僕ら、生まれた瞬間に死ぬ瞬間(こと)が
決まっていた存在だった
Dear、ファントム〜第四章『光の涙』〜
たった、二人だけで生きてきた。
壮絶と思えるほどの人生を、たった何年かに集約して過ごしてきた日々。
心の傷だと云えるその思い出ひとつ、ひとつが僕には
疎ましくて 憎しみよりさきに嫌悪感が走る記憶の欠片たちだった。
闇に蠢くただのちっぽけな生き物に成り果てた僕らだったけど、
生きることを止めようとは思わなかった。
いつか報復を。−−心に誓い、祈るように光を求め続けた。
息を潜めるだけで精一杯なのに。
助けを求めるのに必死なのに。
愚者である自分たち以外の人間を受け入れる日が
来るなんて、思えるはずもなかった。
卑劣な罠と蔑みと、中傷、妬み、暴力。
与えられるもの全てが僕にとっては劣悪な感情を呼び起こす要因。
一つ一つが腐りきっていた。心も、身体も、限界だった。
まさに発狂寸前の環境下に置かれた僕ら。
そんな僕らを救ってくれた存在。
それは皮肉な事に、あれほど僕が嫌っていた人間、その人だった。
そう。出逢った頃からずっと想いを寄せ続け、
生きる理由に選んだ、彼という光。
僕の命よりも大切な人。
真壁一騎。
好きだよ、好きだ。
愛してる。
君の前ではいつも、
どんな愛の言葉も滑稽に聴こえるな。
だから僕は口を噤む。
言葉は、きっと意味を成さない。
この想いは僕だけにしか解からないのだから。
きっと君にすら、届かないのだからーーーー・・。
+++
「一騎くん・・・今日の午後、空いてるかな・・?」
躊躇いがちに紡がれたその声に、一騎はハッとした。
後ろを振り向くと、同じクラスに属する、自分の恋人、羽佐間翔子が
ひっそりと佇んでいたのであった。
長い黒髪を微かに夏風に靡かせ、一際輝きを放っている
彼女の澄んだ双眸は 一騎を真っ直ぐに捕らえて離さない。
一騎は一歩後ろに下がると 苦笑を漏らして言葉を返した。
「どうしたんだよ翔子・・?今日、お前部活だろ・・?」
意外にも、今まで誰とも付き合ったことがない白の王子は
女性の扱いにはあまり慣れていない。
彼に近寄ってくるのは八割方が男性なのである。
その可愛らしく美しい容姿故の悲劇なのか、彼の
中世的な雰囲気と体つきがそうさせるのか、
落ち着いた癒しの空間を常に提供してくれる 彼の性格は
やはり男性向けのそれなのかもしれない。
「今日、顧問の先生が出張でね・・お休みになったの。
一騎くんも今日は演劇部・・お休みでしょう・・・?」
探りを入れるというよりかは、全て知っている上での
会話に聴こえた。彼女は自分のスケジュールを知っている。
「あ・・・うん。休み、だよ」
恋人に嘘を吐くのはおかしい。だから素直にそう答えた。
だけど、なんとなく気分が乗らない。・・なんでだろう?
