いつか



こんな日が来るんじゃないかと思ってた



















Dear、ファントム〜第二章『闇と光の均衡』〜




















「好きです・・」







静まり返った図書館に、淡く咲く声の花は
ある人物にだけ向けられた特別な言の葉であった。


肩に掛かるほどの黒髪を沈めて、彼女は床下へと俯くと
顔を林檎色に染め上げて 小刻みに身体を震わした。

緊張、そして期待。
全ての感情が彼女の思考と伝達機能を支配し、
彼女を萎縮させていく。



「・・・付き合ってください」




か細い声は、あまりにも頼りなく、そして信じられないほど
聡明な色で虚空に燦然と輝いた。


彼女の煌く言の葉とは対照的に、目の前に佇む少年は
濁った言葉を幾度となく繰り返す。
彼の心層を知るものなど、何処にもいない。
ただ彼は、欺瞞と怠惰を呪いながら 呪文のように
呟くだけであった。・・相手の心すら、道具扱いするように。




「僕には他にも付き合っている女性がいる。
・・それでも僕と付き合いたいというのなら、僕は君を受け入れるよ」



何度も繰り返す、ジレンマ。
純粋さも洗練さも、優麗な心理すら今はもう、失いかけて
全てが闇に堕とされていく。


彼を守るために生きる自分。
そして、彼を見守り続ける自分。
決して踏み越えてはならない境界線を保つために必要な
擬似恋愛の産物たち。


いつか逝きつくであろう地獄の彼方に、
彼女たちの憎悪が待っていても、自分は喜んでその中心に飛び込もう。
覚悟ならば、とっくの昔に出来ていた。

だからこそ、繰り返す。
偽りすらも通り越して 悲しみを宿す、その言葉。
彼女たちの自由を拘束する、魔法の言葉。


尊厳を呪ってはいけない。
皆城総士という存在を呪うべきなのだ。


総士は 静かな冷然とした面持ちで、想いのカケラを口にした、
少女へと答えをさらりと返すのであった。




「・・・・・・今は・・・それでも構いません」




か細い声の主は、急に芯を持った呟きで、総士を一瞬
驚愕させたのだった。




「今はーーーー・・?」



少女が呟いた一言に反応を返す総士。
いつも告白してくるタイプの子とは、明らかに違っていた。

先ほどまでは弱弱しくみえた彼女であったが、
視線をこちらに合わせてくれば 全てを見透かす眼差しで
総士を刹那、圧倒してきたのだった。



「−−−・・いつか、総士先輩を私だけに振り向かせてみせます!」



透き通った声。少し鋭く見える、くっきりとした瞳、
肩にかかる黒髪が意思表示でもするかのように
微かに揺れて、空中に靡いた。


総士は、少し苦笑いを浮かべると 先ほどと
見る印象が瞬時に変わった気丈な彼女に一言紡いだ。




「・・・期待してるよ」




その瞬間。
総士の微笑みに、彼女は綻ぶ花となった。






「竜宮学園中等部二年、立上芹です。
宜しくお願いします!!」











彼女の声は、いつまでも残響となって
館内に響き渡っていた。









+++














「・・ただいま帰りました」




壮大に広がる屋敷内は、赤い絨毯にシャンデリアと
煌びやかで、黒の王子に似つかわしい場所であった。

靴を脱ぎ、スリッパへと履き替えると 従者たちが
黒の王子の帰宅を歓迎し、待ち侘びたと云わんばかりの
張り切った声音で 一声を発した。



「総士様、お帰りなさいませ」



皆城家の執事頭である早乙女は、挨拶と共に深々と
頭を下げ、他の従者たちに合図を送ると、
総士が持っていた通学カバンを自然と手に持ち、
大広間へと促すのであった。


「総士様、皆様がお待ちです。どうぞ大広間へ
そのまま移動なさって下さい」



「・・わかった」




足早に長い廊下を歩き、左に曲がる。
すると眩い光沢が瞳に飛び込んでくる。
大広間である。


室内には数々の絵画や彫刻が装飾されており、
見るものの心を豊かにする。
室内中に漂う、季節はずれの甘い金木犀の香りは、
母親がつけているコロンの香りである。

ダイニングテーブルの奥の座椅子に座るのは
威厳と誇り高いプライドを兼ね備えた、皆城家の当主、皆城公蔵だった。

そのすぐ傍らに存在を示すのは、公蔵の妻、鞘である。
そして その二人から少し離れた場所に席をとっているのは
自分よりも学年が一つ下である、妹の乙姫であった。






「ただいま戻りました」



形式ばった物言いに、皆城家の面々は 苦笑しながら
総士を労い、迎え入れるのだった。



「総士・・おかえりなさい。さぁ、お夕食にしましょう!
こちらへ座って頂戴?」


スッ、と席を立った鞘は 総士を席に座らせると
料理を運ぶ手筈をとっていた。

