信じて欲しい

















虚像(レプリカ)は僕に微笑む

〜蒼穹編〜



















ザーーーーーーーッ・・・







降りしきる雨が、過去も未来も 全てを洗い流して 
無に還して行くようだった。

お経を読む、住職の声が雨音に打ち消されていき、
僕の記憶をぼんやりと霧が掛かるような曖昧なモノへと変えていく。

誰かに縋りたいけれど、縋れる人など傍には居なくて。
母さんを最後まで悲しませた父さんが、許せなくて。

僕は独り、親族の席を静かに立って、降りしきる大雨の中に
自ら飛び込んでいった。


大きな木陰の下、訳も無く いつまでも佇んでいた。


見上げれば、真っ暗な空。


着ている服は 皆、真っ黒。
気持ちが沈む・・・意識が薄れる。
どうしていいか、わからない。


見えない闇が自分の背後に迫っている気がした。
唯一心を許せた母さんが この世から居なくなったことで
自分の精神的な支えがなくなってしまったことに、今更気づく。

空を仰ぎながら、この世界にたった独り、取り残された惨めな自分を思う。
孤独が肩に重く圧し掛かり、いつの間にか身動きが取れなくなってしまった。


雨が、・・・空から痛いくらいに降り注ぎ、
僕の全てを濡らし、微かに零れた心細さをも、押し流す。


瞳から 幾筋かの熱が不意に零れ落ちた。
泣くつもりなんてなかった。




だから、参列者に見られないよう わざと隠すように・・泣いた。
雨がーーー涙を隠してくれる。まるで本当の僕すらも 隠すように。
この先、独りで強く生きていけるように・・僕は。


降りしきる雨と一緒に・・・全てを洗い流そうと思った。
母さんにしてきた父さんの罪も、無力だった自分も そして







僕が愛した、幸せな日々も。





本物の愛を知っている母を失ったこの日、
僕は全てを失った。

今までの、全てを。









雨が、・・・止め処なく 空から舞い降りる。






空は、いつまでも暗いままだった。







まるで 光を求め彷徨うように

雨音が、天の慟哭に聴こえてくるようだった。








あぁ、









「・・・・・青空が見たい」









+++






























「総士・・・!総士!!」





遠くで、誰かの声が聴こえる。


現実の世界と追憶の世界の狭間にいた僕を
呼び起こすように、耳の奥で反響する その柔らかな声。


・・誰だ?



重い目蓋をゆっくりと開けてみる。
ぼやけた視界に映る、目の前にある輪郭は 彼の
ほっそりとした顔面を明確に映し出した後 白い肌をしきりに
ちらつかせた。あの日の雲を連想させる灰色の瞳が 僕を真っ直ぐに見つめて
合図を送ってくるようだった。

僕はそんな彼を見て、はっと記憶を手繰り寄せたのだった。



「あ・・・・僕、・・・はーー?」



「よく寝てたぞ?お前。・・・疲れてるんだな」




柔らかい、囁くような響きを持つ この人、将陵僚は
僕のクラスメートで数少ない友人の一人であった。

彼とは何故か付き合いやすい。
というのも年が一つ上な分、洞察力や予知力が同年代より
優れているからかもしれない。

他者の深い部分にまでは触れないというか、デリケートな部分を
いち早く察して、無駄な詮索を避けてくれるのだ。
時と場合にはフォローもしてくれる。さすが人生経験が一年先輩だけのことはある。
僕なりに 心底感心しているのだ。

しかしそんな彼が何故、僕と同じクラスに所属しているのか。
それは彼が持つ、病気が原因を作ったのだった。


幼少の頃から身体が弱く、病弱だった将陵さんは 学校に行くことも
ままならないほどの日々を送っていたらしい。

この島は、中学校までは義務教育で通っているので 大幅な例を挙げるならば、
ずっと家に篭り切りでも 進級し、卒業できる仕組みになっている。
将陵さんは 身体の様子を見ながら、登校する毎日だった。
学力の方は 家庭教師をつけて、きちんと身につけていたようで 予定通り去年
卒業することが出来た。頭脳面でも司法面でも何ら問題がなかった将陵さん。
順当に高等部へ進学するはずだった。