彼女の好意を受け取って二週間。
恋人らしく、登下校したり、休日にはデートをしてみたり
色々それらしいことを装ってはみた。
でも、心のどこかで ”何かが違う”と叫ぶ
もう一人の自分が蹲っているのがわかった。
翔子と一緒にいるのは楽しい。
彼女はとても気配りが出来ていて、優しくて、大人で、
自分が無理にリードしなくても いつもどおりの自分を
保ったままで顔を立ててくれる。
一歩引いた所で穏やかに見守っていてくれる。
これを恋愛と呼ぶのかは疑問であるが、少なくとも
彼女といると 温かい気持ちになれる。
一歩ずつ、ゆっくりだけれど、育んでいけばよいと思っていた。
それは一騎自身の奥に潜む、”焦らず今を大事に”という信念が
一騎を突き動かしている。まさに、こうしている今も。
けれど一緒にいると、わかる。
自分たちは、人から聞く、恋人同士のようなことを
していても、感情が まるでそれと違うということを。
例えば、手を繋ぐという行為。
翔子と手を繋ぐと、幼子が母親に包まれたような感覚に陥る。
とても落ち着くし、穏やかな気持ちになる。
けれど人から聞く、恋人同士の感情は そういう感情ではないのだ。
胸が飛び跳ねるようにドキドキして、息が詰まる。
顔が火照って、恥ずかしいけど 嬉しいーーーー。
そんな感情が交わされるのだ、と。
まるで違う感情。
同じ恋人同士という関係であるのに。
自分の周囲にいる恋人たちと自分たちでは 明らかに
違う何かがそこに存在していた。
この大きな差をどうにか埋めたくて、デートもこの二週間で学校帰りを含め、
頻繁に行ったし 昼食も一緒に食べたし、お弁当だって作ってもらった。
移動の授業だったり、グループ分けのときだったり、とにかく 彼女を
自分の傍に置いてみた。彼女は嬉しそうだった。
・・・なのに。
物足りない、何かが違う。
違和感を覚えたのは、つい数時間前で。
それはクラスメートたちと話をしていたときのこと。
「一騎ってさ、キス、もうした?羽佐間と」
「・・・・・・・・・・・・・・・え」
言葉に詰まった。
そんなこと、考えたこともない。
「まぁ、まだ付き合い始めだし・・してないのは当たり前だろうけどさ、
したときは教えてくれよ?参考にしたいから」
陽気にぺらぺらと話す このクラスメートは、
クラスの中のムードメーカー的存在、近藤剣司。
手当たり次第、女性をナンパしては撃沈していく哀れな少年なのだった。
「・・参考ってなんの?」
「そりゃぁ、今後おれがお付き合いする女の子のために
キスに対する知識を事前にだな・・」
相手もいないのに、それは嬉しそうに話す剣司に一騎は
困り顔で苦笑を零していった。
「悪いけど、他を当たってくれ。・・おれ、翔子と
そういうこと考えたことないし」
その場を去ろうと、踵を返した途端 驚いた声音が
一騎の背後から響いてきた。
「はぁぁぁっ?!お前、男として正常か??!
普通好きな女と一緒にいりゃあ、誰だって考えるだろーが!!」
「・・・・・・・そ、そうかな・・・?」
思わず振り向いて、聞き返してしまった。
おれは・・普通じゃない?
どう、普通じゃないんだろう・・?
「誰だってさ、好きな相手と、繋がりたいって思うモンじゃねぇの?
行為にしろ、心にしろ、さ。もっともっと知りたいって、
感じたいって・・・思うモンじゃねぇの??」
恋愛の手引き、って雑誌にそう書いてあったぞ。
そうあとから付け足した剣司は 少しだけ恥ずかしそうに
頭を掻き毟っていた。よほど照れているのだろう。
案外このナンパ少年は 純情なところを持ち合わせているのだ。
分かりづらいことではあるが。
一騎は一瞬、頭に過ぎった人物の顔に息を呑んだ。
自分の恋人である、羽佐間翔子ではなく・・・
その人は。
『お前が決めたなら・・僕はそれでいいと思う。
僕が口出しすることじゃない・・』
・・・・黒の王子と呼ばれる、片割れ。
自分の親友、幼馴染。
いつも傍にいてくれた人。
どうして総士の顔が、あのとき浮かんだんだ?
思い出す。その感情の先が知りたくて。
「一騎くん・・・・?」
呼びかける彼女の声が、一瞬にして遠退く。
そうだ。・・おれ、総士といると・・ドキドキしてる。
総士といると、周りが見えなくなって・・・・
総士にもっと オレのこと見て欲しいって、想う。
翔子と付き合うことを決めたときも、
なんでおれ・・総士に相談なんてしたんだ?
もう、付き合うって決めたのに・・・なんで?
友達だから?ーーーー違う。
心のどこかで止めて欲しかったんだ。
だから期待してたんだ。
ファントムのことだってそうだ。
なんでおれ・・・ファントムとなら付き合ってもいいって
最初総士に言ったんだ?
ファントムが総士だったらいいと想ったのは何故?
