君を守るためなら、何にだってなれる。
でも優しい君は きっとそれを望まない。
それでも僕は、君を守ることを止められない。
僕が本当に守ろうとしたのは 一体なんだ?
君の心?それとも僕の心?
莫迦だな。
どっちも救われないのに・・・・
Dear、ファントム〜第七章『闇に隠された罠』〜
新学期を向かえた登校初日。
季節はずれの転校生が、この竜宮学園にやって来た。
少女の名前は”遠見真矢”。
慶樹島中学から転校してきた明るく元気な女の子である。
洞察力がありそうな黒茶の瞳は、彼女の姿をより一層強く見せ、
周囲からは ほんの少しだけ線引きされてしまうこととなった。
本人も実際のところ、自分で豪語してしまっているのだ。
「私、洞察力あるんです!!皆さんのこと、
ズバズバ見抜いちゃいますよ?」
自己紹介のとき、そう言って クラスメートと親睦を深めようと
試みた彼女ではあったが、想いとは裏腹に、逆効果を生むこととなってしまった。
真実を見透かす瞳は どうしても人びとに畏怖の念を植え付けてしまう。
いくら明るいからといって、・・冗談めいた口調も少なからず入っていたとは言っても、
やはり他者に自身の心層を暴かれる懼れのある新参者と
無防備に友好関係を築くのは、容易いことではない。
ましてや、彼女はカメラを片手に ”新聞部に入属を希望する”と言っている。
もし自分の持つ あられもない姿、知られたくない部分が彼女を媒体に
公に曝されたりしたら、と考えると 友愛を育むどころの騒ぎではないのである。
そんなこんなでA組に新しい風を吹き込んだ彼女は
周囲に牽制されても尚、その明るさを弱めることはなかった。
何処か謎めいた女の子であるのは確かだ。
本心を見せようとしない物腰が始終付きまとっているみたいに
一騎には見えた。もしかしたら、結構複雑な理由で転校してきたのかもしれない。
担任の先生は”親の都合”と口にしていた。
が、しかし どうにもピンと来ない。
周囲とのコンタクトを 線引きされた今も諦めず、積極的にこなそうとする
彼女の態度には 自らの意志を感じてならないのだ。
大抵の女の子なら、こういうとき 落ち込んだりする、と思う。
が、彼女は違う。どうみても 環境を圧倒している。
・・まるで、何か情報を欲しがるような・・手がかりを探しているような
情報網を詮索している新聞記者みたいな雰囲気を身に纏い、
周囲と接触を図っている風にみえた。
もしかして、自分の都合で転校して来たんじゃ・・?
そう思ってしまう。
一騎は呆気と驚愕に胸を占められ、言いようのない不安に駆られた。
何か・・・・何かが起きる。きっと、・・・彼女は何か凄いことを
しそうな・・・気がする。
依然、考えがまとまらない状況で あれこれ思索するのは
失礼なことかもしれないが、夢の中のファントムが言った言葉を
思い出し、やがて自分にも何かしら火の粉が降りかかるであろうことは
予測範囲内であった。彼女がもたらすのが変革であるか絶望、であるかは
今のところ判らない。けれどーーーー・・。
一騎は自分の列の二席前に座る転校生を瞳の端で捉えながら、
漠然とした確信を胸の奥で握り締めていたのだった。
そう、彼女はどうみても
『追跡者』、・・・なのである。
+++
「お前のクラスの転校生・・・・どうだ?」
途切れた会話の合間に、そんな言葉が零れ落ちた。
時刻は夕暮れ時。下校時間である。
揃って部活が休みなのをいいことに 二人で久しぶりに
放課後 寄り道をした。今現在は喫茶店の壁際席に二人腰を下ろした
状態でゆったりと会話を楽しんでいる。
テーブルの上にはアイスコーヒーとアイスレモンティー。
コースターの上で水滴をその身につけて 汗ばんでいる。
九月といえど、残暑はまだ厳しい。夏は過ぎ去った様子を見せる所か
活発化しているようにさえ思えるくらいであった。
梅雨明けも遅かったが、海開きも遅かった今年の夏。
沢山・・色々なことが 変化した、夏。
思い返してみても感慨深い。
「どうって・・・・?」
記憶を手繰りよせるのを一先ずやめて、
一騎は総士の問いに、更なる問いを乗せて返した。
すると総士は難しい表情を作り、こちらを凝視してきた。
「・・・・・おかしくないか?こんな時期に転校してくるなんて。
大体 三年生なら卒業してから こちらに身を移すのが一般的だろ。
・・それなのに、このタイミングといい、急激な環境変化を強いられている
渦中にいるはずなのに妙に明るいあの表情といい、
ドコかひっかかる・・・・・・・・・・」
訝しげな瞳で頬杖をつき、考え込む総士は
美しい彫刻と同様、華麗な存在感と 端麗な顔作りを
まざまざと一騎に見せつけていた。
一騎は見惚れてしまう自分を叱咤するが、どうしても気持ちが
総士に向いてしまう。会話の内容に追いつけないでいた。
「・・・・う〜・・ん、たしかに、・・・謎めいてはいる、かも」
純粋に感じた意見を口裏あわせのように呟いてみた。
目の前の人が、更にシワをよせて 語りかけてくる。
「何か企んで、こちらに転校して来たのかもしれない。
・・・・・・注意していろよ?一騎・・・・」
結局はそこに行き着く、幼馴染。
一騎のことを心配して 色々と口を出していたのだ。
同じクラスだから尚のこと 気を揉んでいたのだろう。
総士のささやかな心配に 深い愛情を感じ取った一騎は
ふわり、と頬を綻ばせて 総士に笑顔を送った。
「うん、・・・・・ありがとな・・・総士」
淡い唇が紡ぐ声に、瞬間総士は 身体を震わせた。
あまりに見事に咲き綻んだ花がひとつ、