しかし、将陵さんの意志は それとは違うものだった。
きちんと教室で皆と同じように勉強し、学力を身につけたい。
学校行事に積極的に参加して、運営してみたい。


彼なりの学生への姿勢を見せたかったのだろう。
学長である父に将陵さんは直談判しに行き、特例のかたちで
一年間の留年を許可してもらったのだ。

普通ならば、何にせよ 同年代の生徒と一緒に卒業したいと思うだろう。
が、彼は 学校という機関に所属する一生徒として そのあり方を僕らに教えてくれた。
自分の歴史の軌跡を確かに刻み、見直していた。

彼の強さだと、僕は思う。
密かに尊敬もしている。

非現実的な大人社会の中で 埋もれることなく、
燦然と輝き、生きる道を模索するその 姿は 目を瞠るものがあった。

将陵家は代々続く歌舞伎の家元である。
将来は歌舞伎役者になるであろう将陵さん。
自分の記した道が 辛く予想以上に険しい道だとわかっているにも関わらず、
明るくこうして今まさに 僕に微笑みかけてくれている。

果てしない度量を持ち合わせた人なのだろう。
尊敬すべき点が多すぎて 何だか自分がちっぽけな人間にみえてくるようだった。


「いえ・・・疲れてなどいませんよ。
将陵さんこそ、生徒会の仕事で疲れているのでは・・?」


「いや、・・平気。案外疲れないんだ。
生徒会は会議が多いだけだしな」


ははっ、と乾いた笑いを宙に零しながら彼は 静かに
僕が座る窓際の一番奥の丁度前に 腰を下ろして
窓の外に視線を落とした。


「綺麗な夕日だな・・・」


机に頬杖をつきながら、ぼんやりと話すこの人は
とても幻想的だった。


まるで夢物語を見ているかのように、儚い瞳をしていた。



「・・・・身体の方は、大丈夫なんですか・・?」


不意に訪れた沈黙を制するように、僕は言葉を続けた。
すると将陵さんは 僕の方に声だけ向けて、こう言った。



「・・学校生活が楽しくてさーー・・疲れなんて忘れたよ」


何処か優しいその響きを聞いて、僕は心底安心した。



「・・そうですか」


負い目を感じることなく、今を大切に生きる この人。
とても眩しい人だった。



そうして暫く沈黙が続いて、将陵さんが ”そういえば”と
声を出して こちらに振り向いた。
僕は身体を竦めて、少しだけ 身構える。


「総士、生徒会長・お悩み相談箱って知ってる・・?」


突飛な台詞が飛び出して、僕は一瞬思考回路が停止した。
が、必至で答えてみせた。−−黙っているままは相手に失礼だと思ったからだ。


「あ、・・・あぁ・・知ってます。各昇降口に一箱は付いてますよね」


「そ!人には相談出来ないことなんかを 人知れず俺に相談できる
画期的なお悩み相談箱ーー・・なんだけどさ」


「・・画期的かどうかは別として、どうかしたんですか・・?」


前半を冷静に否定しながら、どこか含みを持たせて核心に遠ざかる言い回しに
改めて僕なりの問題提起を与えてみた。

将陵さん、改め、生徒会長は 小首を傾げながら 盛大なため息をつくと、
困ったような声で 僕にことの成り行きを説明した。


「ん〜・・、少し困ってるんだ。なんて答えればいいかさ」


「・・?どんな悩み相談なんです?」


「それがさ・・・・ある女子生徒の話なんだけど、
ずっと片想いしていた人がいて、先日 告白したらしいんだけど・・
気持ち悪がられて 振られたらしいんだ」



「気持ち悪い・・?」



「ーーそ。・・なんでも幼馴染同士で小さい頃から今までずっと その彼女は 彼を一途に想ってたらしい。
けど、そんなに長い時間自分のことを想っていたという事実に 彼の方が気味悪がってさ・・
彼女を振ったらしいんだ」



「・・・・・」



「まぁ、総士はどうかわからないけど 強すぎる想いはある種の恐怖を生むと俺は思うよ。
現にストーカーがいい例だ。・・・でも、想っている本人は ・・どこまでも純粋だとも取れる」