総士がファントムだったら、・・嬉しいと思ったんだ。
おれが好きな演劇を誰よりも認めてくれていて、
いつでもひっそりと影から劇を愛する者を守ってくれるから
”付き合って欲しい”って言葉にしても 可笑しくないと思った。
今までは幼馴染で親友だったけど、
総士がファントムだったなら、それ以外の感情が生まれても
おかしくないような状況になれば・・・特別な感情を伝えても
大丈夫だと考えたんだ。
ファントムを利用して、おれは自分の本当の気持ちを
総士に伝えたかった。それだけだ・・。
厭らしいな・・・オレは。
見ないようにしてきた自分の心の底を 覗いてしまった。
そうだよ、・・ホントは嫌だった。
総士が沢山の女性と恋人関係になるのが。
楽しそうに、誰かに微笑んでる総士なんて見たくない。
ずっと我慢してた。我慢してたけど・・・
保健室で、紹介された女の子との会話を盗み聞きしてしまった あのとき。
『・・・・・お祝いしようか。せっかくの誕生日だし、・・な?』
限界だと思った。
総士が彼女と一緒に誕生日を過ごしている所を
想像してみる。
胸が、張り裂けそうだった。
呼吸が、止まりそうだった。
もう嫌だ、こんなの。
総士の傍にいると、・・・・・・自分がどんどん惨めになっていく。
汚い感情が 血流に呑まれて、交ざり合って、溶けていくようだ。
背筋が凍る。笑顔が張り付く。
上手く笑えない。上手く繕えない。
どうしたらいい?おれ・・・駄目になっちゃうよ。
どうしちゃったんだよ。
総士が望む親友でいたいのに。
気が知れた幼馴染でいたいのに。
今思えば、嫉妬していたんだ きっと。
でもあのときはまだ、よく分からなかったから。
自分の素直な気持ち、見ようとはしなかったから。
訳が分からないまま・・・・おれは・・・・
総士と少し、距離を置こうと思った。
一時的な感情だと思った。
そのうち自然に戻るって、思い込もうとした。
胸が痛むことにすら、目を逸らした。
そしておれがとった行動は・・・・
『いい子なんだ。・・・つ、付き合ってみようと、思う。
・・・・・−−−総士は・・どう、思う・・・?』
誰かを犠牲にして、自分の秘密を守ってしまった。
・・・・・・気付いたら、溢れていた。止まらなかった。
想いが・・言葉になる。気持ちになる。
どうして今まで向き合おうとしなかったんだろう・・。
わかってる。総士は博愛主義で・・・きっと
誰か一人を愛することは・・出来ない人で。
皆から愛されて、総士も皆を愛していて・・
沢山の彼女がいて、−−−−多分おれの知らないことも
彼女たちに・・・・して、いてーーーーー・・・。
・・総士の恋人が羨ましい。
沢山の中でも 総士に愛してもらえる。
”恋人”として、総士に愛してもらえるんだ。
ーーー・・おれはただの幼馴染。
おれはただの親友。・・胸がときめくような感情が生まれない関係。
身体を愛してもらえるような関係でもない。
相手の心を独占したい、と思えるような関係には程遠い。
信頼で繋がっている・・・だけ、なんだ。
「一騎くん・・・どうしたの・・・・・?」
気遣うように、近寄ってきた翔子に
ふと、意識を戻す。
目の前の少女が 心配そうな色を宿して
こちらに手を伸ばしてきた。
「具合・・・・悪いの?顔色が少し・・悪いよ・・?」
どこまでも優しい彼女。
まるで聖母の声が自分を包むかのようだった。
長い黒髪がサラッ、と覗き込む彼女の肩に触れた。
大きな瞳は 一騎を一心に映す。
一騎の頬にそっと 触れた指先が 瞬間、離れた。
「・・・・・・・かずき、・・・・・くん・・・・?」
自分の顔を両手で覆い隠し、
俯いてしまった一騎。
不意に虚空に響いた
擦り切れる声が、
全てを物語っていた。
「ごめっ・・・・・・・、お、れ・・・・・・・・」
泣き出す寸前の色を宿して、密かに肩は震え、
顔を隠す手のひらに、力が篭もった。
「・・・・・・・・・・・・・・・好きな人が、・・・・・・・・・・いるんだ」