目の前で自分のために花開いたものだから
直感的に 彼の恋心を胸に受けてしまった。
手が、ぴくり、と反応をみせる。
駄目だ、いけない・・。
言葉にできない声が 胸の奥底で木霊する。
言い聞かせるために、密かに自分の足を自分で踏みつけた。
意識が突如鮮明になり、はっ、と心を平常心に保つ。
危なかった。今・・・自分は一騎に
あわよくばと何かを仕掛けてしまいそうになった。
総士は貪欲に暴れるもう一人の自分を叱責し、深い静かな瞳で視線を
手元にあるアイスコーヒーへと落とした。
そんな総士に、天然である白の王子が気づくはずはなくーーー。
話題は、違う方向へと動きをみせていった。
「なぁ、・・・・総士、この前の話ーーー・・・考えてくれた?」
おずおずと、遠慮がちに言葉を発した幼馴染に
再び視線を戻していくと 恥じらいをみせるような顔で待ち構えていた。
バカだな、そんな顔・・・するなよ。
総士は困ったように 思わず微笑んでしまっていた。
愛情が声に出ないか、怖くて言葉を紡げずに いたのだ。
「・・・・・・・・ファントム、の話か?」
「うん」
遡ること数週間前。
科学部の文化祭出展作品を学校へ届けに行った際、
演劇部が使っている 体育館の稽古場から大きな音が響いてきた。
断末魔の叫びに似た声たちは 校舎中に響き渡り、
教員生徒たちの恐怖を駆り立てるかたちとなった。
総士はまさか一騎に何かあったのでは、といち早く
稽古場を覗き、一目散に 現場へと近寄っていった。
すると そこに広がる光景は、一騎が直接的に関わっている
原因を含んではいないが、明らかに今後の演劇部全体を揺るがす
惨事と化していたのであった。
主演を務める生徒が、体育館の舞台から落下し、
足を抱えて蹲っていたのであった。
「おい!!!しっかりしろ!!!」
口々に声を揃えて、心配する生徒たち。
一騎は 現場から離れて、”保健の先生と救急車呼んでくる”と迅速な行動をみせた。
極めて失礼ではあるが、一騎の怪我でないことに安堵した総士。
即座にしゃがんで 足を抱え、苦しんでいる生徒を見やった。
布越しからわかる、足の変な曲がり具合。
そっとズボンを軽くめくってみる。と、異常な腫れと変色が広がっていた。
周囲は総士の様子に、恐る恐る 付いて行く形で見守っていた。
総士の父親は医者である。もしかしたら、医者の息子である彼に
今 この生徒はどんな状態か予測することができるかもしれない。
と、期待と不安をない交ぜに 生徒達は羨望を向けていたのである。
「・・・・・折れているな」
ぼそっ、と総士が呟く。
周囲が一気にざわめいた。
こんなときに、主演が降板なんて。
人びとたちは 僅かな動揺と不安を虚空に吐き出した。
劇が中止になるのは、確実であった。
それから暫くして、一騎が先生を連れてきて、
到着した救急車に その生徒を乗り込ませた。
その生徒は、後の連絡で判ったが 総士のいうように、骨が折れていた。
複雑骨折、全治三ヶ月。劇に間に合う、どころの話ではない。
竜宮ホールで公演される劇は、夏の終わりの八月三十一日であった。
そして現在は八月二十四日。公演まであと一週間、に迫った大事な時期だったのだ。
演劇を好きな生徒達は この日のために、身を削って頑張ってきた。
それこそ懸命に寝る間も惜しんで準備を怠ることなく、全力で。
けれどここにきて、主役降板となると、代役を立てるか、劇を中止にするか
二つで一つの判断を仰ぐしか末路はない。
だが、代役を立てるには あまりに時間が無さ過ぎた。
そもそも、代役自体が存在しないに等しいのだ。
今回の劇はフルメンバーで、それこそ一人も役を持たない者が
存在しないのだ。それだけ壮大な規模の演劇が
竜宮ホールで行われようとしていた。
主演を務める生徒は、名の知れた役者の卵である。
といっても、総士と一騎ほど名が知られているわけではないが
人気は多少なりともあった。
一騎が今回劇に出演するのは誰しも知っていることであり、
観客は一騎目当てで来ることも多い。今回の劇で
一騎は主演ではないが、準主演ではあるのだ。そう、つまりの所、それは。
「おれが、ちゃんと慣れない総士の分、サポートするからさ・・?」
ヒロイン役、なのである。
「・・・・・・・・・・・・・・・・けど、どうして僕なんだ・・・?」
頬杖をついて、下から覗き見る形をとった総士は
目の前にいる一騎の澄んだ栗色に語りかけてみる。
淡く彩る双眸と、微かに朱色を織り交ぜた頬の褐色が
一際目について、総士を揺さぶる対象と成り果てていた 幼馴染が
可愛らしくて堪らない。いつまでもこうして眺めていたい、という気持ちに陥る。
ジッ、と真剣に見つめられた一騎は テーブルを挟んで向かいに座る
総士の視線におずおずと答えるように口を開いていった。
突き刺さる視線が熱を帯びて見えるのは きっと自分の恋心が
そうさせているのだろう、と思わず一騎が思ってしまうほど、総士の視線は
熱情を孕んでいたのである。
「ほら、・・総士凄く頭いいだろ?だから短期間に膨大な量の台詞
覚えられるのってお前しかいないし・・・お前、有名人、だし・・・・」
困った顔で笑顔を作る幼馴染は どこかあどけない口ぶりで
ほんの少しだけ慌てていた。テーブルの上に乗っているアイスレモンティーを
一含み口に入れて、こくり、とゆっくり喉を潤し、もう一度言葉を落ち着いて紡ぐ
様子がなんともいえず、いたいけで可愛らしい小動物みたいに総士の瞳へと焼きついた。
「・・それに、ファントムのイメージ・・総士にぴったりだし・・・・