総士の隣にいつの間にか座った乙姫は 今日あった出来事を
報告するかのように詳細に語り明かすのであった。


乙姫の話す内容は、専ら自分が通う
名門のダンス専門学校であった出来事に他ならない。


皆城家の当主である公蔵は医者であるがために
殆ど家にいない。そのためか、家族とのスキンシップを
はかる時間が極めて少ないのである。

だからだろう。
こうして家族が集まったときは 出来る限り書斎には篭もらず、
自分の娘や息子の話、妻の意見を尊重しようと努めているのは。

しかしそれは公蔵だけでなく、鞘にとっても同じことであった。
鞘は 有名なオペラ歌手のため、国内のみならず海外へ渡ることも
しばしばあるのだ。家を留守にしない方が無理というものである。

なので、本当にたまにではあるが、こうして家族が揃ったときは
仕事のことを一切忘れ、家族の声に耳を傾けることだけに集中している
姿勢を 子供たちに見せるのだった。



二人の、家族を想う絆を察している総士は、乙姫の話を
一緒になって 微笑ましくいつも聞いている。

しかし、現実と環境が必ずしも上手く結びつく、
という訳ではない事を 総士は痛いほどよく知っていた。


例外など、ほぼ皆無なのだ。




「乙姫・・すまない。少し僕に時間をくれないか?」


話を中断させてしまったことを申し訳なく思いながら
総士は乙姫の視線に目配せをして、詫びるのだった。



「いいよ?・・珍しいね、総士が何か話題を持ち込んでくるなんて」



乙姫は甲高い声色を虚空に撒きながら、
嬉しそうな表情を作って 総士を見つめた。


総士は乙姫に”ありがとう”と呟くと、真剣な面持ちで
父親の方へと姿勢を正して云った。




「進路の事なのですが、高等部へ進学するに当たって
戸籍謄本が必要です。そちらで手配して頂いて宜しいですか?」



淡々と語る総士に、公蔵は困ったように微笑むと
”あぁ、もちろんだ”と呟いた。
当主の傍らに座る鞘の面持ちに少し影が浮かび、心配そうに微笑んでくる。
が、声色はどこまでも優しく 憐憫さなど微塵もなかった。





「総士、貴方は私たちの大切な息子です。
どうかいつまでも、それだけは忘れないで頂戴ね?」




「はい。・・・もちろんです」




柔らかく微笑む母親の姿が胸の奥に染み渡る。
近くに座っていた乙姫が、急に手を握ってくると
華やかに微笑みかけてくれた。


奥の椅子に深く座る父親すら 眼差しは柔らかい。



皆、総士を受け止め、家族という絆を認識し合っている証拠である。
どこまでも優しく温かな家族たち。総士は、本当の息子或いは兄のように
慕ってくれる この家族に心から感謝することしか出来ないでいた。

返せるものは少ないが、少しでも恥じない家族で在ろうと
総士なりに家柄に合わせて自分を繕ってきたつもりだった。

その結果が、”黒の王子”なわけではあるがーーー。


家族の負担にならぬよう、家族に見合う自分であるように。
家族がそれを求めてきたわけではない。
そうあるべきだと自らが悟ったのだ。

そのために、たとえ本当の自分を隠し偽ったとしても
こんな自分に微笑をかけてくれる家族たちに
ささやかながら、恩返しできると思えば 苦痛ではなかった。

罪悪感を除いては。







「さぁ、頂きましょう!!」






鞘の掛け声と共に、温かな湯気を空に昇らせて
数々の料理が食卓を賑わす。
知らぬ間に広いテーブルがお皿で埋め尽くされ、
皆の食欲をかきたてる。


ナイフとフォークを手に持って、”いただきます”と声を合わせて
言の葉を零せば、本当の家族のように第三者からは見えただろう。



総士は家族の顔を1人ずつ丁寧に見つめ流すと
静かに瞳を細めて呟いた。




「・・・ありがとう」









父さん、母さん、乙姫。
皆、僕の大切な家族。





だけど、僕は・・・皆城家の本当の子供ではない。




そして。






僕は、彼らすら利用しているんだ。
僕の”彼女たち”と同様に。








『皆城家の長男』









これが僕の、

君に贈る第二の保険だよ。







・・・・・一騎。











+++


















雨音が忙しなく聴こえていた時期を過ぎ、
季節はもう目と鼻の先で移り変わろうとしていた。

しん、と静まり返った館内は 二人だけの空気を作り上げ、
不思議な緊張感と圧迫感を少女の胸に与え続けていた。

それは自分の隣で書物に目を通しながら、勉強を見てくれている
恋人の雰囲気に、中てられているせいだと間もなく少女は自覚するわけだが。
彼女自身、不思議とその感覚は嫌ではなかった。
それすら幸福に感じてしまえる自分が、憎かったのだ。

