目が離せないよーー」




総士のため息と苦笑が交じり合っては空気中に溶けた。
一騎は総士の言葉に首をやや傾けると、”どういう意味だ?”と聞き返してみる。
すると総士は もう一度一騎の頭を握りこぶしで 軽く小突いて言い返した。





「危なっかしくて心配だって意味」




「ーーー!!なんだよソレ・・・?!
子ども扱いするなってばーーーっ」




「はいはい。ーー早くしろ、置いてくぞ?」



いつの間にか自分の前にいる総士を訝しげな表情で覗いた一騎は
拗ねた様子で、思わず止まってしまった歩みを再開させたのだった。





やがて総士の歩調に追いついた一騎は 黒の王子の傍らに並ぶと
不思議そうな声色で彼へと言葉を紡いだ。



「なぁ、総士。なんでお前ここに居たの?
帰り道 こっちじゃないだろ・・?」



「ん?・・デートだよ。美味しいコーヒーが
在るって早苗さんに誘われたんだ」



「早苗さん・・?ーーーーどんな人だっけ・・?」



ぽかん、とした顔を浮かべて 上目遣いに見つめてくる一騎。
その可愛さは 自分が付き合っている女性たちとは
明らかに違う あどけなさと優麗さで溢れていた。

総士の瞳が一瞬揺らぐ。
胸が、・・・少しだけ痛んだ気がした。



「髪は短めで、少しはねてる。大人っぽい・・というか
母性を滲ませる優しい面立ちをした、向島の生徒だよ」



簡単にそう説明すれば、一騎は”あぁ!!”と突飛な声を虚空に零した。



「向島のマドンナさんか!そういえば一度、見た事あるかも!
確か一つ年上・・だったよな?」



「あぁ」



「ーーーおまえって・・凄いな・・」



「なにが?」



「だって・・あんな綺麗な人と・・・その・・・」



そこまで言い掛けて、最後は言葉を濁した。
変に純粋な一騎は 男女の色恋沙汰となると
異常な反応を見せるのだ。

いや、・・・異常ではないか。
古風なだけで、正常ではある。




「僕のことはいいとして・・お前はどうなんだ、一騎?」



「へ・・・?」



突然振られた話題に 素直な声が 空に零れる。
一騎は相変わらず ぽかん、とした表情で総士を見上げたままだった。




「・・・・誰かと付き合う気、・・・・ないのか?」





探りを入れている訳ではない。
極自然に発生した話題だ。
話の流れとしては、変じゃない、はず。



総士はやや俯き加減に 自分の傍らを歩く
一騎へと視線を緩やかに落とした。
その銀色の双眸が微かに揺らめいている事に
おそらく一騎は気付いていないだろう。





「ないよ。・・今は劇に夢中なんだ!おれ!」



明るく言い放つその顔は、春の夕暮れの下に咲く
一輪の花のようであった。


柔らかな風に髪を靡かせて微笑む一騎に
どこか儚げな眼差しを向ける総士。
対照的な、二人の王子の帰り道は 赤く染まる平坦なあぜ道であった。

遠くの丘から桜の花びらが舞い落ちてくる。
草木たちが 春風に掬われて 音を立てつつ、その場に留まっていた。


不意に、一騎がイタズラっぽい表情で 総士の一歩先を歩いたかと
思えば、急に振り返って声を響かせた。




「でもおれ、・・ファントムとなら・・付き合ってもいいなぁ」




形の良い柔らかそうな口元から 意外な名前が零れ落ちる。
総士は瞬間、瞳を瞠って驚愕した。
まさか一騎が・・そんな事を口にするとは予想していなかったからである。




「・・・どうして?」



動揺を声に乗せず、そう言えた自分が誇らしかった。




「だって、ファントムは 演劇を愛する者の味方なんだ!!
おれ、演劇部だし、ファントムのお蔭で色々と助かってるんだ」



「・・・・色々って?」





「今度うちの部活、竜宮ホールで公演があるんだけど
その公演、当初は中止になるはずだったんだ」





「・・・中止ーーー・・?」




「うん。何でも有名な劇団が 急遽うちの公演日時を指定して来てさ、
うちの部活よりそっちが優先される事になっちゃって・・。
途方に暮れてたら、ファントムがこの前 別の劇団の演劇が始まる前に現れて、
不透明な公演予約規制を公共の場で明確にしてくれたんだ!で、マスコミと警察が
動いてくれて、おれ達の公演中止が無効になったって訳!」



