あの日、僕を闇から救い出してくれたのは





確かに君だったんだ











始まりはいつも、雨。












あの日も、今日みたいに雨が降っていた。









サァァァ・・・・





雨脚は止まることを知れず、
雨は次第に大降りになっていった。






幼い日に聞いた父さんの声が 耳の奥に響く。





『総士、お前の望みはなんだ?』






僕は今、どんな顔をしているのだろう?



どしゃぶりの雨の中、僕の手を振り払って逃げるように 
走って行った君の消えていく背中に




僕は何度も話しかけた。









振り向いて、もらえるまで




何度も・・・・




+++









「うわぁ〜、綺麗!」



「気に入ったか?総士。」



「うん!とっても!!」





幼い時、父の書斎でガラス細工を目にした。
決め細やかな装飾と独特の透明感。
それは天使のように背中に羽をつけた女性が、
微笑んでいる形をした置物だった。
室内で一際その存在感を示していた、その鮮やかなガラス細工は
僕の心を揺れ動かした。

面影が、亡き母に似ていたからかもしれない。


僕は無性にそのガラス細工が欲しくなったけど、
言わずに言葉を呑んだ。


ここは父さんの大切な書斎。
休日になると、大抵仕事で書斎に篭る父は、
人付き合いの器用な人ではなかった。
いつも休日はここで一人、静かに過ごしていた。
そんな大切な場所の机の上にさり気なくこの置物を置いている父。

なんだか母の写真を置いているような気がした。


母は写真に写るのが苦手だった人だったようで、
母の写真といえば 一枚きりしか残っていない。
その一枚の写真は、僕の部屋のベッドサイドに飾ってある。
写真に写る母は、照れくさそうに一人で笑っていた。

ネガが古びていて、焼き回しが出来ないため、
父は母の写真を手元に持っていなかった。
僕は悪いと思いながらも、譲る事が出来なかった。
母の笑顔が急に恋しくなる瞬間をやり過ごすためには
・・僕には写真が必要だったからだ。

父も同じだと、分っていても。



きっと父は写真の代わりに、このガラス細工を飾っているのだと思った。
この、どこか母を思わせる顔をした 天使のような女性を。
だから僕は欲しいなんて、決して口にしてはいけないんだ。




寂しさを埋めるには
きっと人は その代わりを求めてしまう。



埋める何かを探し続けてしまうんだ。






僕も



父さんも・・・



きっと。



そう思っていたのに・・・・・






ガラス細工は一週間後、見知らぬ人の手に渡ってしまった。






僕には父さんが理解できない。





+++




バシャバシャッ・・・





「一騎!待てよ!!」



「嫌だっ、放せよっっ!!!」




人通りの少ない海岸際。
傘も差さずに僕たちは、もみ合っていた。
打たれる雨もそのままに。



「僕から逃げられるとでも思っているのか?!」


「やめっ・・・総士!!」


僕は逃げる一騎の腕をしっかりと掴んだ。
掴んだ手が、何故か熱い。


「逃がさない・・・絶対に・・・っ!!」


「そ、・・うし・・・」



一騎は僕が怖いのか、微かに身体を強張らせる。
今 一騎の目の前にいる自分が、一騎にとってどれほどの驚異か
これでも自負しているつもりだった。


ザァァァァッ・・・



雨脚が、急に強くなる。
雨できっと僕らの体温は低くなっているはずだ。
温めあわないと。



そう思って、掴んだ腕を僕は自分の方へと引き寄せる。
一騎は突然の事で身構える事も忘れて、僕の胸に抱き寄せられた。
胸の中に力いっぱい閉じ込める。


「総士っ!!!」


叫びに似た、一騎の矯声が辺りに雨音と一緒に響き渡った。



「お前は何をそんなに怯えているんだ・・・?」


僕がそう問うと、一騎はぐっと口を噤んで歯を喰いしばっていた。
まるで何かに耐えるように。
僕は何故一騎がこんな態度を取るのか大方 目星はつけていたけれど、
確認の意味で聞いてみた。
でも強情な一騎は何も言わないで僕の胸に収まっている。
・・ため息が、空中に零れた。



「・・・・・父さん、だな?」


胸の中にいた一騎が微かに震えた。
―――やっぱりそうか・・、心の中で呟いた。



「何を言われたか、大体想像はつくよ。・・あの人のことだ、
”これ以上、僕と関わるのをやめて欲しい。総士のためにも
それが最善の選択なんだ・・”とでもいったんだろう?」


図星なのだろう。驚愕の表情を浮かべて、一騎が下から眺めてきた。
僕はあまりにも素直な一騎の反応に、思わず苦笑する。


「父さんが何を言おうと関係ない。僕はお前の側に居たい。
・・・・お前が好きだよ、一騎。」


僕がそういうと、一騎は何だかとても苦しそうに顔を歪めて
今にも泣きそうだった。
と、思った瞬間 力いっぱい突き飛ばされる。


ーーーーーーードンッ!!