少しだけ遣る瀬無い顔を作りながら、生徒会長は笑った。
この世の中には 矛盾したことが多すぎる。不意に自分自身、そう感じた。


「・・・で、彼女の相談はこうだ。
ーーー”彼に出会う前の自分を取り戻すには どうすればいいですか?”」



「・・・・・・・・・」



「なんかさ・・・・・切なくて、・・・返事する言葉が 思いつかない」


またぼんやりと、生徒会長は 窓の外の暮れゆく夕日に視線を向けて
すっと瞳を細めながら 小さなため息をひとつ、虚空に漏らした。

僕は そんな生徒会長の儚い姿に 人知れず胸を痛めるのだった。



「・・・・・凄いことだと、思います」


「−−−え?」


いきなり喋った僕に驚いたのか、生徒会長は
間の抜けた声で 僕に聞き返してきた。



「ずっと・・たった一人を変わらずに想っていられるなんて・・凄いことだと思います」


拙い自分の言葉。
だけど、どうしても答えたかった。伝えたかった。


「その彼は、彼女の想いが強すぎて・・気持ち悪いという表現で その想いを否定しましたが、
少なくとも僕は ・・僕だったらーーそうは思わない」


「総士・・」



「嬉しいと思います、とても。
受け止められるかどうかは置いといて。純粋にーー」



きっと。



「・・・・・誰かが、自分のことをそんなにも大切に想ってくれている、
長い間 温かく見つめてくれていたのだと知る事ができた事が
ーーー僕にはとても、幸せなことのように思えるんです・・・」



溢れた想いが言葉に代わり、目の前に居る人へと届いていった。
生徒会長は 瞳を丸くしたあとに 先ほどより優しい瞳を揺らしながら
”変でしょうか・・?”と問う僕に 小さく微笑んで言った。



「いや、総士らしいよ・・」


そう言って、生徒会長は紙とペンをカバンから取り出し、
書くような態勢を作って こちらに視線を落とした。


「で?お前なら、この質問になんて答える・・?」


微妙に意地悪気な色を宿し、答えを催促する 一つ年上のクラスメート。
彼の愛嬌と どこまでも澄んだ灰色の瞳に 一瞬怖気づいた僕だけど・・。



「・・そうですね、僕だったらーーー・・こう書きますね」




僕なりに前へ、進んでみようと思った。












「”彼と出会う前の自分ではなく、
彼と出会った後の自分を慈しむべきである”」










僕らしく、ある為にーーーーーーーーーーーーーーー。








+++











放課後の校舎は淡く虹色に光る水面のようだ。
移り変わる時間によって その影も、光沢も変化していく。
人間に表情があるように 自然にも表情があると最近よく感じるようになった。

四季があることが当たり前になっていたこの島だけど
国や島の位置によって、四季が存在しない場所もきっとある。
この事実がどれだけ幸せなことかなんて 考えもしなかったけど、俺は
総士に教えてもらった気がする。

ガーデニングをしている総士。彼が咲かす花の大体は 開花時期がずれたり
大幅に違ったりしているのだ。

それはつまり、季節を感じるということなんだ。

春には桜、夏には向日葵、秋には金木犀、冬には牡丹。
当たり前でいて、そうでない この不思議な感覚。
幾千もの奇跡が繋がって 俺はこの島に生を受けた。

事実と虚像の間で 俺は 今という奇跡を大切にしたいと願う。
そんな自分を忘れないようにいたいと思う。


総士が教えてくれた。


”当たり前なことなんて、何もない”ってこと。



忘れないでいよう。


きっとーーーー。





物思いに深けながら、俺は特別校舎におずおずと
足を踏み入れていた。

今日は待つんじゃなくて、自分から勇気を出して誘おうと思ったんだ。
”一緒に帰ろう”−−たった一言だけど 今の俺にはとても難しい言葉。

でも、もう傷ついたってなんだっていい。
総士が好きなことに変わりはないし、何より・・・傷つくことよりも
総士から離れることの方が辛いって

知ってしまったから。




そうこうしている内に、特別校舎の三階にある
トップS組のネームプレイトが視界に入ってきた。

総士はまだ帰っていない。下駄箱を覗いたら、まだ靴が入っていた。
きっとこの学校内にいるはず。
まずは教室から探してみようと思った。もしいなかったら、お昼をいつも一緒に食べる
屋上へ行くことにしよう。


総士はあまり人と関わりたくないようなので
いつも殺伐とした場所を好んでいる。
寂しい気もするけど、それが”総士”なのだから それでいいと俺は思っている。


ゆっくりとS組みの後ろの扉を開けようと その場に佇んだ そのとき。
風に乗って 誰かの声が聴こえてきた。





『そ!人には相談出来ないことなんかを 人知れず俺に相談できる
画期的なお悩み相談箱ーー・・なんだけどさ』


『・・画期的かどうかは別として、どうかしたんですか・・?』





扉越しなので少しくぐもった音ではあるが、確かに聴こえる その声。
総士と・・・・誰かの声だ・・。





おれは小気味よく総士が誰かと会話している所を見たことがなくて
ほんの少しだけ 驚いていた。
うっすらと見えるドア窓の向こうには 窓際の席に座って話す、総士と・・
あ!思い出した。−−−この学校の生徒会長だった。




