”ありがとう”


が、少しずつ降り積もって
『愛』になるのだろうか・・














Dear、ファントム〜第十一章『光に溺れる』〜



















沢山の拍手の中で、一際輝いている 二つの存在。
喝采の渦すら 呑み込んでしまえるほどの 圧倒感には正直脱帽だった。
竜宮ホールが音の反響で小さく揺れる。小刻みに振動した その空間はまさに別世界といえるだろう。
立ち尽くしていた私は スポットライトを舞台の中心で浴びる その二人から視線を外すことが出来ないでいた。
あまりにも眩しく、遥遠に輝いている二つの星が 恋しくもあり、疎ましかったからだ。

あぁ、できることならば 近づきたい。
もっと沢山話して、理解したい。
その内に秘めた感情や思考を 共有してみたい。


ぼんやりと視界に映る 二つの存在を見つめながら
密かに私は 自分がこの空間に呑み込まれていくのを
肌で感じていたのだった。






十月三十日。竜宮ホールで行われた演劇部による演劇は、
大成功を治めた。


急遽 黒の王子を代役に立て、白の王子と共演させた効果も相まって
演劇のチケットは 発売日当日約三分で完売。異例の快挙を成し遂げた。

新聞部として取材席を予め設けてもらっていた私は
チケットを手に入れられなかった人に申し訳なくも思いながら、
全力で取材をしようと思う反面、
皆城総士の握る秘密の手がかりを少しでも掴もうと躍起になっていた。


けれど中々しっぽをつかませてくれない黒の王子。
結局のところ、皆城総士含め、演劇部員たちの素晴らしい演技に魅了され、
新聞部の仕事を松任にしただけで 本来のスパイ活動を疎かにして家路についただけだった。







このままでは、本当に埒が明かない。






そう思い、一人の少女は物憂い気味に 大きくため息を一つ 零したのだった。
そう、少女の名は遠見真矢だ。
実は真矢がこの中学校に転校してきた本来の目的は大きく二つある。


一つめ。当時、話題にもなった 神隠しにあったとされる子供たちの所在。
今から十年ほど前。この竜宮ホールを代々私有していた大財閥、立木家の長男と次男が神隠しにあったのだ。
当時警察が隈なく島の至る所を捜索したが、結局のところ見つからず、事件は闇に葬られた。

まだ幼い四歳と五歳の男の子たちは、母親を亡くしたばかりで悲しみのあまり、神の慈悲から
母親のいる世界に連れて行かれたのではないかと 神隠し説を
頻繁に報道される反面、唐突すぎ、また明らかに不自然な消え方から
誘拐されたのではないか、とも同時に報道されることが多かった。

当日の二人の動向に関して、手がかりが極端に少なすぎたせいで
当時未解決だったこの事件。捜索願いを出していた立木家の当主も警察の不甲斐ない結果に
頭を抱え、結局のところ 真矢が所属する諜報機関に依頼して 事の次第を解決させるべく、事態収拾に最善を
尽くさせたのだった。そしてこの十年。様々な捜索を経て、ようやく事件の本質がみえてきたのだ。



その確たる証拠が皆城総士、本人だ。



一つ目の目的。
それは、神隠しにあったと騒がれた立木家の次男が
皆城総士と同一人物か否か、を調べることだった。




そして もう一つの目的。
それは立木家次男である総士を、当主のところまで連れて帰ることだ。

神隠し事件から二年経った八年ほど前。 この竜宮ホールで起きた落盤事故の犠牲になった少年が
神隠しにあったとされていた立木家の長男・惇であった。それと同時に、その惇と一緒に
弟の総士が地下牢に監禁されていたという事実が当時明らかになったのだった。
が、弟の総士は 落盤事故をきっかけに 一人、牢から脱出し、そのまま行方知れずとなり
一人の少年の命を尊ぶことしか結果を生むことはなかったのだ。