傍らに佇む恋人の意識を自分だけに向けさせてみせると
啖呵をきった二ヶ月前。
自信は確かにあったのに、日々を過ごしていく中で
立場意識が逆転してしまう出来事、めげそうになる事実が
彼女の行く手を阻んで、足元に零れ落ちる毎日。


瞬間、瞬間を刻んでいく記憶と感情が
哀しいくらい、皆城総士に全てを捧げていく始末。

次第に 自分の全部が彼へと呑みこまれていくのが
日々を重ねて やっと解かったのだった。


会えば会うほど好きになる。
話せば話すほど知りたくなる。

離れる時間が寂しくて、毎夜夢に出てくるのは
彼のことばかり。



好きにならないように、これ以上、好きにならないようにと
自制をかけても 歯止めが利かない愚かな恋心を
彼は密かに気付いているのだろうか。

いっそ笑い飛ばしてくれたら どんなに楽だろう。
でも。それすらありえない現実。


黒の王子は、傍らにいる私のことなんて見ていない。
気にかけてすら・・・いないのだから。


表面上では”素振り”を装っているけれど
内心では 違う。




彼をいつも見つめているから解かる。
彼のことが好きだから、・・・わかる。




皆城総士は いつもどこか遠くを見つめている。




焦がれるような瞳で。
手の届かない存在を見守るようなーーー儚い色で。




いつも、宛てもなく、その瞳を彷徨わせているのだ。







「総士先輩・・・ここ、教えてもらえますか?」




静寂を打ち破った自分の声が 虚空に消えて、
その人の耳に届いた。

隣に座り、書物に目を通していた視線が 完全にこちらに向く。
”どれ?”ーーと甘く擦れた声色に 心臓を突き刺された気分だった。

芹は 髪をかき上げ、こちらを覗き込んでくる琥珀の双眸に
胸を高鳴らせながら、わからない問題を指差した。



「源氏物語か。−−『もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖
うちふりし心知りきや』ーーーこの文を訳せばいいのか?」


「あ、はい・・・」



「そうだな、・・・”もの思いの苦しさで立って舞うことなど
できそうにないこの身ですが、袖を振って舞った意味がおわかりになりましたか”
ーーー訳すとこんな感じかな。・・・わかった?」



「な・・・なんとなく」



芹はスラスラと訳してくれた総士の答えを書き写すのに必死で
意味を理解するまで頭が回らずにいた。

そんな芹に苦笑しつつ、総士はできるだけ易しく答えを返したのだった。


「つまり源氏は 苦しみすら厭わずに藤壺へと親愛の情を示したってことさ。
・・それほど深く彼女を愛していたんだな」


「・・・・・・・・・そう、ですね」



少し言葉に詰まった芹の表情が どこか切なげに見えた。
総士は目を丸くすると、隣に佇む彼女へと言葉を投げかけた。



「どうかしたのか・・?」



そう口にした途端、芹は困ったように微笑んだ。




「源氏って・・・・・総士先輩に似てますね」




彼女の口から零れた言の葉に
どれほどの哀愁が漂っていただろう。

諦めきれず、ただ一筋の光を宛てもなく彷徨い浮く想いのカケラ。
胸に染み渡るほど強力な引力を秘めていた、小さな言葉だった。




「・・・・・・・そう?」



総士は平静を装いながら 薄っすらと芹へ微笑みを零していた。
もう手遅れだと云いそうになる。


自分の全ては ”彼”にしか暴けない。
”彼”にしか捧げることができないのだ。


もう・・。




芹が総士を想ってくれているのは痛いほど総士自身感じていた。
けれど応えられないのだ。どんなに彼女が頑張ったとしても。
心がもう、彼を知ってしまった その瞬間から
全ては終わりを告げていたのだからーーー。