知らなかった・・・生徒会長と仲がいいんだな。
少しだけ、複雑な想いに駆られた。

嫉妬、というには少し遠いかもしれないけれど、確かに自分の心は
動揺していた。総士が柔らかい顔をみせている所を 学校ではあまり見たことがないから。


複雑に胸を焦がしながら 二人の会話を暫くの間、立ち聞きしていた。
どうしても入っていけなくて、足が竦む。
先ほどまでの勇気は何処へ行ってしまったのだろう?
情けない自分が ほとほと嫌になった。


と、そうこうしている内に 話はどんどん進んでいって
不意に自分の心臓が止まるかと思った。



『ーーそ。・・なんでも幼馴染同士で小さい頃から今までずっと その彼女は 彼を一途に想ってたらしい。
けど、そんなに長い時間自分のことを想っていたという事実に 彼の方が気味悪がってさ・・
彼女を振ったらしいんだ』





キモチ・・・ワル、イ・・・?




自然と自分に重なった。




『なんかさ・・・・・切なくて、・・・返事する言葉が 思いつかない』




まるで彼女が自分のように思えた。




想像してみる。彼女の姿を。
・・俺には簡単なことだった。


きっと、ずっと遠くから見守っていたのだろう。
毎日 傍に居るだけで苦しかったに違いない。
好きで・・好きで・・・その想いが消えることはなくて・・・。
どうしても伝えるしか 方法がなかったのだろう。

もう、見ているだけでは いられない所まで
彼女は来てしまったんだ、きっと。


だって


彼女は間違いなく、






本物の恋をしていたんだーーーーーーーーー。
















自分も似たようなものだった。
擦り切れた写真を何度も見つめていた。

どんなに時間が過ぎても、想いは変わらずに
そこに在り続けた。

出会った瞬間に、想いが溢れ出した。
受け入れてもらえなくても、それでも彼しか見えなかった。



それほどに 自分は



・・本物の恋をしていた。







けど。
傍から見たら、気持ち悪い光景なのだろうか?


一人の人を長い時間愛すということは、その人には重くて
負担にしかならないのだろうか?



総士にとっても、やっぱり俺は






”・・・・・聴かなかった事に、させてくれ”







・・気持ち悪い存在なのだろうか・・・・?







停滞していく思い出と、記憶の中で 俺は
大きな傷を 自分の中で見つけてしまった。


平気だと思いながら、忘れられない その傷は
時々おれを苦しめては あざ笑うかのように深くまで練りこんでいった。
深層が壊れたぜんまい時計のように ぎこちない痛みを 俺の胸に与える。
呼吸が上手くできなくて、きつく胸元を押さえ込んだ。


次に紡がれる総士の言葉が怖くて、何故か額に汗が滲んだ。


そのときだった。







『・・・・・凄いことだと、思います』






まるで



救いが形にでもなったような声だった。





『ずっと・・たった一人を変わらずに想っていられるなんて・・凄いことだと思います』





許されたように思えた。





『その彼は、彼女の想いが強すぎて・・気持ち悪いという表現で その想いを否定しましたが、
少なくとも僕は ・・僕だったらーーそうは思わない』



ふられてしまった自分でも  


まだ総士のことを好きで いいんだと






『嬉しいと思います、とても。
受け止められるかどうかは置いといて。純粋にーー』


許された気がした。








『・・・・・誰かが、自分のことをそんなにも大切に想ってくれている、
長い間 温かく見つめてくれていたのだと知る事ができた事が
ーーー僕にはとても、幸せなことのように思えるんです・・・』