当時、二人の周囲の人間関係を調べた所、立木家当主に淡い想いを寄せ、妻の死後
二人を疎ましく思っていたとされる使用人統括リーダー、へスター・ギャロップという立木家専属の使用人年長女性が
二人を主に監禁した主犯格として 警察に逮捕され、それに手を貸したとされる数人の男女も含め
現在牢屋に入れられているのだった。

犯人は捕まり、事の真相は 犯人の証言によって語られた。
全ては公になり、事件は犠牲者を出したが 解決に向かっていた。
しかし、唯一つ解決しないことがあった。
次男、総士の行方だ。総士が今現在生きているのかどうか。また生きているのなら、
どうして帰ってこないのか。まだ解らないことは沢山あった。

長男、そして妻を病気で亡くした立木家当主にとって、地位や名誉、金なんかよりも
総士は 大事なかけがえのないたった一人の息子であり、妻の忘れ形見だった。

どうしてもその所在をつきとめたい、大財閥である立木家を他の誰でもない 息子に継がせたい、
当主の思いは尽きることはなかったのだ。




事件の真相が明らかになった現在、大財閥立木家当主は しばらく海外で仕事をこなした折、
再びこの竜宮島へと帰還する。その時までに一人息子の行方、あるいは生存について調べ、
結果に結び付けて欲しい との依頼であった。


そうして しばらく竜宮島に住む住人に関して 調べつくした 
真矢の所属する諜報機関は ある一人の人物に注目していく。

島で話題になっている美少年二人のうちの一人 ”皆城総士”という人間である。
彼は黒の王子として 島の女性に人気を博していた。
”総士”という名前、立木家の次男と同じ歳頃、風貌も何処となく似ているその姿。
諜報機関は 彼に焦点を絞って 捜索し始めたのだ。

案の定、調べていて解ったことは 三つ。
彼は皆城家の養子であるということ。
また 彼のいた児童施設の施設長の証言では 彼には幼い頃の記憶がなく、
ある日突然 施設の門扉のところで蹲っているのを従業員が見つけた、というのだ。
そして いつも決まって一人で どこかへ出かけていたという証言も得られた。


これらの事実と証言を照らし合わせ、謎に包まれた皆城総士という人物に迫る諜報部。
しかし決定的な証拠がないのだ。身元がはっきりしない皆城総士。
彼が本当に幼い頃の記憶がないかどうかは不明だ。限られた時間の中で、立木総士である可能性が極めて高い
皆城総士ではあるが 決定的証拠がない今 何を調べても状況証拠にしか過ぎず、それ以上の結果は得られない。

そのため、本人と友好関係を築き、任意でDNAを検査させてもらえないかどうか、
幼い頃の記憶に関して 深く追随させてもらえないかどうかなど 潜入捜査することにより
本人か否か 確証を得ようとしていた。

もうすぐ立木家当主の仕事が一段落する。
竜宮島に帰還するのも時間の問題だ。それまでに結果を出さないと、
両親、姉含め諜報機関に所属する遠見家全員が 今より過酷な地位に落とされる、
または辞めさせられてしまう可能性がある。家族全員、路頭に迷うのは絶対に嫌だ。

真矢は揺ぎ無い決心を胸に、最後の切り札として この竜宮島に転校してきたのだった。
証拠、確証を得るために。



だが、実際のところ。





「・・・・はぁ。皆城くんとは、性格が合わないんだよね・・」





挑発的な態度。客観的理解。近づけない圧迫感。
皆城総士に実際会うと、そんな印象を受ける。何より。





「私の存在・・絶対疑われてるよ・・・」





思慮深い彼のこと。自分が図書室で母親に連絡を入れていた所をみて、
何かに勘付いている様子だった。少なくとも、このまま彼の傍にいても
 肝心な部分、・・隠している真実を自分に教えてはくれないだろう、と薄々真矢自身察していたのだった。