相手役がお前だと思うと・・・・おれ・・・・・嬉しい」
最後の方は呟くように落とされた。
心なしか、先ほどよりも頬が赤い気がする。
総士は真っ直ぐで素直な気持ちを 正面から注ぎ込まれ、
どう応えていいのか思わず躊躇ってしまった。
けれどそれは拒絶という気持ちがそうさせるのでは決してない。
むしろ、喜びが彼の心を駆け回り暴れているといった感覚に近しいものがあった。
「・・・・・・・・・かず、き」
嬉しい。君がオレを選んでくれたことがこんなにも。
オレを頼ってくれたことが、こんなにも・・・胸に響く。
湧き上がる愛情が止め処なく思考を占領していく。
血液に混じって、想いが体中を支配していくのがわかる。
総士は、一騎の瞳から視線を外すことができなかった。
外してしまえば、言ってしまいそうな気がしたのだ。
”一騎が好きだ”
胸に秘めている たった一言の真実を。
・・曝け出す事を許されてはいないというのに。
とくん、とくん・・・
鼓動が耳の鼓膜を破るほどに聴こえてくる。
煩くて心地のよい心音は 自分が彼を愛しているという証に他ならなかった。
この気持ちがいつか消える、なんてことはありえない。
胸の痛みは酷くなるばかりで 抑えが利かなくなっている。
このまま死んでしまえたら、どんなに楽だろうと何度も想ったけれど、
君を守るために自分は在り続けるのだから それは望んではいけないと
残った理性で願いを抑えつけることしか出来なかった。
総士は 瞳を揺らしてこちらの様子を窺う一騎に
小さく微笑みを零すと、低く風に乗る声で囁いた。
「・・・・・・・・・・・・・わかった、ファントム役を受けよう。
せっかくあんなに練習していた演劇が中止になるのは忍びないしな」
そう口から零した瞬間、目の前の双眸が 驚くほど綺麗に瞬いた。
刹那の刻、総士の心が動揺の彼方に沈む。
ドクン・・・!
あまりに綺麗な笑顔が すぐそこで星のきらめきよりも
強く煌いたせいで 胸の奥が激しく痛む。
抑え込まれた情熱が 息を吐く間もなく 暴れ始めたのだ。
自然と、密かに胸に手を当て 呼吸を整えようと試みる総士に
一騎は全く気づかず、尚も言の葉を紡ぎたてるのだった。
「ありがとう総士!!みんな喜ぶよ!!!おれも嬉しいっ!
・・・−−−よかったぁ・・・これで本物のファントムに会える可能性も
ゼロじゃなくなったってことになるし・・安心した」
不意に、愛しい人の口元から零れ落ちた言の葉に
総士の意識は傾いた。
というよりも、驚愕で 胸の痛みすら 何処かに
忘れられてしまったのである。
「・・・・・・かずき・・・・、本物のファントム・・・って・・?
会う、・・・・・・・・・・・・つもりなのか・・・お前。あの・・舞台に現れる・・」
ファントムの姿をした僕に。
途切れ途切れの言葉しか今は出てこなかった。
急にそんなことを言い出した彼の真意が知りたかった。
一体目の前の幼馴染は・・何をしようとしているのだろう・・?
何故、急にそんなことをーーー・・。
総士は再び訝しげな表情を見せて、一騎の
真っ直ぐな瞳を覗きこんだ。
どういうつもりで、ファントムに会おうというのか。
「え・・っと、まずは・・演劇を好きな人を沢山救ってくれて
ありがとうーーって・・・いいたくて・・・・・・そ、の・・・」
視線をずらし、言いづらそうに もごもご喋る表情に 僅かな不安と羞恥が
潜んでいるみたいに窺えた総士は 不可思議な態度をとる
一騎に向かって 自ら質問を投げかけた。
「まずは・・・・、ってことは・・・他に何か別の根幹が
隠されている・・ということだな?」
そう落ち着き払った声で促せば、
一騎はこくり、と率直に頷き 懇願した眼差しをこちらへと移した。
「お願いだ総士!!ファントムに会えるように協力してくれないか?!
おれ・・・・どうしてもファントムに伝えなきゃならないこと・・・あって・・・っ!」
急に堰をきったように話し始める一騎の必死さが
総士の心を揺れ動かせる。
一体何があったというのだろう。
確かに今まで何度か”会えるといい”、”会ってみたい”という
漠然な希望はちらつかせていたし、実際 羨望の目を何度か窺わせる
場面にも遭遇してきた。が、これほどまでに荒々しく懇願するほど
一騎がファントムを要求してくることは一度だってなかったのである。
「落ち着け一騎・・・・・、どうしたんだ唐突に・・・・?」
とりあえず今は 一騎が何故そんなことを言い出したか
追求する必要性がある。ファントムとして会うか否かは
その原因を知った上で判断するべきだ、と総士は密かに思うのであった。
意気込んだ一騎に真摯な瞳を向けて、前のめりに体を浮かした一騎を
自分の両手で制してみせた総士は 先ほどと変わらぬ雰囲気を
いとも簡単に作り上げたのであった。
出来るだけ静かに、優しく 微笑かけてみる。
「話してみろよ・・?−−−大丈夫だから・・」
心に、呼びかけてみる。
確かな強さを秘めて。
すると、一騎は ほぉ、っと一つ大きな息を漏らして
固くした表情を崩し、緊張した身体を解していった。
「・・・・・夢でさ、・・・・見たんだ。−−・・・ファントムが
おれに語りかけてきた。ーー・・・どうしても伝えて欲しいっ、て」
ぎこちなく 一騎が呟けば 総士は謎解きでもするかの如く
緊張した面持ちで 話の核をつかもうとしていた。
「・・・・・ファントムがお前に・・・・?伝えて欲しいこと・・・?」
訳がわからない。
自分が一騎の夢で何を言ったというのだろう。
自らの思念が一騎の夢に入り込むなんてこと、あるのだろうか?