「はい・・。手に入らないモノに焦がれている・・・・
ーーーーそんな感じがします」




「・・・・・・・・・・・・・・・−−そう。」






短い言の葉に、ありったけの想いが溢れた。
彼女の鋭い眼が少しだけ 総士の心を見透かした気がして
ただ、苦笑するしかなかったのだった。





不意に、空気が変わる。







「総士先輩・・・っ」





キュッ、と服の袖を掴まれ、少しだけ驚く。




「ん・・?なに・・・?」



優しく微笑めば、目の前の双眸は緩やかに揺らいで
求めるような色を宿す。





「−−−−・・・キス、して下さい」





甘い響きで 辺りの空気を巻き込む。





「・・・・・・・いいよ。君が望むなら」






そう言って 総士は顔を近づける。




けれど、言葉とは裏腹に。
 近づいてくる顔を正面から見据えて、
少女は静かに・・・・泣いていた。






琥珀の双眸が自然と細まり、一心に自分を見つめてくる
その熱い視線を ただ直向に総士は 受け止めて呟いた。








「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・僕を試して、何かわかった・・・?」





突き放すような、踏み込むような 一言に
もう込み上げる想いを止めることはできなかった。












「−−−−っ、・・・・・・・・・・・・・・苦しいです・・」








「・・・・・・・・・」










悲しみより、何より。
彼を想う愛しさが勝ったことが・・苦しかった。









「お願い・・・・・、総士、先輩・・・・っ、私を・・・見、てーーーーっ・・」





嗚咽交じりに聴こえる ずっと吐き出せなかった想い。
どうしても今、伝えたかった。






隣にいるのに、貴方は遠い。



いつも・・・遠い何かを求めて、こちらを見ようともしない。
私が送った信号に ・・気付きもしない。





「お願い・・・・・・・・っーーー・・・」






少女の苦しみは 限界に近づいていたのだ。











二人でいるのに、
心の中は いつでも独りだった。









「・・・・・・・・・・・・・・・ごめん」

















哀願すら、届かない。






彼には。












「ーーーー・・これ以上、君に傷ついて欲しくない。
だから・・・・君から云ってくれ」







”別れよう”と。









静かに行く筋もの涙を零し、顔を歪ませて嗚咽を漏らす
彼女の様を 痛ましい瞳で見つめる総士。


さよならを云うのは自分であってはならないと思った。
自分が云えば、彼女は『捨てられた』ことになる。

周囲から見れば、どう見ても粗末に思われてしまうだろう。
けれど彼女が自分を『捨てた』立場ならば・・。
多少の嫌悪は付いて回るが、プライドだけは維持できる。
そして、立場上 強攻な印象が付き、一種のハクがつくのだ。
だから・・・・。



唯一彼女を救う手立てとして、今は
彼女が別れを告げるーーーこの選択肢しか残されていないのだ。





なのに。






「・・・・・・・だ、めです・・・・。私には、・・・・できません・・・・!」




縋りつく肢体が弱弱しい声を辺りに散漫させていった。




「どうしてーーーー?」



冷静な声音と共に 客観的な顔つきになる。
俯き、涙を零す芹の苦悩が痛いほど伝わってくる。


総士の胸に寄りかかるように預けた その身体が
小刻みに震えているのがわかる。





「ずっと・・・・初めて貴方を見つけた日からずっと・・・
憧れて・・・忘れられなくて・・・・わたし・・・・っ・・・」



嘆くように響く。悲鳴のように聞こえる。
彼女の想いが、感情が、言霊となって 空に還る。




「初恋なんです・・・・っ、・・・総士先輩の傍にいられるなら・・私、
苦しくても・・・かまいません・・・・。−−−・・貴方が好きなの」





”お願い・・・・”





小さく消えた最後の呟きと同時に

彼女の身体は椅子から床に滑り落ちた。






支えきれず、総士も一緒に椅子から外れ落ちる。








「・・・・・・・・芹・・・バカだな君は・・・・どうしてーーー」







震えるように零れた名前。
でもそこには悲しみしか映らなくて。




床に幾つものシミを作る彼女を腕で支えながら
総士もまた、俯いて 瞳を静かに閉じた。




総士の微かな声を頼りに、竦んだ肩を持ち上げて
芹はそっと 言葉を紡ぐ。






「−−−−−−・・・人を好きになるって、そういうことでしょう・・?」







弱弱しくも精一杯の力で顔を上げて 総士を見つめた彼女。
総士は閉じていた瞳を瞬時に開くと 切なさに瞳を細めて囁いた。

























「そうだな・・・・・今、思い知ったよ」














傷ついても、傷ついても、求めてしまう その人。














忘れられないのが罪なんじゃない。
















忘れてしまうことが








罪なんだ・・・。





















+++


























「こほっ・・・こほっ・・!」






初夏の日差しを背に、フラフラ身体を左右に動かし道を行く少年が一人。
危なっかしいとはこのことである。


誰もが手を差し伸べようと伸ばすけれど、明るい笑顔を振りまきつつ、
当の本人は気にも留めない奥ゆかしさ。周囲の人間は平常心を抑えるのも一苦労である。

”麗しの君”兼”白の王子”である彼、真壁一騎は
持ち前の元気と明るさで 風邪すら吹き飛ばしてしまえると変な思い込みをする人であった。
だが、現実はそう簡単ではない。 身体がいよいよ傾きかけて来た、その瞬間。