出逢ったこと事態が・・間違いなんじゃないかって、ずっと
心のどこかで思っていた。


それは 夢見ていたことだったから
否定するのは辛すぎた。



『変でしょうか・・?』




でも・・・

『いや、総士らしいよ・・』




だけど。












『で?お前なら、この質問になんて答える・・?』




『・・そうですね、僕だったらーーー・・こう書きますね』



間違えなんかじゃなかったんだ。













『”彼と出会う前の自分ではなく、
彼と出会った後の自分を慈しむべきである”』
















あなたがそう、言ってくれる限りーーーーー・・・。









+++























あの後、俺は そっと教室を離れた。
小さな感動を抑えられなかったからだ。

胸が苦しくて、幸せだった。


そのせいで昨日は中々寝付けなかった。




そして朝。
登校途中 ふと、いつも持ち歩いている 擦り切れた写真を手に取ってみる。


幼い総士が写っている、たった一枚の写真。
 初めて俺が総士の存在を知った 俺の宝物。


ゆったりと流れ行く川を橋の上で眺めながら 水面の輝きを背景に見つめていた。
古びた写真を空へとかざしてみる。

空の青が 瞳の中に染み渡るようだった。


清々しい風。
キラキラ光る水面。
川のせせらぎが気持ちいい。

俺は静かに瞳を閉じて 総士の姿を思い浮かべた。




その刹那ーーーーーーーーー。





「何してるんだ、一騎・・?」




ーーーーービクッ!!




急に総士の声が背後から聴こえてきた。



おれは吃驚して 肩を大きく強張らせた。
動揺の色を隠し切れない。



「っーーー・・!!」




「一騎・・・?」




言葉にならなかった。
総士のこと、考えてたなんて 言えないよ。



俺は総士の居る方へと振り返ると
すぐさま視線を彷徨わせて、この場をどう切り抜けようかと
模索していた。


が、それ所ではなくなってしまった。
自分の右手に写真がまだあることを忘れていたのだ。



「あっ・・・」


思わず声に出してしまったのが悪かったのだろうか?


汗ばんだ手で持っていた その写真は、風に攫われて宙を舞った。





「え・・?」



不思議そうに舞った写真を視線で捉えようとする総士。


俺は懸命に 宙へ浮いた写真に手を伸ばした。
総士に見られたら、大変だ。



が、こういうとき 運命の神様は 
俺に味方してくれない。何故だろう。




風の流れに身を任せるように、写真は川の
流れへと呑み込まれていった。




そう。つまりは川に落ちたのだ。




「嘘・・・・!!!?」




俺は真っ青になって川に飛び込もうとした。
しかし、それを制する総士が 俺の腰を掴んで 叫んだ。



「なにしてるんだ?!ここから飛び込むつもりなのか?
危ないからやめろーー!!!」



「っ・・・・、でも、早くしないと流れていっちゃうから・・!」



「諦めろ一騎!ーー初夏だからといって、まだ水温は低いから風邪をひく!
それにこれから学校だろう・・?」


懸命にとめようとする総士。
でも俺には聞き流すことしか出来なかった。


だってあれは・・俺にとって大切な・・・



大切なーーーーーーー・・








「それでもいいッ・・・・!!!俺の宝物なんだッーーーーーー!!!」













希望の光なんだ。












ーーーーーーーーーーーーーーードボンッ!!!



















バシャバシャ・・、と水を掻き分ける音がしきりにしていた。
静寂を煩わしく消すのは 想いの欠片を探すため。



一騎は辺りを十分に見回してみた。
何度も潜ってもみた。けれど、大切なその写真は中々見つからない。
諦めたくない。こんなところで終わらせたくない。
辛い時も哀しいときも いつだって見つめていた その虚像の笑顔。


淋しささえも、その写真一枚で 乗り越えてきた。
いつだって 傍らにあった 擦り切れた写真。
自分にとって唯一の希望を抱かせてくれた存在だったのだ。


「お願いだ・・・、見つかって、くれ・・・!!」


総士の言うとおり、初夏といってもまだ水温までは高くなかった。
肌に差し込むような痛みが走る。
長く浸かれば、風邪を引くだろう。

けれど今の一騎には 自分の身体の安否よりも 流れていった写真の安否の方が
数百倍も大事であった。

半ば泣きそうな顔になる自分を 嗜めながら 歯を食いしばって探す、その姿に
総士はただ目を瞠るばかりであった。




「そんなに大事なものなのか・・・」




”宝物”といった彼の言葉が深く 胸まで染みてくる。
何かに あんなに直向に まっすぐ向かったことなどなかった総士。


一騎が羨ましくもあり、太陽のように眩しく輝いて見えた。





総士は そんな一騎と向き合おうと決めた自分を
奮い立たせ、自らも その川に身を乗り出して流れに委ねた。




ーーーーーーーーーーーーーーーバシャッン!!!!!