そもそも、伝えたい想いはいつだってこの胸に眠っているけれど
伝えて欲しいこと、というのは 殊更思いつかない。
その夢はあくまで夢であって、さしてあまり現実世界とは
関わり合いがない類の夢なのだろうか・・。
見極める、必要がある。
「・・・一騎、もう少し詳しく話してくれ。誰に何を伝えなければ
ならないんだ・・・?何故お前が伝える役割を担った・・?」
「総士・・・」
一般的な人ならば、些細な夢にこれほど親身に聞き入ってはくれないだろう。
所詮夢だと罵られるのも然り、夢だから忘れろと云われるのも然り。
普通の反応ならばそうだろう。だが、目の前で話を聞いてくれているこの人は
自分の様子が普段とは違っていて 何か差し迫るものがある事を感じとってくれた
だけでなく、自分がしようとしていることを肯定し、信じようとしてくれているのだ。
こういう彼の一面が垣間見えたとき、堪らなく好きだと 改めて一騎は絆されてしまう。
自分という人間を心底大切に想ってくれている、と感じてしまえるほど
彼は優しく、どこまでも包容力のある感受性豊かな 皆が憧れる王子様なのである。
一騎は 総士の真摯な態度を嬉しく思うと、掻い摘んで要点だけ
話そうと思っていた夢の内容を 包み隠さず彼へと伝えようと決めた。
協力を仰ぐのなら、自分も彼に真摯な態度を見せるべきだ、と思い直したのである。
そうして一騎は徐に口を開いた。
自分が見た夢の情景。ファントムと名乗ったその人の言葉。
流れ込んできた その人の想い。覚えている限りではあるが、
全てを包み隠さず 彼へと曝け出したのであった。
総士を信じて。夢に出てきたファントムを信じて。
確かに覚えている掌の温もりを思い出して、
切々と愛しい幼馴染に語り聴かせたのであった。
そして
全てを話し終えたあと。
一騎は総士にふと、尋ねてみたのであった。
「−−−・・で、どうかな・・・?総士、協力してくれる・・・?」
まだ僅かに不安は残るが 彼を信じて 問いかけてみた。
総士はというと、話し途中、瞳を大きく瞠ったと思えば、次の瞬間には俯いて
肩を竦めていた。状況がイマイチ掴み辛い姿勢を彼はとっていた。
落とされた視線、前髪と影で隠れた表情。 テーブルを挟んだ位置から
では それらを観察することは出来ない。身体を前にし、腰を浮かせて
覗き込まなければ それらの情報は得られないのである。
一騎は いつまでも黙っている総士を心配して、
実行しようと腰を浮かせたーーーー瞬間、
隠れていた彼の顔が 一騎の方へと向き直った。
一瞬、身体が強張ったようにみえたのは 気のせいではない。
「ーーファントムが今度の公演前に顔を見せるかどうかは
わからないが・・・・とりあえず、協力はするつもりだ」
極めて明るい声と、柔らかな眼差しが こちらに顔を見せて
一騎は内心ほっとした。総士がどこか怯えた空気を纏っていた気がして
どうも不安感が胸の中で疼いていたのだ。
一騎は いつもどおりの総士に安堵を覚えると、すかさず言った。
「うん!ありがとう・・!じゃあ そのときは宜しくな。
とりあえず今は 劇の練習もあるし、・・あんまりお前に負担かけたくないから
ファントムについては追々相談することにするよ」
「・・・・・・・・・・・・あぁ」
「明日、劇の脚本持ってくるから!−−−必要なら、おれと読み合わせしよ?