力強い手に、腕と身体を包み込まれたのだった。





「一騎・・・大丈夫か、おまえ?」





「・・・・・・・へ?」





薄っすらと赤らんだ顔を背後に向ければ、見慣れた端整な顔立ちの
王子様が スラリと綺麗に佇んでいた。




「総士・・・・」




ぼーっとする頭。霞む意識の彼方で 低く擦れた声を聴く。
長いカーキ色の髪を夏風にそよがせ、困り顔で覗き込んでくる この幼馴染は
黒の王子と周りから呼ばれている学校始まって以来の天才だ。

来るもの拒まず、去るもの追わずの彼は 博愛主義者であり、
どこか気まぐれで落ち着いた性格の変わり者だった。



「大丈夫だって・・・おれ・・・こう見えて体力はある方・・、だし・・・・」



はぁはぁ、と息を上げて応える様は どうみても病人そのものだ。
総士は浅いため息を虚空に吐くと 即座に一騎の前に屈んで見せた。




「・・・ほら、おぶされ。保健室までいこう?」




急にそう提案した幼馴染の動作に 羞恥心を掻き立てられた一騎は
軽くそっぽを向いて 総士に答えた。



「や・・・やだよ!子供じゃあるまいしっ・・。一人で歩けるって・・」



赤い頬を更に赤く染め上げて 一騎はバツの悪い表情を作った。
周囲からは熱い視線が注がれている。


こんなに注目された中で、大の男がオンブだなんてかっこ悪すぎるだろ。
一騎は心の中で悪態を吐くと、ズンズンと一人で進んでいこうと試みた。



が。事態はそう思うようにはいかないものだ。



フラフラの足がガクン、と力を失って 地面に着こうした刹那、
先ほどより強力な力で 身体を引き寄せられたのだった。




「うわっ・・・・!?」



突然  一騎の身体が宙に浮いた。
と思うが早いか 同時にもう 彼の肢体は抱え込まれていた。




「そっ・・・・・総士!!!?」




オンブなんていう次元ではない。



最早お姫様だっこ、という悪化の岐路、まっしぐらであった。






「なんだ・・・?文句いうなよ。お前がおぶさるのを
嫌がったんだろう・・・?」



非難めいた声を撥ね退けるように 颯爽と言い切る黒の王子の潔さに
一騎は圧されてしまうのだった。




「〜〜〜〜で・・・・でもっ・・・!」



何もお姫様だっこする必要はないはずである。
彼には、腕を肩に担いで運ぶという選択肢はないのだろうか?
一騎は心底疑問に思った。




「煩いぞ。お前はだまって僕に掴まってればいい」




妙に強気な目の前の幼馴染。
よくみれば・・・心配そうな表情をしていた。








「・・・・・・・・・・・・・うん」




素直にそう答える。





こうして運んでくれるのは、他の何者でもない。
彼にしか表せない、彼なりの、・・優しさの形なのだ。





一騎は 総士の心情を察して、沈黙を守った。




総士は 静かになった一騎に視線を少し落とすと、
優しい声音で言い零した。






「もうすぐで保健室だから・・・・」









 登校生徒の間を綺麗にすり抜け、
総士は学校の門を足早にくぐったのだった。


































カラッ・・・





軽快な音が辺りに響いたと思えば、即座に室内はしん、と
静まり返っていく。どうやら保健室には誰もいないようだった。
人の気配が見られない上に、物音一つ聞こえない。
まるで日常から切り離された隔離空間とも思える印象を与える場所に見えた。