「あ〜ぁ・・どうしよう・・・」






このままじゃ、家族の行く末が危ない。
真矢は 寝転がっていたベッドから すくっ、と身体を起こすと 
机の引き出しから ファイルを取り出し、じっと見つめた。


ファイルには 二つの新聞記事と 写真が入っていた。
新聞記事は神隠しにあった事件の切り抜きと、竜宮ホール落盤事故に関する切り抜きであった。

そして、写真。 一枚は四歳になる立木総士の写真と もう一枚はーーーーー・・。




「・・・うん!やっぱり接触を待ってたら埒があかないよね。
自分から行かなくちゃっ・・・・!!」




真矢は 大きく頷いて、その写真を鞄にしまった。
と、その時だった。




ピリリリリッ・・・・・



けたたましく 携帯の音が室内に木霊したのだった。








「はい、もしもし・・?!」



慌てて携帯をベッドサイドから掴んだ真矢は体の状態を崩した状態で
ベッドに倒れこんだのだった。



「あ、たたた・・・・・」



鈍い声を出しながら 耳に携帯を押し当てた途端。
大きな声がかけて来た本人から発せられた。





『真矢!現在の皆城総士くんの写真と四歳だった立木総士くんの写真、
左目の傷以外、ほぼシュミレーションどおりに成功したわ!!!』



嬉々とした母親の声が耳の置くまでキーンと届いて鼓膜を揺さぶってきた。



「ほ、ほんと?!!!ていうか、お母さん・・声大きすぎるよぉ・・・」



フラフラと頭を揺さぶりながら 真矢はベッドの上に正座して
改めて 母親の報告を思い直してみた。



「うん・・、まぁここまでは想像どおりの展開だよね!
あと一息ってこと、だよね??」



『真矢、これからは慎重にね!?総士くんとはどう・・?
仲良くなれそう??』



『う〜〜ん・・・、仲良くなる方向性はなしってことで・・』


頬をぽりぽりかきながら、真矢は少し後ろめたい気持ちで返答した。
母はその空気を察してか”そう”と一言返事を返し、続けた。



『とにかく、あと少し頑張りましょう。バックアップするから
真矢はやりたいようにやってね?身体に気をつけるのよ?』


心配そうな声色に”大丈夫、大丈夫”と気丈に返した真矢は
母の想いを胸に 一言いった。



『お母さん、私やっぱり自分から会いにいってみる。
このまま待ってても時間の無駄だもの』



『・・・そう。−−−−そうね・・・・・』



母親に意気込んでそう口にした真矢は 先ほど鞄にしまった
一枚の写真を再度取り出し 手に握り締めていった。







『もしかしたら 何か手がかりがわかるかも しれない。
解ったら必ず連絡するから、待っててね!』




『ーーーー・・えぇ、期待してるわ・・真矢』





明るく振舞う娘の声に 千鶴は優しく頷くのだった。










神様、どうかお願いします。
娘の努力に少しでもいい、希望の光を。





千鶴は携帯電話の通話を切った途端、
手を組んで 天に祈りを静かに捧げた。








全てはもう一人の人物との接触にかかっている。
突破口は、本人ではなく そこしかない。




娘が会いに行くといった その人物。それはーーーー。








「・・・真壁、史彦」











+++



































「綺麗な空・・・・・」




ふと おれが呟いた声に耳を傾けるように 総士はこちらを向いた。



「吸い込まれそうだーーーー・・・」




瞳を閉じて 風を感じてみる。
潮風が冷たく 頬を撫でた。 もう季節は秋。十一月の始めだった。
屋上から見る景色は どれも色づいた葉っぱばかり。つまりは紅葉の季節、なのだ。

不意に、目の前に影が落ちるのがわかった。
瞳を、閉じていてもわかる、彼の存在。





「っ、ンッ、・・・?!」





途端に深く口付けられる。


思わず閉じていた瞳が驚愕によって 開かれる。
目の前に映り込んで来た総士は 端整な顔立ちで、瞳を閉じ、
おれに仕掛けた行為に没頭するみたいに キスを深めていった。