お前がやり易い練習方法を取るよう演劇部の皆にも言っておくし、
困ったり、分からない事とかあったら何でもいって。助力は惜しまないつもりだから!」
「・・・・わかった」
一騎はスラスラと流すように言葉を紡ぐと
嬉々とした表情で雰囲気を明るくしていった。
どうやら不安が消えたようであった。
総士はそんな彼の様子を察すると、
念押しのように 温かな笑みをみせて言った。
「僕もお前が信じることに助力は惜しまないつもりだ。
・・・・お互いに頑張ろう」
ふわ、っと琥珀の前髪を指先でかき上げ、伸ばした手を瞬時に
総士は下ろすと 近くにあった伝票を スマートな動きで拾い上げて
声を零した。ゆっくりと、席を立つ姿に 思わず見惚れてしまいそうになる。
「ーーー行こう、一騎。そろそろ暗くなる」
「あ、あぁ・・・!」
促されるまま スクリ、と立ち上がれば 総士は
優しい声で 一騎を支えた。
「家まで送るよ」
眩しそうに細められた 溢れる銀色に
くらくらするほど 刺激を与えられ、一騎は頬を熱くした。
脈打つ心臓が 別の音に変わっていく。
この音はきっと、総士の言葉ひとつで大きく変化するのであろうと
一騎は意識の彼方で 強く思った。
「い、・・・いいよ・・・・一人で帰れるから・・」
躊躇いを含んだ声音は羞恥心を滲ませていた。
いちおう自分は男である。何かある、なんてことはないであろうし、
ましてや運動が得意な分 身のこなしは様になっている方だ。
上目遣いに 総士を見やれば、目の前に佇む幼馴染が
淡く寂しそうな瞳で 二人の時の流れを一瞬止める形で
消え入る声を虚空に漏らしたのであった。
「家まで、・・・・送らせてくれ。
闇がお前を連れて行かないように・・・・」
その声が あまりにも頼りなく、不安気で。
一騎は瞬間、胸の奥が微かに軋んだ気がしたのだった。
「・・・・・総士?」
零した声に、総士は 何も応えようとはしなかった。
ただ、淋しそうに・・微笑むばかりで。
+++
ピッ・・ポッパッ・・トゥルルル・・・
カチャッ。
『はい』
乾いた空気に軽快な音がざわめく。
静寂に沈んだ世界に身を潜めた一人の少女が
真っ白な携帯を片手に持ち、耳へと宛がった。
応える声は、どこか落ち着いた大人の音を作り上げていた。
「もしもし、お母さん?私・・真矢だけど」
神妙な顔つきで図書室の一番奥、角ばった暗い場所で
声を潜める少女・遠見真矢は 三年A組に転入してきたばかりの
女子生徒である。新聞部に兼ねてから入部を希望していた彼女は
この学校に入って早速、新聞部へと入属をしたのだった。
新聞記事・事典の保管庫という さして誰も寄り付かないような
コーナーで 人通りを気にしつつ 声を小さく電話口に零す彼女は
学校内にも関わらず 携帯電話で親族とコンタクトを取るという
大胆不敵で突飛な行動を容易くもやり遂げてしまった。
いくら周囲に誰もいないからといって 躊躇いなく
行動を遂行する その度胸と覚悟と勇気には ありありと
侵入者のニオイが始終付きまとっている。
それを容易に暴いてしまえる人間は、この世に一握りしか
いないかもしれないが 一般人と違って風変わりなところがある、
というのは 誰にでも察することの出来る事実であった。
彼女の独特の雰囲気が 空気を呑み、その人の真実を浮かび上がらせる。
まるで裁判官と一対一で話をしている気分になるのは つまりの所
彼女が特異であるからかもしれない。
「とりあえず現在の写真を送るね。そっちで解析してみて。
色々調べてみたけど、まだもう一人の存在は浮かんでこないみたい。」
『そう、・・まだそっちに行って間もないもの。
そう簡単に情報は掴めないでしょう。・・もう少し時間が経ったら
接触するかもしれないし、とりあえずマークしてて損はないはずよ』
「わかってる。慎重に動いて、もっと決定的な証拠を掴めるように頑張ってみる!
とりあえず、今のところは様子見で接近するから報告書はもう少し待ってくれる?」
『えぇ、わかったわ。当主には私からそう伝えておくから。
・・・気をつけてね真矢。身体壊さないように程ほどにしてちょうだいね?』
「うん・・わかった。ありがと お母さん。でも大丈夫!
わたし、元気だよ?心配しないで・・」
『真矢・・・』
「お母さんこそ、身体・・・大事にしてよね」
『ーーーーーーー・・ありがとう、真矢』
「それじゃあ、また連絡するね」
『えぇ、またね・・』
カチャッーーーーーー、ツーッ・・ツーッ・・
人の柔らかい声から機械的な音へと変わる瞬間。
どこか侘しい気分になってしまうのはきっと
傍にいない親族を求めてのことだと知るには少し勇気が要った。
寂しいとか、心細いとか不安だとか。
そういう感情に流されていては 今後一人で行動するときに
必ず邪魔になってしまう抑止力的産物へと化してしまう。
だから彼女は出来るだけ そういった感情に呑まれないよう
日々、丹念に精神を磨き上げ、強靭な心理を手に入れられるよう
努力を怠らないのであった。
「さて・・・・、仕事に戻らなくちゃ・・」
真矢は白い携帯をカバンの奥へと仕舞うと、
本棚に立てかけていた自分の資料ファイルを片手に
そそくさとその場を離れようと一歩前へ踏み出した。
が、自分の目の前に暗い影を落とす人物が
自分の行く手を阻むみたいに聳え立っているのが
眼前から飛び込んで来たのであった。
視線を徐々に床へ落ちた影から上昇させ、
その人物の顔を覗き見る。
するとーーーーーーーーー・・。
「こんなところで、何をしているんだ・・?」
張り付いた笑顔と気品漂う脆弱な銀色の双眸が
窓の光に反射して煌びやかに輝きを放っていたのだった。
「ちょっと調べ物してただけ・・。新聞部って、記事書くでしょ?