「まだ保健医は着ていないようだな。・・・とりあえず、
ベッドを借りよう。ほら、横になってーーーー・・」




室内に入るや否や、総士はてきぱきと状況を把握し、
一騎の身体を安静にするため 行動を起こす。

促されるまま、一騎は素直にベッドに上がると
重い身体を横たわらせたのだった。

意識がボーっとするだけでなく、身体のダルさから
思うように身動きがとれない一騎は”はぁ”と大きなため息を吐いて
体温計を探している総士へと視線を向けた。





「・・・総士・・・・ごめん、な・・・」





聴こえるか聴こえないか解からないほどの
擦れた声で そう呟けば、体温計を見つけてこちらに
近づいてくる総士が 苦笑して返答してきた。





「いいから。・・謝るな」



短くそう口にした総士。
その表情は 未だ心配そうな顔つきのままであった。


一騎は複雑な想いを胸に、手渡された体温計を 肩脇に忍ばせて
体温を測り始めた。体温計を手渡されたとき、
微かに触れた総士の指先の冷たさを 噛み締めながら。





暫くジッとしていた一騎の横に 椅子を持ってきた総士は
一騎が伏せているベッド周りにある白いカーテンを ゆっくりと引き、
近くに見える窓を少しだけ開けた。


そよそよと流れるように室内へと入ってくる通り風が
夏の香りを鼻先まで運んできてはすり抜ける。

心地よい音楽のような風の感覚に 総士は瞳を細めつつ、
静かに椅子へと腰を下ろした。

近くにはおとなしく横たわる一騎。
密室ともいえる、二人だけの空間。
広がる時間と空気に身体ごと呑みこまれていくようであった。



不意に、機械音が忙しなく、ーーーなる。




ピピッ・・・・ピピッ・・・・








どうやら体温を測り終えた体温計が
その存在を知らせるかの如く 主張し始めているらしい。




「見せてみろ」





そういって、手を出せば、躊躇いがちながらも
一騎は云うとおりに 肩脇に差し込んでいた体温計を出し、
総士へと手渡した。




体温計が示す、数字をしっかりと確認してみれば。







「・・・・・・38度9分。−−高いな・・」








思った以上に発熱を催している一騎に対し、
総士は軽いため息を吐くと、すぐさま立ち上がった。





「・・・総士?」





急に立ち上がり、離れていこうとする総士に
多少の不安を覚えた一騎は 腕を伸ばして幼馴染を引き止めた。





「−−−・・氷枕をもってくるだけだよ」






出来るだけ安心するような声音で静かに耳元で囁いてみせる。
病人の身の上なのだ。きっと少しは心細くなるに違いない。
総士は一騎を安堵させるため 薄っすらと微笑みを零して
伸ばされた腕を制止したのであった。




「・・・・・・うん」




理解したのか、伸ばした腕を引っ込める一騎。
うつろな瞳が密かに揺らいで なんとも慕情的だ。

総士の鼓動が、早くなる。








氷枕を作るため、ベッドを離れた総士だが 滅多にこない
保健室の内情等知る由もない。どこに何が置いてあるのか。
まず把握すべき事から始めなくてはならないのが少しだけ
総士の気持ちをイラつかせた。



そのときである。





カラッ・・・・・









再び木霊した その聞きなれた音に
総士は素早く振り返る。





保健医がやっと出勤してきたのかと思えば、
違う意味で見慣れたその姿の人物が扉付近で佇んでいた。
どうやら相手も驚いているようである。






「総士先輩・・!」






流れるような黒髪が 肩で揺れてはそよいでいる。
はっきりとした優美な顔立ちに スッと綺麗に立つ彼女は
総士の彼女たちの中の”一人”であった。







「芹・・・・」






意外な人物と顔を合わせるものだな、と総士は思う。
芹は 視線を感じつつも足を部屋の中へと進めると
”どうしたんですか?”と聴いてきた。


総士は 少しの期待を胸に 氷枕を作りたいのだと云う事
を彼女に伝えてみた。すると芹は 驚きながら言った。




「熱・・あるんですか?保健室は結構来たりするので
私作れますよ。先輩、寝ててくださいーーーー」



突然慌ててそう言い募る彼女の動作が忙しないものへと
変化したのは きっと総士が熱を出していると勘違いしたからであろう。
ベッドの方へと押し込めるように背中を押す芹に動揺した総士は
彼女の勘違いを急遽正すより他ならなかった。



「違うんだ。僕じゃなくて・・・友人がーーー」




そこまで言って 言葉を濁す。
微かに遠くから寝息が聴こえてきたからである。




総士は背後に居る芹へと合図を送る事を試みた。
人差し指を口元に当てて 声を出さないように、と。


すると芹は 察したように深く頷いた。


すっ、と総士の傍を離れ 手際よく氷枕を作りに掛かる。
どうやら本当に保健室によく来るようだった。





そうこうしている内に出来た氷枕を総士の前に持ってきた芹は
”どなたが横になっているんですか?”と小さな声で聴いてきた。


総士は、”一騎だよ”と心配そうに微笑んだ。
そして、”ありがとう・・”と一言添えて、氷枕を受け取った。

静かな足音を忍ばせて 白いカーテンを人一人分ほどの隙間に開ける。
隙間から覗いた一騎の寝顔を 密かに遠くで見つめていた芹は
白の王子の麗しさに 感嘆の息を漏らしてしまう。


綺麗なだけでなく、どこかあどけない可愛さを漂わせている その表情に
胸が自然と高鳴るのを 芹は感じていた。
さすが白の王子である。

瞳を惹き付ける存在、というよりも その鮮やかさに魅入られる
といった方が正しいのではないか と思わせられる。



一騎の頭の下へと氷枕を敷いた総士は 
遠くからこちらに視線を送ってくる芹に 軽く会釈をして
カーテンを閉めたのだった。



突然見えなくなった二人の姿。
総士から軽く締め出された感覚に陥る。

そうではないとわかっているのに、釈然としない距離を
芹は感じていた。


とにかく、自分の用事を済ませなければと思った芹は
保健室の戸棚を開けて、流し場に置く石鹸を幾つか取り出した。
彼女は今日、日直であり、日直は流し場の管理も任されているのだった。
流し場の石鹸補充という役目は 各クラスの日直等が分担して
行っている きちんとした仕事である。