水を得た魚のように饒舌に語る一騎の姿は生き生きとしていた。
僕は”ふ〜ん”と軽く一言相槌を打つと、続けて
”よかったな”と呟いた。


一騎は 僕の言葉にニコニコと微笑を零しつつ、
目の前で身軽に春風を受けて遠くを見つめていた。





「ファントムって・・・どんな人なんだろう・・?
竜宮ホールにしか現れないらしいから、
竜宮ホールの隠れ地下室とかに住んでるって
噂だけど・・・・・−−−−−」




夕焼けの赤を顔半分に背負いながら
一騎は眩しそうに瞬きを繰り返した。
見えない姿を、必死に見ようと試みる 純粋な眼差し。
総士はそんな一騎を正面で捉えて、胸が熱くなった。





「−−−−・・・・逢ってみたいのか?・・・ファントムに」





ふと、零れた言の葉の行方を ただ知っておきたかった。
それだけだった。




「・・・・・・・・うん。逢ってみたい・・・・おれ」






迷いのない、声色に 顔が引き締まる。
知らぬ間に、片手が握りこぶしを作っていた。






「付き合うのは・・無理かもな?体格的にファントムは男のようだし」




軽い冗談を言ってみる。
自分の深層に気付かれたくなくて。





「そうだな・・・。でもーーーー」




唐突に言葉を切った一騎。
あとに続く言葉の先が 冷静になろうとする自分の行く手を阻む。










「もし、ファントムが総士だったら・・・
おれ、−−−−・・付き合いたいって・・思っちゃう、かも」










その瞬間、桜の花びらが 一斉に空へと舞い上がった。





花嵐が、ーーーー刹那、起きたのだ。









夕暮れに向っていた栗色の双眸が、
花嵐と共に こちらへと向って 瞳の奥に・・呼びかける。



夢幻と僅かな期待を宿して 僕の心層の窓を叩く。




問いかけ、戸惑い、夢想。
どれも弱弱しい響きをした・・一騎の思慕。



僕は 浮き立つ想いを抑えるのに必死で
目の前の儚さから目を背けた。



降り積もる想いを粗末に扱い、
言い募る彼の瞳を 見て見ぬフリをした。




茫漠とした時間の中で 僅かに光る その想いこそが
全ての真実だとしても




当の昔に その想いは息絶え、
僕自身を暗闇へと突き落としたのだ。



そう、僕は・・地の果てを知る 闇の住人だ。
決して彼の光に 触れることは許されない。





そんなことは、始めから わかっていた。





何も見ないように。



ただ、・・彼を守ることだけを考えて






虚しい夜すら乗り越えて









やりきれない悲しみも、呑み込んで

幾千もの言葉を・・噛み砕いては 吐き出す毎日。







自分の罪を・・・悔やむ毎日。










「そうか・・残念だ。せっかく一騎と付き合えるチャンスだったのに。
・・・・僕がファントムだったら、よかったのにな」











生きることが償いだと想った。
















「−−−−−−−−−−・・・そう、だな」














僕の言葉に落胆するかのように
肩を落とす 君を、ただ見つめていた。












好きだとも云えず、


目の前の”親友”を淡く切ない瞳で押し隠す。








止まることを知らない、この想いの行き先を誰か教えてくれ。














僕らは 今、何を確認し合ったのだろう?