だから資料が沢山必要なの。それに本物の記者が書く
文章も参考にしたいしね・・・」
もっともらしいことをツラツラと並べて、遠見真矢は微笑んだ。
目の前に佇む学園の宝である、黒の王子が向ける
冷たい刺す様な視線を急遽回避するためには
正論、そして理由が今まさに 必要であったからだった。
「なるほどな・・だからこんな保管庫にいたのか」
”普段誰も寄り付かない場所に久しぶりに人影を見つけたので
僅かな興味が胸の奥に湧いて ついつい覗いてしまったよ。”
総士は、彼女と同様 もっともらしい理由を並べて
彼女の出方を窺った。どうみても、怪しいこの転校生の
真意を知るために。
先ほどまで 笑っていなかった眼を 少しだけ綻ばし、
気さくな笑顔を浮かべれば 目の前の侵入者は
明るい声で 言葉を紡いだ。
「丁度よかった皆城君!・・あのね、今度の特集号、皆城君で組もうと
思ってるんだけど・・・協力してもらえないかな?」
新聞記者の目が鋭く光り、危うい距離を縮めて
こちらへと詰め寄ってきた少女に 総士は一瞬訝しんだ。
「・・・どうして僕の特集なんてやる必要が・・?今更だと思うが・・」
そう。黒の王子として 今まで竜宮学園の新聞紙面に多大な尽力を
彼なりにしてきたつもりだった。もう何度もインタビュー・コラム・トップを飾らせてもらった。
正直にいえば、もう載せる内容もなければ、理由もない。
まだ学園に転入して間もない彼女がそれを知らないにしても
新聞部員が止めるのは必至である。
いくら有名人だからといって 何度も同じ内容を載せる、それに近いネタを
皆に提供する、というのは 新聞部としてはあるまじき行為であるし、
日々情報、状況が変化していく今日には 沢山の新聞ネタが集まってくるのである。
自分ひとりの特集よりも 絶対的に新鮮で斬新で旬なネタの方が人気を博すに違いないのだ。
総士は真矢に落ち着いた声音で そっと語りかける仕草をとって
それらを遠まわしに教えるのであった。
「残念だが、君が転入する前に何度も記事にしてもらっているんだ。
誰も僕の記事を必要とする人はいないし、ましてや読みたいと思う人も
さほどいやしないよ。君自身の記事を載せた方が俄然みんな 興味を
示すと思うが・・?なんていったって君は 季節はずれに転入してきた
ミステリアスな雰囲気を持つ、珍しいタイプの新聞部員だからね?旬のネタには丁度いい」
皮肉に聞こえてしまうのは、きっと相手を敵対する何かと
判断し、察している証拠なのかもしれない。
トゲを刺すように、じくじくと攻め立てる言の葉が
床のあちこちへと音を立てずに落ちた。
遠見真矢は 皆城総士の含み笑いを正面で見つめ、
彼が何かを感じ取っている、或いは 何かに勘付いていると
瞬時に気をもまされてしまったのであった。
もしかして、今の電話・・・・・聞かれた・・・?
真矢はじんわり、と背中に汗が浮かび上がるのがわかった。
まだ秋に突入したばかりなので 夏の暑さは未だ残っている。
密閉空間である図書室の気温を僅かに上昇させて、
湿った風を壁の隙間が受け止める。
嫌な空気と温度が彼女の肌に汗をもたらし、少しずつ
追い詰めていく。
だが、こんなことで自分が怯むなど、ありえない。
真矢は真摯な瞳を黒の王子へと向けると
怪しく一笑したあとに 低い声で答えたのだった。
「私なんて、皆の興味を惹く対象には程遠いよ。
ただの転入生だもん。
ーーー皆城君の方が、色々とミステリアスだと思うけど?
・・・たとえば、どうして沢山の彼女といきなり別れちゃったのか、とか」
窺い見る眼光が、真相を抉り出すかの如く
強烈に刃を向いてきた。
独特な雰囲気と 誘導する誘い文句に ただならぬ
会話技術を見た気がした総士は 冷徹な瞳を細め、
風貌を強張らせた。
「なるほど・・・特集の目玉はそれか・・?
随分安っぽい記事を書くつもりなんだな、君は」
見下す、というより突き放す声で 彼女を一掃してみたが
それでも彼女は尻込みすることなく 直接的な言い方で
対等に話を持っていこうとする 信念を微かに窺わせていた。
「ーーー違うよ。これは個人的興味からくるものだから気にしないで。
・・・・今度劇に出るって聞いたの。だからその宣伝も兼ねた主役である黒の王子の特集号。
もちろん、・・・白の王子こと、真壁一騎くんにも協力を仰ごうと思ってるんだけど・・」
乾いた笑いが図書室内に響き、空調を乱していく。
資料ファイルとカバンを持って 少女は臆することなく
普段 陰の部分をみせない黒の王子のトゲをひとつずつ
丁寧に抜いていってみせたのだ。
総士は 余程何か大事な理由でここへ来ているのだと
察するに至った。これほど 邪険に扱っても尚
怖気づかずに 前へと進む一歩を持つ少女に、
嘗て出逢った事がないのである。
こういう場合、遠まわしに言っても逆効果だ。
無駄な時間を割くだけ割いて、残るものなど何もないパターン。
ならば、直接伝える方が迅速且つ、効果的だ。
牽制も含めて 今らか罠を張るのもいい。・・効率的かもしれない。
「率直に言うが、迷惑だ。ーー僕は純粋に劇を楽しんでくれる人は歓迎する。
だが、君達が書こうとしている新聞記事にほだされて、
野次馬根性で観に来る人は歓迎できない。そういう人は大抵途中で眠ってしまう
パターンが多い。・・劇のチケットは席の数分と限られている。公演は一回のみだ。
本当に劇を心から観たい人間が観れず、劇の内容はそっちのけで物珍しいもの観たさで
くる人間が劇を観る事が出来る。・・そういう環境下を故意に作り出したくはない。
劇部員はこの公演に全ての力を降り注ぎ、努力し、身を削って頑張って来たんだ。
そういう気持ちを、君は汲もうとは思わないのか・・? 」
つとめて警戒心は控えめに、もっともらしいことを言ってのける。