「ぅ、んっ・・、ッ・・」



総士が手に持っていた本が 手元から落ちる。
縋り付くように 胸元に両手を置いて おれはいつの間にか
キュッと 総士の制服を掴んでいた。

総士はというと 空いた両手でおれの腰を抱くと給水タンクで出来た影に身を寄せて
追い詰めた壁におれの身体を押し当てて おれの身体を弄り始めた。



「ぁっ、・・・!!ふ、ぅ、ンっ・・・・総、士ッ・・」



おれは 羞恥心でカァッ、と顔を赤らめると ようやく離れた唇の合間
息継ぎをするように 総士の名前を途切れ途切れ 呼んだ。


総士は高い視線からおれを見つめると 眩しそうに微笑んで呟いた。



「一騎が悪いんだぞ・・・?空に夢中になるから・・・」





少し意地悪な声音で おれにそう呟くと、 総士はおれの額に唇を寄せた。





「な、・・・なに言って・・・−−−」




おれは言われている意味が解らずに ただその行為を受け入れるしかなかった。






「ーー・・・・・・・・僕は嫉妬深いんだ、覚えててくれ」






総士はそういうと、再びおれの唇にキスをしかけてきた。
総士の強引な舌が、おれのそれに絡んでくる。




「っ、・・ふ、ン・・・・・・は、ぁっーーーー」





なし崩し、というのだろうか?
体の全部の力が抜けていく。気持ちよくて、ドキドキして、くらくらする その行為。
壁伝いに おれは地面に座り込む。すると総士もそんなおれに合わせるみたいに
同じ速度でしゃがみ込んで行った。決して唇は離さずに。




「ぁっ、・・・・は、っぁ・・・・」



長いキスの合間に、愛撫。
総士の長くて白い指は おれの全てを痺れさせた。

熱にうなされるみたいに キスの合間 総士の名を呼べば、総士は指で応えてくれる。



「一騎・・・」




いつの間にか肌蹴たシャツから覗く おれの突起に
キスをすると 総士は上気するおれの胸に顔を埋めた。



「ぁあっ・・、ッ」





総士の頭を思わず両手で抱きかかえる。
言い知れぬ快感に眩暈がする。




こんな風に愛してもらえるのは とても嬉しい。
空を見つめて綺麗だと口にしただけなのに 
”空”に嫉妬するなんて 以前の総士なら考えられなかった。



でも、今は多分 親友とか 幼馴染じゃない
特別な関係だから。



”恋人”っていう関係だからーーーこんな風に愛してもらえるんだって思う。







おれは総士の頭をギュッ、と抱えると ため息をつくように
この想いを口から零した。






「好きっ・・・・・、そうし・・・・す、きーーーー・・」





なんて声、出してんだろう。



まるで女の子みたいに か細い声が出る。
自分でも驚くくらい 弱弱しくて 縋るような声。
こういうの・・・惚れた弱みって、いうのかなぁ・・・?