少女にとっても、少年にとっても、絶望的な言葉に聴こえた。
それは夢の終わり。そして新たな始まり。
少女は少年の両手を 顔から解くと、
視線を合わせて呟いた。
「知ってたよ・・・?」
彼女の微笑が、忘れられない、
一騎の心の傷になった。
それはサヨナラよりも、
きっと、哀しい別れ方。
+++
そうするしかなかった。
それが一番いいと、思った。
心と身体は裏腹だ。
結ばれないとわかっているから、せめて彼の
ためになることをしようと思った。
犠牲を強いても尚、止めようとは思わなかった。
彼が生きる理由。おれのたった一つの闇を切り裂く光。
失えるはずないんだ。
僕ら、生まれた瞬間に死ぬ瞬間(こと)が
決まっていた存在だった。
君が助けてくれたんだ。
もう一度、僕らに命を与えてくれた。
例えば、君の頬に触れる風になって、
君をただ守り続けたい。
例えば、君の瞳に映る景色になって、
君の傍に居続けたい。
願いは、願いでしかないけれど。
でも。
僕の願いが、君を守りますように。
僕の祈りが、君を導きますように。
何度生まれ変わっても
君を必ず探し出して、ずっと
君の傍にいると誓います。
一騎・・・
だから、傍にいさせて。
あと少しで、いいから・・。
風の噂で耳に入ってきた その事実は
僕を呑みこみ、島の皆をも呑みこんでいった。
一騎が・・・羽佐間翔子と別れた。
僕は思わず駆け出していた。
「一騎・・・!!」
竜宮学園の渡り廊下で、見慣れた渦中の想い人を見つけた。
一騎は僕の声に気付くと、ピタリと足を止めて こちらにゆっくりと振り向いたのだった。
その表情は悲愴に満ちていて、こちらの胸さえも痛みを覚えた。
僕は歩調を緩めると、一騎との距離を埋めるように 一歩ずつを噛み締めた。
「一騎・・・・」
自分の声に慈しみの色が混じる。
この二週間、傍にいてやれなかった事が悔やまれる。
自分が、あのとき一騎の交際を止めていれば・・
一騎はこんな顔をしなかったはずだ。
傷つかなくても、済んだはずなのに。
僕はつまらない罪の意識に苛まれて、一騎があのとき
どんな気持ちで僕に相談を持ちかけて来たのかを考えてみる。
やはり胸は・・・痛んだ。
「大丈夫か・・?一騎」
そっと歩み寄り、その肩を両腕で掴む。
揺さぶりこそしないものの、自然と掴んだ肩に力が篭もってしまう。
一騎の久しぶりの体温に、胸は震える。
指先が、喜びに奮えるのだ。
「・・・・・優しくするなって、云ったのに」
一騎は僕を見上げるように覗きながら、
困ったように微笑んだ。
あぁ、一騎。・・・君はこんなにも温かい。
欲しい、欲しい・・・君が欲しい。
呪文のように、呪いの様に、それは甘美な陶酔となって
感情の中に溶け込んで 僕を惑わせていった。
「−−−−・・・・・”何があった?”と僕が訊いたら、
お前を困らせてしまうか・・?」
悲痛な表情で彼に紡げば、目の前の幼馴染は
静かに首を横に振って 悲壮を覚えた顔つきで答えた。
「・・おれが悪いんだ。おれが、自分から目を逸らしていたせいで
ーーー・・・彼女を、傷つけてしまったんだ・・」
声音ははっきりと、でも哀愁を身に纏った身体は
微かに竦んでいた。心から、悲しんでいるような、君。
「・・・自分から目を逸らしていたって・・・どういうことだ・・?」
僕がそう問いかけると、一騎は今まで我慢していたかのような勢いで
表情を歪ませ、大きな瞳を途端に揺らし始めた。
今にも泣き出しそうな君を 僕は真正面から捉える。
崩れそうな身体を 支えるように両肩で押さえ込んだ。
「・・・・っ、・・・・・・・・ごめん、言えない・・」
何かに怯える口ぶり。いや、言ってしまったら見失ってしまう、
といった表情を見せていた。
「おれが悪いんだ・・・・・・、おれが ・・・軽率だったせい、で・・・・」
口から零れ落ちるのは、後悔と懺悔。
自分を責めている一騎の姿に 微かに自分の姿が重なった気がした。
今、彼をここで抱きしめたらーーーそれすらも罪になるだろうか?