彼女がどう切り返してくるか、見極める瞬間が近づいている。
「・・・・たしかに。・・その気持ちはわかるよ。でも人間は常に平等でなければならない。
権利も自由でしょ?公平にチケットが捌かれたならば、たとえ
観る人間がどういう目的で来ようと その人の自由だと思う・・。
劇は大衆うけする見世物。いわば娯楽なの。
娯楽としての要素を果たしていれば それでいいと私は思ってる。
・・だから平等な条件でチケットを手に入れた人間に 良し悪しを唱えるのは、
失礼よ。あくまで劇部員は見てもらう、という姿勢を忘れてはいけないと思う。
お客さんを選ぶということを提供側はしてはいけないのよ。提供してほしいと
望む存在があるからこそ、初めて提供する側は成り立つんだから・・」
しっかりした口調で言ってのける彼女は
曇りのない眼と思考を持ち合わせた侵入者。
一癖、二癖もある人物だろう。
・・こういう考えに至るということは バックグラウンドに
それ相応の頭脳派がいる、または同じ系統の支持者が潜んでいる。
つまりのところ、それはーーーーー・・。
”本物の記者”もしくは”情報員”
が彼女の背後に付いているのかもしれない。
様々な観点から物事を見渡し、客観的に本質だけを切り抜く。
事実を正確に伝える力、そうでないものを理解する頭脳。
彼女に具わった主観はまさに、そういった類のものだ。
もしバックに誰もついていないにしても、
彼女自身が その若さで情報員、あるいは新聞記者に近い仕事を
極秘にしている可能性が高い。
携帯電話で 人の眼を盗みながら連絡を取っているあたり、
公にしてはまずい事件・情報を調べているようだな。
そしてその手がかりは この学園にしかないらしい。
でなければ自ら内部へと侵入する手段を選んだりはしない。
あまりにも危険すぎる。
よほどてこずっているのか・・・、もしくは 確証がまだ掴めないのか。
あるいは情報ではなく証拠を手に入れにきたのか。
・・・どっちにしろ、この学園内に彼女の目的が隠されている。
ーーーーーー・・おそらく新聞部に入部したのも情報を手に入れるため。
生徒へ独自の質問をぶつけても 新聞部ならば変に思われない。
行動を起こすにしても、何かと動きやすいし、そう考えれば
新聞部は彼女にとっては本来の姿を隠す絶好のカモフラージュに
成り得るだろう。まぁ、もっと深く突き詰めていけば
情報探索に紛れて 特定の人物と接触することが目的、
と考えることができるな・・。
幾分厄介ではあるが、アプローチするのは
常に彼女の側からだ。さしてオオゴトにはならないだろう。
そうでなければわざわざ内部に入らなければ
いけなかった彼女の理由が立たない。つまり接触相手がいると仮定したとき、
その相手は彼女の存在を知らなかったということになる。
だから彼女は自らが その相手のテリトリーに侵入する必要性があったんだ。
だが例外として・・相手が 危険を冒してまでもアプローチしてくる場合がある。
それを感知し、彼女が何をしようとしているのか突き止めるには、
どちらにしても彼女の行動範囲を視野に入れておく必要があるな。
どっち道、遠見真矢は僕の監視対象下に置かれることになる。
暴いてやるさ、この侵入者が何を企んでいるのか。
そして、一騎に害を成す存在かどうか。
総士はほんの僅かな時間で あらゆる可能性と方法を
頭の中ではじき出し、答えを出していったのであった。
彼女の言動から 思考、史観、処理能力、判断基準、
様々な部分を自分なりに予測し、読み取っていく。
それはまさに神業といわれるに相応しい能力なのかもしれない。
不意に、全てを理解した少年が 少女の深層を
鋭い刃で貫きにかかる。
「平等や権利を主張するのは確かに自由だ。
・・・だが、君はひとつ大切な事を忘れている」
「・・・・・・・え・・?」
怪しげに口の端を持ち上げて、不適な微笑を見せる彼こそ、
本来の姿に近い黒の王子の本質、なのだろうか。
遠見真矢は今までと違った種類の違和感を覚え、口篭ってしまった。
「ーーーー『秩序』だ。・・・・劇に関して例えるなら、”マナー”という
言葉が一番しっくりくるな・・・」
「・・・・・・・・・・・・マナー・・」
思わず その言葉に、顔をしかめた。
「公平かつ平等に捌かれたチケットをどうしようと自由である権利
を君が主張するならば、僕は作り手・・・君の云う”提供する側”とやらが
唯一求めることが出来る『マナー』について権利を主張するよ。君が示す自由や権利は
秩序やマナー、ルールを逸脱しているように思える」
「・・・・・・・」
「自由や権利を語るなら、組織観を拭うべきだな。−−−君は
”提供する側” ”提供される側”という立場や枠組みに囚われて、
どちらも同じ人間で主義主張が出来る平等な権利・自由を
持ち合わせていることを忘れている。・・この場合、君は
”提供される側”の肩を持つべきではなかった。遠見、
君は僕に”妥協案”を提示しなければならなかったんだ」
「ーーー・・・・・・・!?」
総士は合わせていた視線を彼女から外すと、
くるりと踵を返し、身体を本棚たちから遠ざけて
窓際へと移って行った。窓から漏れる光が、暗がりから出てきた
端整な顔を 淡く映し、その存在の洗練さを如実に語るようであった。
「いたずらに出演者を持ち上げて劇を紹介するのではなく、
劇の内容を色濃く載せ、オプションとして僕らを小さく紹介する形式の
特集にするべきだ。そうすれば僕らは劇に関する記事を受け入れざるを得ないし、
君は話題性や出演者を優先させた軽い記事を書かずに済む。
一石二鳥だろう?・・劇に興味がない者は大抵ビジュアル的側面、記事の場合
視覚情報に 左右されやすい。だから文章のみ、という形さえとれば大方は大丈夫だろう」
僕が言っている内容を、ちゃんと把握できたか遠見?