恥ずかしくて、愛しくて・・胸が痛む この感覚が
声に凝縮したように 表情にまで 現れる。


なんだか泣きそうだ、おれ。







そんなおれに気づいたのか 総士はおれの胸元から自然と
顔を離して 真正面からおれを見つめてくる。
先ほどの端整な顔が 少しだけ歪んで 微笑んでいた。


困ったような 総士の微笑に おれは胸が焼けそうだった。




おれの今の言葉・・・迷惑、だったかな・・・?
不安な色を浮かべると 瞬間 総士がおれの頬に唇をおとした。











「あまり可愛すぎると、・・ここで抱いてしまうから・・何も言うな」






静かで優しい声音が 見上げたおれの上から降り注ぎ、
おれをギュッーーと抱きしめた。



力強いその力に おれは何故だか 心地よさを覚えて
総士の背中に腕を回した。




総士は その行為を待ち構えていたかのように、
また おれを抱きしめる腕に力を込めていった。























「幸せ過ぎて・・・・・・・・・・怖いよ」






















総士はそれ以上 何も言わなかった。












+++





















「一騎くん!」






ホームルームが終わり、生徒たちが続々と 
それぞれの家路や部活に向かう そんな時刻(とき)。

不意に呼び止めた 彼女の声が耳の奥で、じんと広がりをみせた。


水色のシャツにエンジのネクタイ。白いセーターはスカートに掛かるほど長く、
少しブカブカな印象を漂わせている。丈が短めのチェックのスカートが風に揺れながら
女性らしさを醸し出し、存在を密かに主張させているように見えたのだった。


紺色の通学鞄を脇に抱えて、カメラを片手に少女は明るい笑顔で
一騎へと近づくと、軽く息を弾ませながら唐突にこんなことを訴えてきた。


「今日、一騎くんの家へお邪魔してもいいかな?」


曇りのない眼差しは 少年を真っ直ぐに捕らえ、逃がさないとばかりに
凄みをもたせているように思えた。
一騎は 突然の訴えに 戸惑いをみせながらも 冷静に少女へと投げかけた。


「・・・なんで?」


ありきたりだけれど今は純粋にそう思った。
だから遠まわしの言葉など思いつかなかったのだ。
真矢は訝しげな表情を見せる一騎に にっこり微笑むとこう切り替えしてきた。


「一騎くんのお父さんって、刑事さんだよね?ーー真壁史彦さん」


「そう、だけど・・・・父さんがどうかした?」



意外な人物の名に、一騎自身 一瞬表情が強張ってしまう。
真矢はそんな一騎を気にするわけでもなく 話を続けた。



「実は協力してほしいことがあるの」


「・・協力?」


「うん。ちょっと急いでて・・一騎くんのお父さんしか知らないことなんだ」



「父さんしか、知らない・・・?」



ますます訳がわからないといった表情を見せる一騎だったが、
目の前に立つ少女の瞳があまりにも強く、燻る炎を宿しているようにみえて、
切迫した状況に立たされているのかもしれないと予想できるほど勢いがあったのだった。

一騎は沢山の疑問を抱えながらも、コクリ、と黙って頷いて


「わかった・・」


と答えるしかなかった。断る理由もないし、何より真矢の真剣さに
後押しされて 半ば流されるしか この場を乗り切ることができなかったとも思えた。



前々から 総士に”気をつけろ”と注意されていた存在。
転入生の遠見真矢。どこか秘密主義の彼女が ここに来て初めて自分に
直接接触してくるなんて 何か裏があるとは思いながらも、
無碍に出来ない持ち前の性格と考え方が相まって 少女の要求をそのまま呑んでしまった。
総士にあとで怒られる気もするが、少女の謎めいた一面を目の当たりにできるかもしれない
という 好奇心と猜疑心が一騎自身の胸を揺さぶって 答えを導き出したのであった。

それに何かと総士を気にかけている彼女。総士の何を調べているのかしらないが、
きっと何らかの目的があって そうしているのだろうということだけは一騎にも理解出来ていた。
だからこそ ここで 彼女の秘密を少し垣間見ることで 総士に関する情報や目的、何をしようと
しているのか 自分が聞き出せば きっと後々総士の役に立つ、総士を守る手助けになると
不思議とそう思えた。多少の接触を試みることによって 何かを掴むことが出来るなら。
一騎は 多少なりとも危険を察知しながら 少女の深層へと歩みを向けることを密かに
決意していた。これも全て 愛する人へと繋がっている。そんな気がしたからだった。







「行こう・・・」




とりあえず、全ては父・史彦と彼女の接触によって動くだろうと判断した一騎は
先を促すように 真矢へと言葉を投げかけた。
真矢は”うん!”と元気な声音で答え、弾むように足取りを軽くさせたのだった。