芹は石鹸を手に持ち、そそくさと保健室を出て行こうと思った。
が、どうしても今日中に総士に伝えたいことがあったため
ベッド付近で足を止め、カーテン越しに呼びかけた。




「総士先輩・・・少し、・・・・いいですか?」





躊躇う声に導かれるように 総士は白いカーテンから
顔を覗かせた。シャッ、と気持ちのいい音が周囲に散漫する。



「どうかした・・・?」




落ち着いた声色を響かせて、目の前に立つ総士に
少女は圧倒され始める。
しかし、今勇気を搾ることをやめれば、後悔すると芹は思った。
俯き加減の顔を上げて、彼女は 声を震わせつつ、口にした。





「今日・・・・7月8日は・・・私の誕生日、・・なんです」




恥じらいを見せてそう言った彼女の言葉に
総士は瞬間、−−苦い表情をみせた。







「あっ・・・・・・・・、すまない・・・その・・・」




”知らなくて”




困り顔で少女の機嫌を伺う黒の王子は
やはりどこまでも王子様であった。

落ち着き払った空気と同時に 乙女をくすぐる甘さが
ほのかに漂っている。それこそ、何でも許せて
しまうようなーーー壮絶な甘さが 声色に覘いていた。



芹は総士が勘違いしているのではないかと
慌てて言い改めて、言葉を選んだ。




「あ!・・違うんです。プレゼントが欲しいとか、お祝い
して欲しいとか・・そんなんじゃないんです・・・!!」



顔を赤らめて 否定する芹に対し、総士は不思議そうな
顔つきをして 彼女の言葉を待ったのだった。
芹は 黙って聴いてくれる総士の様子に ほっと胸を撫で下ろして
はにかむように微笑んで見せた。



「ただ・・・少しでも私のこと、知ってほしいなって・・・
思っただけですからーーーー・・・」




少女の健気な言葉と真っ直ぐな想いを
目の当たりにして 総士の胸は少しだけ痛みを走らせていた。



暫く、沈黙が二人の間に訪れた。




気を悪くしたのではないか。
芹は段々と深みを増す沈黙に 不安を覚え始めていた。
が、次の瞬間ーーーその不安は空気へと溶けていく事となる。







「・・・・・お祝いしようか。せっかくの誕生日だし、・・な?」






思わぬ総士の問いかけに



芹は持っていた石鹸を床へと次々に落としていった。





「あ、・・・・落ちたぞ・・・?」





石鹸に意識が思わず向いた総士は バラバラと落ちる石鹸たちに
そっと手を差し伸べて それらを腕に包み込んでいた。



拾い上げた石鹸を 彼女に渡そうとした そのとき。



顔を真っ赤に染めあげて、瞳を潤ませている芹の姿が
瞳の奥に飛び込んできた。




「・・・・・・せ、り・・・・・?」




名を呼べば、彼女はビクッと反応をみせて
動揺を押し隠そうとしていた。






「すっ・・・・すみません・・・!!嬉しくて・・・私っ・・・・。
総士先輩がーーそう、言ってくれるとは・・・・思わなくて・・・・」




込み上げる涙を 零れる前に 袖で拭い取った芹は
深々と一礼をすると、総士の手から石鹸を貰い受けて




「今日・・・・放課後に、三年生の昇降口前で・・待ってます!」


と透き通った声と瞳を輝かせて保健室を出て行った。




あまりに素早い出来事で 半ば呆然としていた総士であったが、
彼女の純粋さと一途さに 苦笑を漏らさずにはいられなかった。




あんな風に真っ直ぐ大切な人を求めることが出来たなら、
どんなに素敵なことだろう。


羨ましくもあり、切なくもあった。



届かない想いに・・・・胸が焼ける。




どう繕っても、彼女を心から愛すことが出来ない自分がいる。
既に心奪われている自分は、最早彼女と同じ立場にいながら
求めることすら許されない人間なのだ。


改めて確認させられた気がした。





自分に向けてくれる彼女たちの想いと
醜く歪んだ 自らが持つ、呪われた想いの輝きが

あまりにも違うということを。





締め付けられる胸を軽く手で押さえた総士は
落ち着いた表情を取り戻すため 大きく深呼吸をひとつ、した。


そうして、再び白いカーテンの向こうへと足を踏み入れる。
と、待っていたのは 可愛い寝顔ではなく、真摯にこちらを見つめる
栗色の双眸であった。





「・・・・起きたのか・・?」




そう零せば、ふわっとした微笑みが返ってきた。



鼓動が、弾む。






「可愛いなぁ・・・彼女。新しいお前の恋人・・・?」





別に隠していた訳ではない。
ただ、言う機会がなかっただけだった。


誰が言えるだろう?