先ほどよりも離れた場所で そう投げかけてくる瞳が
意地悪そうに細まる。
窓の燦に腰を軽く下ろして 今度は外の景色を涼しげに見回し、
遠くで手を振ってくる友達のような存在に 総士はただ 柔らかく反応を返しているのだった。
真矢は拳を作ると、肩を竦めて 今まさに
自分をあしらっている元凶へと鋭い視線を送ったのだった。
「皆城くん・・・・・私を・・・試したんだ?」
どちらにも有益になる返答、・・平等さを失わない妥協案を
正しく選択し、導き出せるか否か。
そして少年の間違いを指摘し、導き出した妥協案を
本人に提示できるかどうか。
黒の王子は密かに それを推し量っていたのだ。
「まぁ、・・・・・こんなのは言葉遊びにすぎないさ」
悪びれもせず、そう言い切った王子は 腰を上げると
図書室の扉へと近づいていった。
「あなたは最初からどうするべきか わかってた。
・・けどあえて、偏った言い方をして 私の出方を窺った。
それはどうしてーー・・?”言葉遊び”にしては手が込みすぎてると思うけど・・?」
怒りを含んだ少女の声が、静寂に満たされていた図書室内へと
響き渡った。聴こえてくるのは 微かな外の雑音と
烈火の如く、燃え上がる 彼女の荒々しい存在を主張する焔の音だけだった。
カララッ・・・・
乾いた音が、虚空に木霊す。
扉を半分開けて 体勢はそのままに 視線だけ
真矢へと突き刺すように 向けた総士は 冷静な声で言の葉を紡いだ。
「この学園で・・君が何を嗅ぎ回っていようが僕には関係ないが、
少なくとも 同じ学園にいる一生徒として 危険思想をもった人格かどうか
判断する必要があった。−−だが、君は思ったより誠実な思想の持ち主で
安心したよ。・・これで心置きなく学園生活に専念できる」
冷やかしと捉えるべきか、嫌味と捉えるべきか。
後味の残る返答に 眉間のしわが徐々に寄っていく。
真矢は皮肉と捉えると、総士の発言に こう返した。
「それはどうも!・・皆城君の学園生活が平和であるように
私が責任を持って見守ってあげるから 安心してくれていいよ」
刺々しい言い回しでそう呟いた 遠見真矢に対し、
総士はふっ、と笑みを零すと
「それはどうも」
と小さく応えて、扉を閉めた。
無機質な空間に扉が閉まる音が浮かんでは消える。
真矢は片手に持っていたファイルを床へと叩き付けると
大声で叫んだ。
「なによっ・・・・・アイツッ!!!!」
怒号と共に叩きつけられたファイルから
二枚の切り抜きの新聞記事がヒラヒラと零れ落ちた。
真矢は床に落ちたファイルをそのままにし、
新聞記事だけ拾い上げると ぼそっ、と独り言を今度は地面に落としたのであった。
「絶対に証拠を掴んでみせる・・・!皆城総士っ・・・」
呟いた彼女とは裏腹に、図書室を出て行った張本人は
上機嫌で廊下を静々と歩いていた。
「プライドが高い分、これで確実にあちらから
頻繁に僕へと近づいてくるだろうな・・」
クスッ。
ひと含み笑いを浮かべた総士は、監視対象を
自分のテリトリー内に留めることが出来た事実を改めて認識した。
「手間が省けたな」
侵入者に罠をしかけ、こうもあっさりと捕まるとは
予想しておらず 少し拍子抜けはしているものの
結果がすべて、と思い直し、機嫌を更に上昇させていく。
軽快なリズムで足音を刻み上げ、先走る気持ちだけで昇降口付近まで足を延ばした。
すると。
そこには見慣れた 艶やかな黒髪が待っていたのだった。
「あ、・・総士!」
明るい柔らかな声色が風と共に吹きぬける。
「一騎・・・!」
優しい栗色が大きく瞠られ、華奢な身体が
駆け寄ってくる。カバンを手に抱えて 黒髪を空に靡かせていた。
「よかったぁ・・会えた!劇の脚本持ってきたんだ、
もし時間があるなら読み合わせしないか・・?」
陽だまりのような微笑が眼球を覆い尽くす。
総士は 目の前の想い人に触れたくて堪らずにいた。
甘い疼きと 胸を焦がす切なさに 心が悲鳴をあげていた。
一騎、お前を守ることができるなら
僕は何にだってなる。
この平和を乱す者が現れるなら 排除するまでだ。
・・だからお前は、どうかいつまでも そのままでいてくれ・・。
届かぬ想いを胸に残し、総士は穏やかな空気を
身に纏って 一騎へ瞳を合わせて云った。
「あぁ、時間なら空いているから 読み合わせしよう。
・・・家で構わないか?」
そう訊ねてみれば 一騎は嬉々とした表情で
総士の問いかけを向かい入れたのであった。
「総士がいいなら、おれはもちろんいいよ!
総士の家行くの、久しぶりだなぁ・・」
自然と零れた 何気ない自分の一言。
別にさして気に留めることなど云ってはいなかった。
・・・はずなのに。
どうしてだろう?
一瞬総士の顔が歪んだ。
おれは何かに気づいてたのに
そのときはまだ、 深く知ろうとはしなかったんだ。
そう。このとき。
総士は 独りで ただ密かに・・
「あぁ、・・・・・・・・・・・そうだな」
苦しみを押し隠していたんだ。
NOVELに戻る
青井聖梨です、こんにちは!!!
ここまで読んで下さってありがとうございました!!!
いかがだったでしょうか??
今回はいつもより少し複雑な台詞回しになっています。
すみません(汗)
真矢の動向を気にする総士。
そして同時に総士を嗅ぎ回る真矢。
一触即発な感じですね、この二人は(笑)
中々この二人、仲良くなってくれません。
一騎の存在がどうこの二人に関係していくかに
注目して戴けると幸いです。
それではこの辺で!!
また次回も宜しくお願いします。
青井聖梨2007・11・8・