大きなうねりとなって波がいくつも 一騎まで届いてきた。



「そ、っ・・・総士?!」


甲高い声が驚愕の事実を否定するかのように 周囲へと響き渡った。
一騎は水滴を髪から行く筋も流しながらこちらに寄ってくる総士の姿を見て


遠い昔の あの雨の日を 不意に思い出した。


びしょ濡れになりながら、密かに空を仰ぎながら 
おそらく泣いていた総士。

声を掛けたくてもかけられなかった自分。


初めて自覚した、あの日。
自分が恋に落ちた その人が今、目の前にいる事実。




どれだけあれから時間が経っただろう。
もう、充分自分は幸せなんだと 思える。




「そんな所を探しても見つからないぞ!もっと川の流れをみてみろ。
・・流れが速いから もう少し下流でないと 見つからないだろう」


明確な言葉と予測に、大きく頷きながら 一騎は総士の
後を付いて行く。総士は流れと落下地点を推測・予測し、的確な位置を
頭の中で導き出していた。

一騎は頼もしい総士の姿に、暫し時を忘れかけてしまった。
そんな自分に 自嘲気味に一笑すると 一騎はその広い背中を 切ない想いで流し見た。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーその時。






「・・・一騎、お前の宝物は・・・・これのことか?」


水面から掬うように拾い出された、 その古びた薄っぺらい
紙の様な長方形の写真。

随分色褪せた その一枚の中心に写る幼い日の虚像
である少年が 今まさに 救い出した張本人へと変貌するまで
すでに十年以上の歳月が流れていた。

黄ばんで萎れ、ぐったりとした状態に濡れている 一騎の宝物を
しっかりと掴みながら 総士はバシャバシャ、と勢いよく水音を立てながら
彼に近づいていった。

一騎は見つかった嬉しさと見られてしまった恥ずかしさで、
総士の顔がまともに見れず、途端に俯いてしまうのだった。


「・・・・うん」


やっとの思いで紡いだ言葉は、肯定する一言のみで
総士にどう思われたか不安でたまらない。

一騎は 両手に握りこぶしを作って、緊張を少しでも解こうと必至に
足掻き続けるのだった。

そんな一騎の緊張と沈黙を破るように 総士が口をゆっくりと開いた。




「・・・本当に幸せそうだな。この頃の僕は・・」



懐かしむように呟く総士。
一騎は 目の前に佇む総士へと黙って顔をあげた。
その瞳の奥を探るかのように。


総士は真っ直ぐな銀色の瞳を揺らしながら
噛み締めるように 尚も呟いた。


「目に見えるもの全てが真実だと、この頃の僕は
・・信じて疑わなかった。どこまでも素直でいれた気がするよ」


懐かしそうに、感慨深そうに話す総士の表情が
少しだけ哀しい色を宿した。
一騎は 居た堪れない切なさに身を焦がすことしか出来なかった。
どうすれば 総士の闇を 取り除けるのだろう。
考えても、考えても・・想いだけが膨らんでいった。



しゅん、と肩を竦める一騎の姿に気づいた総士は
苦笑すると 一騎の冷えた手のひらに その写真を手渡すのだった。


一騎は その瞬間、自然と言葉を紡いでいた。



「・・・・・・何も、聞かないのか?」



墓穴を掘るとはこのことだ。
おそらく気遣って詮索しなかったであろう 総士の心遣いは
一騎のどこまでも天然でぬけた性格に無碍にされてしまったのだった。


総士は一瞬驚愕の表情を作り、一騎を真摯な瞳で見下ろした。
少し自分より背の低い華奢な身体が 小刻みに震えている。

水温から来るものなのか、それとも緊張から来ているものなのか
総士は冷静に判断出来そうもなかった。

なので宥める様に そっと呟いてみせた。



「聞かないよ。・・・この写真をお前が持ってることは
以前から 知っていたんだ」



「!!!!」



あまりに唐突な発言で 一騎は目を丸くする前に
声をあげるのすら忘れてしまった。



追いつかない思考回路をフル回転させ、
一騎は恐る恐る総士に尋ねてみる。


何故この写真の存在を知っているのかということを。



「な、・・・どう・・して・・・・この写真のこと・・・」



知ってたんだ?


最後の言葉は言葉にならなかった。



羞恥心と恐怖とが混ざり合って不思議な感情を
自分の中で形成させていく。


どうしよう。 こんな写真を持って、気持ち悪がられただろうか・・?