幼馴染として、親友として、彼に触れることは許される範囲なのだろうか?
無性に湧き上がる想いの矛先を 考えあぐねていた。
この瞬間、この刹那が 僕には何よりも変えがたい宝物のように思えたから。
肩に置いていた自分の両手。その片方が、
意思を通り越して、一騎の黒髪に手が届いた そのとき。
想い人が、僕の行動を遮った。
「・・・・・・無理しているの・・・・もう、やめよう」
「・・・・・え?」
「ーーーー無理して欲しいわけじゃ、ないんだ・・・」
「一騎・・・・・?」
突然そんな言葉を口にされて、訳がわからなかった。
どういうことだ?・・一騎は今、何を言おうとしている・・?
僕は唐突な言葉に呑まれまいと 必死に一騎の瞳を見つめ続けた。
一騎は、小さく微笑んで 苦しそうに云った。
「総士は・・・おれと居るとき、いつも何処か無理してるよな・・。
なんかいつだって苦しそうに見える・・・・」
それは恋心ゆえだ、と君に言いたかった。
云えれば良かった。でもーーーー・・。
君は些細な僕の心情に、表情に、篭められた視線の熱さに
気づいていたのか。・・・僕をちゃんと、見ていてくれたんだね。
嬉しさと、少しの切なさが 僕の心を締め付けた。
「なんでそうなのかなって・・・考えてみたけど、
おれにはやっぱり解からない。・・・総士が、おれに時間を割いてくれて
彼女たちとの時間を削ってくれていたことに対しても・・・
どうしてそんなことしたんだろうって、思うし・・・・・」
「・・・・・・・・・そんなことしてない。僕は好きなようにしているだけだ。
お前が気に病むことじゃないさ。いつもどおり、僕のただの
・・・気まぐれだよ。それ以上でも、それ以下でもない」
優しい一騎。何でも背負い込んで、自分のせいにしてしまう。
ここ二週間、君と時間を過ごせなかっただけで苦しかった。
傍にいないことが こんなに寂しいと思うのは ・・きっと
傍に居過ぎたせいなのかもしれないな、僕ら。
一騎の云おうとしていることがイマイチ飲み込めずに
僕は淡々と一騎と会話を交わし続けていた。
けれど、事態の全貌は まもなく僕の前に 姿を現していった。
「・・・総士は優しすぎる。おれ、・・・きっと、総士まで傷つけちゃうよ・・」
幸せに追い詰められている。幸せから逃げている。
どちらとも取れない感情の起伏を見せつつ、その肩を震わせ、
一騎は精一杯の勇気で 僕に言葉を投げかけた。
「おれたち・・・・もう親友に戻れない・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え」
一瞬、世界が反転するような衝撃が身体中を走りぬけた。
「うんうん、・・違う。そもそも・・・親友だったのかも、わからない・・」
「かず、・・・き・・・お前・・・・・・・なにを・・・・」
云ってるんだ?
「おれ・・・・総士の親友になれてすら、いなかった・・・・」
思いつめた顔が 辺りを静寂の海に変えた。
渡り廊下の静けさを 心に響かせて 落ち着こうと思ったけれど、
・・・・駄目だ、そんなこと出来る訳がない。
「一騎!!!!何云ってるんだお前・・・!オレはっーーー」
そこまで言いかけて 一騎は僕から視線を逸らし、顔を背けた。
その態度が 僕に全ての関係を終わりにしてくれと云っているようで、怖かった。
「訊け、一騎!!!!どうしたんだよお前・・・!!?
オレ、お前になにかしたか?!!何かしたのなら・・謝るからっ・・・・」
羽佐間翔子と別れて、自暴自棄になっているのだろうと思った。
きっと一騎自身、訳がわからないまま 傷ついた心をどうにかしたくて
自分と繋がりのある関係をすべて断ち切って スッキリしようと
しているのではないだろうか。−−−いつもの一騎じゃないから、
こんな風に投げやりな言葉をつい零してしまうんだ。
そう僕は考えていた。
けど、僕の考えは明らかに一騎が考えている真実とは違っていた。
「おれが駄目なんだっ・・・・!!