しばらく 真矢と並んで歩く。
静かな時間が通り過ぎていくようだった。ふと彼女を横目で見ると、少し無理して
自分についてきているように見えた。一騎は瞬間、はっとする。そうか これは自分のせい、なのだ。




「ごめん遠見・・歩くペース、速いよな・・・?」


女の子と並んで歩くなんて久しぶりだったせいか、いつも自分が歩くペースのまま
先を急いでしまっていたのだ。一騎はバツが悪そうに頭を軽く掻くと、すぐさま真矢の
歩きやすい歩調へと切り替えたのだった。



「あ、・・ごめんね一騎くん。気をつかわせちゃったね・・」


真矢も何となく申し訳ない気持ちになり、ごまかすように髪をかき上げると
次の瞬間に、長い指が真矢の髪にそっと触れた。



「・・・・えっ・・?」



ドクン、



大きな気持ちの揺さぶりと共に 心臓が脈を打つ。
目の前には真剣な一騎の表情。
大きな瞳に艶やかな黒髪が潮風に靡いてキラキラと夕焼け色に染まっていく。
突然の出来事に真矢自身 珍しく動揺を隠しきれないでいた。


「かず、き・・くん?」



声が少し上擦る。体中の神経が髪の毛に集中していくような感覚に陥る。
真矢は自然と顔が赤くなっていく自分に気づいていた。



「遠見・・ちょっとじっとしてて」



呟くみたいに声音が虚空へと舞った。
どくん、
心臓が再度大きく脈を打った。
一体どうしたというのだろう?



この感情は、何なのだろうか?



真矢自身、訳がわからず 身体を硬直させていると、
”いいよ”という柔らかい声色が頭上から聞こえた。


ふと目の前に佇む一騎を見つめてみる。
すると一騎は 真矢の視線の先に 主張するように それを掲げて 言ったのだった。



「ほら・・紅葉。綺麗だなーーー・・遠見の髪に絡まってた。」




赤く、熟れたトマトのように色づいていた葉。
真矢の現在の頬と同じ色をしていた。





「あ、っ・・・・・」





そういうことか。
真矢は今の出来事を理解した途端 
盛大なため息をつきたくなってしまった。


大げさに考えていた自分が恥ずかしい。
まるで何かを期待しているみたいに 反応してしまった身体や思考が
今になって恨めしく思う。ただ親切にしてくれた一騎に対しても、変な罪悪感を
抱えなくてはならなくなった自分。穴があったら入りたい、とはこんな状況のとき
使うのだろうと本気で思ったのだった。





「あげるよ これ・・綺麗だし」




真矢が激しい後悔に包まれている一方、
一騎は何事もなかったように 真矢へと赤い紅葉の葉を渡す。
少し 柔らかい微笑みが 場の空気をも巻き込んでいくようだった。





「・・・ありがとう」




まだ少し赤い頬で受け取った 紅葉の落ち葉。
赤々としている その姿は 何故かとても印象的で心に残る。
真矢は鞄の中に 落ち葉をしまうと、あとでしおりにしようと 考え付いた。
気持ちが少し弾んでいる自分がいたが、さほど気に留める必要はないと
このとき 真矢自身感じていたのだった。














+++
























「ーーごめんな、父さんと話・・できなくて」






急な仕事の都合で、帰りが遅くなると一報が入ったのは、真矢が一騎の家に
お邪魔してまもなくのことであった。少し気まずそうに顔を歪ませ、謝る一騎の表情からは
本当に申し訳ないという気持ちしか滲んでいなかった。真矢はそんな真っ直ぐで正直な
一騎の人柄に 小さな胸の高鳴りと、眩しさを心なしか感じたのだった。