色々な想いが一騎の中で鬩ぎあっていた。
過去と未来を繋げるようなその光景は 一騎にとって
今まさに目の前の人が夢の中の虚像か否か 判別できないほどだった。

悶々と思考を巡らせていた一騎だが、総士の言葉に 思考回路が遮られる結果となった。




「・・辞書を借りようと思って 寝ている一騎の部屋へ入ったら、
お前がコレを 握り締めているのを見かけたんだ」



出来るだけ簡潔に解かりやすく 落ち着いて話す総士の瞳の色が
微かにぼやけて見えた気がして 一騎はドクン、と鼓動を高鳴らせた。

何かおこる前兆なのではないだろうか。
それとも 自分の買い被り、なのだろうか・・?


その銀色をただ直向に 見つめながら 
総士の言葉に耳を そっと傾けることしか 今の一騎には出来そうもなかった。
総士は そんな一騎の様子に気づいたのか 優しい声色で 深い響きを交ぜながら
丁寧に 一言ひとことを 紡ぎだすのだった。




「なぁ、一騎。前にお前は僕に言ってくれたな。
・・・愛は目に見えないものだから、カタチに出来ないものだから
その深さも大きさも知ることは出来ない。しかしだからこそ 人と人は向き合うことで
確かにそこに生まれたのが、愛なのかどうか、本物なのかどうか確かめるのだと」