自分には、また新しい彼女が出来ました・・−−なんて。
その相手が 本当の想いを寄せる相手であれば
尚のこと 言う気にはなれないだろう、普通。





「・・・新しい、というか・・二ヶ月前に告白されてさ。
良い子だよ・・・・・・彼女」







平坦な声音にならぬよう、出来るだけ注意して紡いだ。
声のトーンの不自然さを埋めたくて
明るく表情だけは繕うことを決めた。




一騎は、”そっか”と短く答えたあとに
考え込むような仕草をいきなり取った。






何事かと総士は 目を丸くして椅子に腰を下ろした。






「どうか・・・・したのか・・・・?」





怪訝な声に訝しげな表情を作って 幼馴染に
そう訊ねれば 一騎は大きなため息を吐いて言った。






「・・・・・いいなぁ・・・お前。あんな綺麗で可愛い子と
恋人同士でさーーーー・・なんか羨ましくなってきたよ」








唐突な一騎の言葉に 総士は半分笑って返した。






「見てたのか・・?人が悪いな、お前」





総士のイタズラめいた言葉に、一騎は批難を漏らして返事を返す。





「違うよ!見えたんだって・・!ほんの少しだけ・・・・」




熱で顔を上気させた一騎は 総士の意地悪に更に顔を赤らめた。
総士はくすくす、と笑いを零すと 『わかったから』ーー諭すように再び紡いだ。






総士の中に垣間見える余裕のカケラ。
しかし刹那の時で 事態が移り変わることなど
彼自身 想定することができなかった。



いや、するに及ばない考えなのだ、それは。
総士にとって その言葉は・・・聴きたくなかった未来への足音なのだから。

















「・・・・・おれも彼女、欲しいな」

















「−−−−−・・・・え・・」



















辺りの、・・・空気が瞬時に変わる。





風の心地よさが 途端、消えた。













「だってさ・・・・このまま俺ーー・・お前の優しさに
甘えたままじゃ・・・・いけないと、思うし・・・・・」






自立した人間の第一歩。




そんな風に語る、一騎の思い切りに・・総士は
目の前に広がる光が 搾られて行く幻覚をみた。





白と黒が反転する。






闇が・・・・光を呑み込んで逝く瞬間だった。








「・・・・・・・演劇が恋人じゃ・・・・なかったのか・・・?」






搾り出された声が、震えないように。

どうか、気付かないで。








「うん・・・・。確かに、少し前までは演劇に夢中ではあったんだ。
ーーーーーでも、さっきの彼女を見て・・・なんか思った。
おれ・・・お前の傍に居すぎて・・・彼女の・・ーーじゃなくて、
『彼女たち』のーーー邪魔しちゃってるんじゃないかって・・・」










「・・・・・・・・・・・・なんだよ、それ」








声が枯れていく。



もどかしくて。・・苦しくて。
もう、君の傍にいることも・・許されないのだろうか。





いや、・・わかってはいたんだ。













「なぁ総士。・・俺に割いてくれてる時間、お前の彼女たちにあげて?
おれ・・迷惑かけないように頑張るから。お前優しいし、俺のこと
いつも心配してくれるけど・・・もう、大丈夫だから。−−恋人、
作ることにするよ。それなら一人じゃないし、お前も安心だろ・・・?」




















いつか









こんな日が来るんじゃないかと思ってた。
















「だから・・・・・・」










君が



















「もうこれ以上、・・・・・・おれに優しくしないで」





















































僕じゃない誰かを選ぼうとする日が必ず来ると。

























少し困ったように微笑んだ君の瞳に 
今、僕はどんな風に映っているのだろう。














あの人が、僕に報復しているのだろうか。











それとも、僕自身が仕向けた
戒めの形なのだろうか。









それすらもう、今は
わからないけれど。

























一騎・・・・僕は、









































君に 一生報われない片想いをしているよ。



























咎人の分際で、何を言うと笑ってくれていいんだ。
でも。















それでも・・・・・


















それでも一騎が好きなんだ。
































言葉にすればよかった・・












あのとき。







君が誰を見ていても。






きっと僕は




































あの温もりを忘れることなんて出来なかった。

































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青井聖梨です。こんにちは!!!
ここまで読んで下さって、どうもありがとうございましたvv


今回は結構長かったですよね?すみません(汗)
書きたいことは沢山あるのに、上手くまとまり切れなかったというのが本音です。
いかがだったでしょうか??

総士にとって”彼女”という存在は、恋愛対象ではなく、ある種の同じ穴の狢というか
保険というか・・・色んな意味を含んだ存在です。
うちのサイトの総士はどこまでも一騎しか見ていませんので(笑)

それでは今日はこの辺で!!また次回も宜しくお願いします☆★



2007・3・30・青井聖梨