「いいよいいよ。一騎くんが悪いわけじゃないもの。
・・急に会いたいって無理言った私の方こそ、迷惑かけてごめんね」


真摯に振舞ってくれる一騎の態度に、半ば強引だった自分の言動が
恨めしくなってきた真矢は、両手を前に振りながら とんでもないという
態度をみせ、一騎に自分から謝罪したのであった。

一騎はそんな真矢を見て、苦笑いを浮かべると


「せめて夕飯、食べていかないか?」


と初めて真壁家に来た客人をもてなそうとしていた。
真矢は 一騎の些細な優しさに触れ、自然と顔が綻ぶのがわかったのだった。



「・・・・ありがとう。じゃあ、・・ご相伴にあずかっちゃおうかな」




自分でも驚くほど素直に、明るい声が出た。
こんな素直な自分、久しぶりかも。
そんなことを 心の片隅に想いながら 台所へと向かう一騎の後姿を
ただただ 一心に 真矢は見つめ続けていたのだった。
















「っんっ、・・・おいしぃぃっ〜〜〜!!」



家庭的なイメージは前々からそこそこあったけれど、
これほどとは。





「そっか。・・・よかった」




静寂の中、ポツリと零れ落ちた一騎の優しい微笑み。
些細な そんな表情に、胸が何故かざわつく。



久しぶりにまともな食事・・・といえるほど、普段はゾンザイな食事しか
とっていない真矢にとって 一騎が作った夕飯のメニューは
とても魅力的で噛み締めるほど素晴らしく美味しい食事の内容であった。

何故だろう。自分は料理が得意ではない。むしろ下手な部類に入るからこそ
こうして 当たり前のように 普通に作ってしまう一騎が こんなに眩しく見えるのだろうか。
目の前に並んでいる料理と、目の前でゆっくりと食事をとる一騎の姿を交互に眺めながら、
真矢は自分の粗末さを反省しつつも 一騎の魅力に引き込まれていっている自分を
第三者のように 冷静に観察していた。


こげ茶色の丸いちゃぶ台。昔風の居間。少し小さなテレビ、ふかふかの座布団。
どこか懐かしく思える畳の匂い。綺麗に整頓されたタンスや食器棚。生活感溢れるその場所は
一騎が過ごしている家。温かな、空間に広がる美味しそうな匂いのする料理たち。
実際に口へと運べば なんともいえない家庭的な母の味に近い品たちが 口の中で主張する。
作ってくれた人物の人柄が自分たちをそういう味にさせるのだ、と。

何故だろう。胸がどこか詰まる。
こんな温かな食事、本当に久しぶりで。
誰かとこんな風に 食事できること事態、とても嬉しくて。
転校してから ずっと仕事のことばかりで、緊張しっぱなしで・・
本当は。・・・・本当はすごく寂しいけど、家族のために頑張らなくちゃいけなくて。
沢山、たくさんーーー我慢しなくちゃいけなくて。

ずっと、寂しくて・・・苦しくて・・・どうしようもなかった。
安心できる場所が欲しくて、たまらなかった。




ご飯にワカメと油揚げのお味噌汁。
肉じゃがにほうれん草のおひたし。ふろふき大根。カレイの煮付け。
トマトサラダにフルーツゼリーまである。


一口、口にするたび 溢れる。
作った人の温かさ。
一口、噛み締めるたび 気づかされる。
自分は今 無理をしているのだと。



ポツリ、ポツリ。


持ち上げた御椀の中に落ちる 温かな雨。
お味噌汁の中に広がる、小さな波紋。
肩が小刻みに震え、呼吸が上手く続かない。

「・・−−遠見・・・?」



自分の向かい側に座るその人の表情が
見る見るうちに驚愕の顔に変わっていく。



投げかけられた 言葉に 耳は反応するのに
言葉が出てこない。


胸がつまって、苦しい。
ずっと心の奥底で求めていた 温かな場所が
今ここにあるという真実が どうしようもなく胸をしめつける。




「っ、・・あ、・・・ごめん、ね・・」




ようやく呪縛が解けたかのように口を開けば
その声は 確かな響きで擦れていて。
みっともないなぁ、と想いながらも 直すことなんて出来なくて。
箸と御椀を静かに ちゃぶ台へと置いて 肩を竦めるように
俯くことしか 真矢にはできなかった。