ゆらゆらと、水面に映る二人の影が 空からの光に反射して
キラキラと音が聴こえるかの如く 輝きだした。

川のせせらぎが穏やかな朝の景色を 一層映えさせてくれるようで
とても清々しい音へと変わって行った。


一騎は 総士の言葉に、大きくコクリと頷くと 尚も真摯な瞳で
彼を見上げるように視線を落とした。


「−−・・だから僕は・・確かめてみようと思う。
この想いが本物であるかどうか。・・いや、
ただ単に本物だという確証が欲しいだけなのかもしれない」


照れるように笑いかける総士の どこまでも純粋な言の葉に
一騎は半ば 錯覚でも起こしているのではないかと 自分を憐れんだ。



「え・・・・・?な、に・・・・」


信じられなくて、もう一度 聞いてみる。
目の前に佇む 総士の表情は依然として変わらないままだ。





「もう、逃げない。・・・おれはお前と向き合うよ、一騎」




嘘だ。









これは現実なんかじゃない。

だって、総士が・・・・こんなこと言うわけないよ。



俺と向き合うだなんて、ありえない。
だって それって・・・それってーーーーーーー・・



総士が俺のこと










































「・・・・・・一騎が好きだ」




































・・・夢だよ、こんなの。

















勘違いしてはいけない。
心の中で、何度も叫んだ。



どうせ またいつもの夢に決まってる。





目を開ければ 目の前は天井で
綺麗なシャンデリアが瞳の奥に飛び込んでくるんだ。


目元を拭かなきゃ。
きっと俺 ・・また泣いてる。




総士に夢の中で 好きだって 言ってもらえる夢に酔って
現実と虚像の狭間で どうせいつもみたいに 胸を痛めるんだ。


込上げる切なさと やりきれない寂しさに 
歯を食いしばりながら 純白のベッドシーツに幾つもシミを作るんだ。

ふわふわの毛布に顔を埋めて、朝食までには心の整理をつけなくちゃと
必至に感情を押さえ込んで 元気な自分を装うんだ。



何度もやって来たことだ。
これが現実なんかじゃないって わかってる。


この水の冷たさは きっと起き立ての涙がもと。
この言の葉は きっといつも心から願う 俺の願望がもと。
そしてその温かな眼差しは ふわふわの毛布の温かさがもと。

わかってる、夢だって。
ちゃんとわかってる。 ・・だからお願いだ。

早く醒めて。勘違いする、その前に。
夢に埋もれる その前に・・どうか目を醒まして。





「何してるんだよ俺・・・早く醒めろよ」




「・・・・・え?」




「どうせ俺が作った夢の中なんだろ?
いい加減に夢から醒めろよ。勘違いするだろ・・」



「・・・一騎」





「もういいじゃないか、この辺で。
これ以上幸せな夢を見ると 起きれなくなる」




「一騎」




「・・・・・・現実に戻ったときが 今まで以上に苦しくなる」



嫌だよ、もう。



傷つくのは平気だけど 苦しいのは嫌だ。








夢だと完全に勘違いしている一騎に
総士はどうすれば 現実だと信じてもらえるか 少し戸惑った。




「−−これは現実だ一騎。ちゃんと僕を見ろ!」



そう催促しても一騎は 首を横に忙しなく振る仕草をみせるだけで
総士の言葉に聞く耳を持とうとしなかった。


一騎の言動を前に 最終手段を思いついた総士は
躊躇いつつも その滑らかな頬に手を自然と添えて 顔を逸らせないよう
固定しながら 顎をそっと持ち上げた。


一気に大きな栗色の双眸が 総士を捕らえ、微かに揺れ動く。


どこからともなく吹いて来る初夏の風に黒髪と
琥珀の髪を静かに掬い取られながら お互い三秒ほど見つめあった。

形のいい、薄紅色の唇が 震えるような声色を 途端に空へと溶かした。




「嘘だ・・・、だって・・・こんなこと、あるはずないよ・・・」



手渡されたびしょ濡れの写真をきつく右手で握り締めながら
一騎は確かに その感覚を 頭で感じるのだった。



穏やかで柔らかな銀色の瞳が すっと細められ、愛しそうに
語りかけてくるように思えた。




「・・・・ほんと、・・・なの・・・・っ?」



徐々に実感するかのような仕草がみえてきた。


震える白い指先が総士の 頬に微かに触れた。



「ーーーーもう、・・・・聴かなかった事には・・・・・できなくなる」




涙が、・・・・いつの間にか一騎の瞳から溢れ出していた。



「それでも・・・・、いいのか・・?」



消え入るような言葉が 虚空に そっと浮いては消えた。








総士は 変わらずに 直向な視線を一騎へと贈りながら
そっと 低く沈むような声音で 呟いた。







「・・・・いいよ。もう、聴かなかったことになんてしない」






深い声が 涙の色と交ざりあう。
そのまま闇に囚われたってかまわないと思った。



ゆっくりと近づいてくる 総士の顔が夢物語に終わりを告げる。
醒めない夢を見るよりも、遥かに幸せな 瞬間。



互いの唇が重なり合う、その感触。





触れた部分が熱くて、少し乾いた総士の硬い唇が
俺の心を どうしようもなく 締め付けた。




離れる唇が切なすぎて、胸が張り裂けそうだった。






「総士・・・・」




夢じゃない、・・んだよな?



信じられなくて もう一度不安な面持ちで 言葉を紡ぐ。




すると総士は 長い髪を風に溶かしながら、眩しそうに囁いた。










「一騎が好きだ。・・・・信じて欲しい」








そう言って、俺の身体をきつく抱き寄せた総士。





夢じゃないんだと思った。


この腕の強さも・・・その優しく響く声も。










本当に、本当なんだ。









もう夢は見なくていい。
信じるだけなんだ。




この温かな温もりを



皆城総士という、その人をーーーーー。











一騎は いつの間にか総士の背中に自分が手を回していることに
気づかなかった。 それが自分の愛の形なのだと 自覚さえせずに、
ただ 抱き寄せられるまま その熱に身を焦がすのだった。
そして、総士は自然のままに 空を仰ぐのだった。









見上げれば、空。







いつかの暗い空は もうここにはない。







ここには温かなぬくもりと 空から降り注ぐ
光の洪水しか 存在しない。




もう、あの身を切るほどの 冷たい雨が降ることはない。

きっと   一騎さえ、いてくれるなら。






いつの間にか聴こえてくる、
川音が天からの拍手に聴こえてきた。
僕らを祝福してくれるかのようだ。








あぁ、












「・・・・・青空が見える」




















一騎の肩越しに広がる、空。







































ーーーーーーーーーーー見上げれば、蒼穹。






























NOVELに戻る



こんにちは〜〜!!お久しぶりです、青井聖梨です!!
ついに両想い編を書く日がやって参りました。あぁ、長かったですな・・(笑)
文章も過程も長い このパラレル小説。いかがでしょうか・・?
少しでも楽しんで頂けたなら幸いです(汗)

中々夢に見ていた人と心が繋がるっていうのは 信じられませんよね。
とくに長い年月片想いしていた人ほどそうだと思います。
なのでこの一騎も 中々信じられなくて、総士に目覚めのキスをしてもらえるまで
信じていませんでしたね(笑)

きっと夢が叶う瞬間というのは そういう感じなのかもしれませんね〜。

それでは今日はこの辺で!!次回またお会いしましょうvv

10・30・青井聖梨