それは多分、見えない心の奥。



互いが 求め合いながらも、縮められない距離。




触れ合えない、言の葉。
保つ均衡の切なさに 胸を詰まらせても



決して交わることのない、本当。





僕らはそれを持て余し、時には抱えたままで
互いの傍に立つ。






一騎が僕の心に踏み込もうとした瞬間、
僕はその一歩と同時に 後ろへ下がる。




それは、彼との間に線を引いた 証。
拒絶ではなく・・・・・戒めだった。




間違わないように。
見誤らないように。







償いは・・・・・この命が終焉を迎えるまで
終わることはない。






夕暮れのあぜ道を二人、並んで歩く。
互いの気持ちを置き去りにして 普通を装い、笑い合う。





”親友”の距離を保つために、多くの女性と付き合って
自分の中の真実を ごまかすことだけに集中する。


一騎を失わないまま、
上手く生きる方法を・・・探している。



本当は、彼以外 この瞳に映りはしないのに。





近づくわけでもなく、欲するわけでもなく、ただ
過ぎ去る毎日を静かに見守って





彼を・・・守る、日々。










あぁ、−−−−もうすぐ夜が来る。





”彼を守るために生きる僕”の義務を果たす夜が
贖罪をその身に纏ってやって来る。



僕はただ、闇に息を潜めて


光を守ることだけを考える。







たとえ息が詰まったとしても
呼吸の仕方を忘れても





彼に裁かれるその瞬間を、待ち侘びているのかもしれない。









+++














自宅に帰り、月が浮かぶ闇夜の時間。
漆黒のマントを靡かせて

黒いスーツを装い、空を駆け抜ける。





深い慟哭が待つ、竜宮ホールの隠し扉。



控え室の大きな鏡の裏を 指先で弄るように触れば、
ギギ・・ッ、と重々しい音が宙に散漫し、闇の姿を露にさせる。






地下階段。


螺旋に連なる秀麗な灯火を
古めかしい階段を降りながら、己が手に持つ焔を移して進む。


暗闇を降りていく足元は虚ろ。
憧憬を見た、あの日々はもうない。



崩れ落ちる思い出を 無に還す事など
出来はしない。






階段を降り、暫く歩いたその先に
強大に聳え立つ 頑丈な門を 肩で押し開ければ、
懐かしい悲劇が 記憶の中に蘇る。




足元に滲んでシミになった、紅は
永遠に消えることのない 過去の傷として・・今も胸に焼き付いている。




遠くで僕を呼ぶ声が 彷徨いながら耳の奥に
今尚 残り続けている。







扉の向こうには 二つの鉄格子と僅かに空いた、壁の隙間。
その幅、数センチ。



引っかき傷が壁に行く筋も入っている。
その近くに錆びた長い鎖が持ち主を失って 乱雑に横たわる。
行き場を失くした 存在の虚しさを鮮明に訴えるようで

・・やり切れずに瞳を伏せた。



遠くを見れば、本当に小さな小窓が一つ。
空に浮かぶ月明りを微かに受け入れている。






すべてが、この場所から始まって・・終わった。






僕は今にも壊れそうな木造のテーブルの上に
事前に用意していた竜宮ホールの日程表を静かに置いた。


手に持つ炎で その紙に載っている日程を確認し、覚える。







「さぁ・・・・・劇の始まりだ」






テーブルの近くに佇む 衣装棚の三番目の引き出しを開け、
純白の仮面を顔面に被せる。



闇の住人の匂いを漂わせ、暗闇すらも恐れずに
再び扉を両手で開けた。



手に持っていた焔は 古びた暖炉の灰の中へ放り投げ入れ、
光を必然的に消した。



上階にある柱時計が、蠢く闇を奮わせるように鳴く。





ゴーン・・・ゴーン・・・








躊躇うことなど忘れ、勇むような足取りで
風を切って向う先には 何が待ち構えているのだろう。



それは、正義でもなく



偽善でもなく・・・







ただ







その人がいつも見つめ続けていた残光の未来なのだろうか。








それとも、自身に生まれた恋情なのだろうか。









もうそれすらも判らない。








だけど・・・












あの温もりのカケラを
今も忘れずに求めているのは確かで。












罪を犯した人間の末路は















きっと









こんな風に、







始まって・・・終わって逝くのだろうと、想った。



















一騎・・・お前に伝えたいことがある。



































どうか
聴いた後は























親友でも、幼馴染でも






・・・僕を好きでいてくれても






















絶対に僕を











































許してくれるな。



































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こんにちは。青井聖梨です!!
如何でしたか?Dear、ファントム。


少しの謎と、愛情が鬩ぎ合ったお話ですので
長い眼で見てやって下さい。

総士が女の子と付き合いまくってますが
許してやって下さいね。基本は総一なんで(笑)
でもまだ総士の彼女、別の子も登場するので
心構えを宜しくお願いします。


あ!そうそう。小百合と早苗さんは私のオリジナルキャラじゃ
ありません!!そして剛史くんも、です。
ファフナー左右で登場してるキャラです。メモリアルブックを
お持ちの方は、確認してみると面白いかもしれませんよ〜。
それではこの辺で〜。次回も宜しくお願いします。


青井聖梨 2007・3・5・