そうすることで 自分を守るしか 道はないと思っていたのだ。




しばらく、二人の間に 沈黙が訪れる。







静かに泣いている真矢。
そんな真矢の向かいに座る一騎。



柱時計が時刻を知らせる音を 丁度居間に響かせた。
ボーン、ボーン・・・。深い音が、七回。時刻は七時を今しがた回ったのであった。






その音が終わったと同時に、長い沈黙から
一騎がようやく 口を開いた。









「・・・・・遠見が、・・・・遠見がどうして今、泣いてて・・・・なんでそんなに
苦しそうにしてるのか・・・おれにはわからないけど・・・・」






控えめに、呟かれた言葉の端々に ぬくもりを感じる。
温かく、そして深みを帯びて虚空に舞った 言葉たちは

”ここにいるよ”と囁くように 真矢の胸へと沁み渡る。






「でも、これだけは・・たしかに、わかる」







優しい声音に導かれるように そっと顔をあげれば
目の前には 真っ直ぐな瞳。




何処までも、限りなく真摯な 栗色の瞳。








「ーーーー大丈夫だよ、きっと」








強く、前だけを見つめて進む 
温かな光のように それは。








「きっと・・・・大丈夫だから」









酷く優しく、まぶたに焼きつく。








「・・・・かず、きくん・・・・」










不意に、浮かべる 彼の小さな微笑。






「・・・・・・ありがとう・・・・一騎くん」









何故か 胸の奥がギュッ、としめつけられる。









「・・はは、今日の遠見、・・おれに”ありがとう”ばっかり言ってるな?」




「あ、・・・そう・・・だね」





「おれ、大したことしてないよ」




「そ、そんなこと・・・!−・・・ない、よ」





穏やかな口調で話す一騎の言葉に、思わず真矢は慌てて続けた。
自分の感謝の気持ちを 少しでも、わかって欲しくて。


自然と、涙は止まっていた。




一騎は慌てている真矢を見て、くすっ、と小さく微笑むと
”そっか”と ため息混じりに呟いて ほっとしたように言の葉を紡いだ。









「よかった、−−−いつもの遠見だ」
















目の前が明るい光に包まれるように。
それはどこか春風に似ていて。



胸の奥で確かに息吹いた その気持ちを
確かな実感へと映り変えていくようだった。









”ありがとう”










ふと、その言葉が頭の片隅に浮かぶ。














一騎くんへと知らぬ間に 紡いでいた その言葉が
一つずつ、胸の中に降り積もっていくようだった。













ねぇ、お母さん。
聞きたい事があるの。





この気持ちが、この言葉が 胸の中に降り積もって
いっぱいになって・・・私の中から溢れたら、



この気持ちは・・・・言葉たちはーーいったいどうなるの?





何処へ還っていくのだろう・・・・。












ねぇ、もしかして。



























”ありがとう”









が、少しずつ降り積もって













『愛』になるのだろうか・・


















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こんにちは!青井聖梨(あおいせり)です。
久しぶりのつづきとなりました。このシリーズも長いですね。
半分折り返しまして、ようやく謎の殆どが消化されていくところまできました。
残りあと少しです。総士と一騎の関係はもちろんのこと、真矢の心情の変化にも注目して
読んで頂けると幸いです。ファフナーの劇場版が公開され、ますます目が離せない二人の
甘くも切ない関係と雰囲気に少しでも近づけられるよう オリジナルストーリーながら
頑張って書きたいと思っています。それではこの辺で!!読んで下さってありがとうございました!!


青井聖梨 2011・4・1