僕は驚いて反射的に、一騎の腕を再び掴んだ。



「一騎?!」


驚く僕の手を振り払って、一騎は声をあげて叫んだ。


「俺だって・・!!お前の側に、居たいけどっ・・・でも・・・
このままじゃ俺・・お前の足手まといになるんだろ?!」


「何言って・・・」


「校長が言ってた・・・!このままじゃ、総士の邪魔になるって・・
総士が苦しむ事になるって!!だからオレッ・・・・・・」


其処まで言いかけて、一騎はそれ以上何も言わなかった。
左手で口を押さえて、嗚咽を漏らさないようにしていた。
瞳からは、今にも涙が溢れそうだった。


一騎はそんな自分を見られたくなくて、勢いよく振り返り、
僕に背を向けて走り出した。


雨音が、一騎の足音を空中でかき消す。
びしょぬれになった僕は、遠ざかる一騎の残像を 必至に眺めていた。
消えてなくなる、その瞬間まで。

まるで世界がモノクロ映画のようだった。
雨が頬を静かに伝う。
伝った雫が、自分の瞳から溢れ出たものなのか、雨の雫なのか
僕にはわからない。

ただ今の僕に分る事は


大切な人を、守りきれなかったという事実だけだった。











ふと、あの手に入らなかったガラス細工を思い出す。








あのとき、人の手に渡っていくガラス細工を
僕は見送る事しかできなかった。





もし、あのとき


ほんの一欠片でも 僕に勇気があったなら


追いかける事だって出来たはずだ。
暴れて泣いて、みっともないと笑われたっていい。



僕がずっと逆らえずにいた父さんを困らせてまで、
譲れないモノがあるんだと 胸を張って言えたなら



あのガラス細工は手に入ったかもしれないのに・・・







――― − ‐・・・僕は途端に、走り出した。


僕の中から君が消えないように。
あの過ちを繰り返さないように。



二度とあんな想いを、しないためにも。



もしかしたら、あの日の続きが
ここからやり直せるかもしれない。


ここから何かが、始まるかもしれない・・・


あのガラス細工を目の前で見送った
大雨の日から、ずっと。


ずっとやり直したかった・・・。




あんな想いはもういらない。
死んだ方がマシだ。







本当は最初からわかってる。
手に入らないことなんて。


わかってる。





わかってるから苦しい。











・・・苦しい。









苦しいよ、一騎。























「−−−−−−っはぁ・・、捕まえた・・・」








雨を振り切って、ただひたすら走った。




君を再び、抱きしめるために。









「―――――総士・・・っ」







君は泣いていた。
僕が追いかけてきた事に、驚きながら。

溢れる涙もそのままに、
今度は君から抱きついてきた。




君を想うと苦しい。
だけど・・・・



    だけ、ど・・・・







苦しい・欲しい・消えないでくれ・・・・・・・





「もう失いたくないんだ――」





あのときみたいに。






「手に入らないと言うのなら・・」











                            なぁ、一騎。





                        僕が無様に泣いてせがめば













「・・・・・・僕を殺してくれ」





                          お前は手に入るのか?











「総、士・・・」







自分じゃもう、止められないんだ。





お前が目の前で 誰かに奪われていく姿なんて
見たくないから・・・。







あの大雨の日。
父さんがガラス細工を手離した日から
今日まで 僕の中で輝き続けていたのは君だ。




聞いてくれ一騎。






あの日、僕を闇から救い出してくれたのは







確かに君だったんだ












わかるだろう?






+++
















やっと見つけられたのに・・・

僕が普通で居られる場所。




自分が自分らしく 居られる世界。





ただ僕は普通で在りたかっただけだ。








それ以外の望みなんて、在りはしなかった。








「総士、お前の望みはなんだ?」






ガラス細工を手離した、大雨の日。

父さんは、僕の見知らぬその人と一緒にガラス細工が
消えていく様を雨の中 ずっと見送っていた。

僕は横で静かにその光景を眺めていた。
幼かった僕は 悲しくて仕方がないのに 何故だか泣けなくて、
竦む足を見られたくなくて 必至に隠していた。

そんな僕に、消え去るその人とガラス細工を遠くから見つめながら
父さんは 雨音に消え入りそうな声色で 聞いてきた。



僕はそのとき 訳のわからない感情に押しつぶされそうで
思わず、大人ぶった口ぶりをして、父さんに返した。







「・・・言うに及ばない望みですよ」


























父さん・・




それだけだったんだよ、本当に。


僕の望みなんて・・・











貴方にとっては ちっぽけだ。



















「俺は殺せないよ総士・・・・・」










手に入れたい








「お前を殺すなんて、出来ない・・」







やり直したい






「だけど・・・」







あの大雨の日から









「一緒に死ぬ事は出来るよ」







あの日の続きが、今なら見れる気がする







「それから・・・」







始まる気がするから






















「一緒に生きる事も出来るよ」





















始まりはいつも、雨。















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こんにちは、青井聖梨です。
シリアスをまた書いてしまった・・(笑)過去と今が交差してるお話です。
いかがでしたか?本当はこのお話連載にしようと思った話なんですが、
掻い摘んで短くアレンジしました。
今はこっちの方で良かったと思っています。
総士の母親ってどんな人なんだろうと思いながら書きました。
何故、公蔵が大切にしていたガラス細工を手離したのか是非考えてみてください!
それではこの辺で、失礼しました。

2005.8.9.青井聖梨