おれがいけないんだ・・・・!!!おれが弱いから・・っ、
こんなことにーーーーーっ・・・・・」
幸せになっちゃいけない。
おれだけ幸せになっちゃいけない。
まるでそう叫んでいるように聴こえた。
悲痛な想いが 虚空に散漫して、空気に溶け込んでいった。
吸い込む空気が痛かった。
想いの欠片が 残っているようだったから。
「一騎・・・・・!!!!」
顔を逸らしたままの一騎を どうにか振り向かせようと
僕は一騎を支えていた両手を、一騎の肩から頬へと移動させた。
頬に手を置き、顔を挟むように正面へと向けさせる。
ぐいっ、と勢いよく 向けた一騎の顔には
淡い輝きを放った切なさが滲み出ていた。
大きな栗色の瞳が、薄っすらと透明に光る涙に濡れている。
僕は驚いた。
こんなに綺麗な涙・・・・・見たことない。
見たこと、ないんだ。
「・・・・・・・総士と居ると・・・・・苦しい」
正面から見つめ合った僕ら。
一騎は大きな瞳をゆっくりと揺らして 僕の瞳を一心に見上げていた。
ポツリ、と零れた言葉は、降り始めの雨の一雫に似ていた。
「・・・・今の距離が、苦しいんだ・・・・・・」
静かに瞳を伏せれば、つっ、と一筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。
一騎の頬に触れている僕の手の甲に、零れた一筋の涙が触れる。
一騎と同じ、優しい温度の水滴は 僕の胸に零れ落ちる言葉と一緒で
身震いするような感動と、ときめきと、そして儚さを傍らに連れてきた。
「一騎・・・・・・・・・・」
お前は、僕に近づきたいのか?
お前は・・・・・僕が好きなのか?
喉元が焼けるような焦燥と 渇きを訴えている。
もしかしたら、手が届く その人。
今、望めば・・・・・手に入るかもしれない。
「・・・・・・ごめん、総士」
君を幸せに出来るのは、羽佐間翔子ではなくて、
僕・・・・なのか?
そうなのか、一騎?
ずっと ずっと・・気の遠くなるほど ずっと
光を求め続けていた。
欲しくて欲しくて、たまらない君を。
どうして拒めるだろう?
その頬も、瞳も、唇も・・・・全てが愛しい僕に
これ以上、どうして君を 遠ざけられる?
気付けば、もう・・・駄目だった。
耐えられなかった。
ほのかに紅い、唇が 瞳の端にちらつく。
一騎の顔を、自分の顔の角度に合わせて
自然と寄せると 静かに伏せていた瞳が 瞬く間に開く。
淡く揺らめいた大きな栗色の双眸が
僕の銀色と重なり合い、見えない言葉を交わし合う。
驚いたように眼を瞠った君は 近づく僕の影に
身体を一瞬硬直させた。
待ち構える熱が、現実となるのはあとほんの数秒。
君の頬にある自分の両手で君の顔を引き寄せて
僕は静かに瞳を瞑る。
願って・・願って・・・止まない瞬間が訪れる
そのときをーーーーーーーーーーー抑えることは、出来なかった。
渡り廊下、校舎の影に包まれて
僕たちの影は必然のように重なった。
運命と呼べるものなのか、わからない。
でも・・・確かな事は 僕の胸に、刻まれる。
「・・・・・・、っ・・・・ん、・・・・」
唇に触れた 君の温かな熱と 甘い声。
そう。
耐えられなかったのは罪の重さじゃない。
愛の深さだ。
NOVELに戻る
ここまで読んで下さってありがとうございました〜!!青井聖梨です。
いかがだったでしょうか?少しずつですが、話は前に進んでます。
今回、ついに思い余って・・な総士を書いてしまいました。
当初は予定になかった展開なのですが、そのままつっ走って書いてみようと
覚悟を決めた所存にございます(笑)
どうぞ最後まで読んでやって下さいませ。
均衡がついに崩れた今回。次回から今までの距離感が
一転すると思われます。良くも悪くも、総士と一騎は今までよりずっと
近づいたということですね。次回もまた、宜しくお願い申し上げます!!
それではこの辺で失礼致します!!!
青井聖梨 2007.6.24.