あの日、あの瞬間(とき)、あの場所で
僕らは 誤解(くりかえ)し、別離(くりかえ)す。
僕はきっと 同じ人しか愛さない。
僕には あいつしか愛せない。
一騎、理解(わか)るか?
僕にはお前しか存在(い)ないと
言っているんだ。
僕には 何も無いんだ・・
お前以外にーーーーーーーーーーーー。
・・・・・・・・・・・・・・・あぁ、なんて押し付けがましい僕の恋情。
ついこの間までは そんな事ばかり考えていた。
でも今は、違う。
こんな想いが支配する裏側で、もっと大きな本物(きもち)が
知らないうちに育っていた。
けれど今更 その気持ちを一騎に伝える事など出来なくて。
このままじゃ、僕ら・・・互いに苦しいばかりでーーーーー。
だから僕は決断しなければならない。
このまま 一騎(あいつ)を苦しめるくらいならば、
今までの時間 全部、無かった事にしてしまえばいい。
大丈夫。
僕達は きっと戻れる。
だって君も、僕も・・・
最初から恋情(なに)も無かった。
君も僕も、
最初から
一緒(そこ)に存在(い)なかったのだから・・・
繰り返し、君の名を呼ぶ
一騎を、薬(モノ)のように扱っていた。
止めようと想うのに、止められなかった。
心も、身体も病んでいて、もうどうしようもない時だったから
余計に 薬(きみ)に依存した。
同情、哀れみ、懺悔。
一騎が抱えている感情なんて何でもよかった。
ただ、一騎(くすり)に執着していく自分が愚かで・・・・愛しかった。
周囲からは 一騎しか見えていないように映る自分。
でもその本質は、一騎すら見えていない自分、だった。
何かから救われたくて、必死に伸ばした指の先に
触れてしまったのは 君という欠片(ぬくもり)。
欠片(ぬくもり)を知ってしまった僕にとって
それは絶対に手放せない唯一無二の存在(あたたかさ)で
焦がれるように一騎(それ)を欲した。
必死で掴んで失わないように腕の中に閉じ込めた日から
君は僕にとっての薬(モノ)、そのものになってしまった。
許して欲しいなんて言わない。
・・・ただ、嫌わないで。
僕の事を
・・・・・・・・・・嫌いにならないでくれ。
そうして僕は気づく。願いの裏に隠れていた真実に。
僕は一騎が好きだ。
・・・ただ、それだけ。
僕の心(なか)に息づいている感情(モノ)は、ただ それだけなんだ。
+++
恋情(おまえ)なんて死んでしまえ。
「・・・・一騎は?」
「一騎くん・・・?」
まるで手綱を探るように、彼を引っ張りあげるように・・
僕はいつだって彼を探していた。
僕から離れないよう 見張るために。
僕をいつでも・・・忘れないように。
精神安定剤(モノ)みたいに 君を扱いながら、
本当は君を愛しているなんて
口が裂けても言えなかった。
だって一騎(あいつ)は 僕と違うから。
薬(モノ)として・・薬(モノ)だから、僕の傍にいてくれるんだ。
薬としての君を必要としなくなった その瞬間から
きっと 僕らは終わる。
僕らの繋がりは切れて、ーーーーー元に、戻る。
最初から終わりが見えていても それでも傍に居たいなんて
ただの僕の我が儘だ。
わかってる。
君は僕と違う。
愛を持って僕に接している訳ではないと。
でも僕は愛を知ってしまったから・・
だからこそ、君に言えずにいる。
”もうやめよう”と。
だからこそ、僕は何もなかったように 装う。
最初から、恋情(なに)も無かった。
最初から、一緒(そこ)に存在(い)なかった、と。
「多分もう、帰ったと思うよ?補習者リストに名前載ってなかったし・・」
橙色の肩より短い髪を揺らしながら、彼女は大きな瞳を
僕に向けて そう呟く。
健康的な肌の色、骨格。甘ったるい女性独特の口調に瞳。
花が咲き綻ぶみたいに柔和な雰囲気。時折母性すら感じる。
見えないものを見透かしている、そんな印象を受ける透明な眼差し。
同じクラスに属し、太陽の下 無邪気に笑う姿が誰よりも似合う
羨ましいくらいに真っ直ぐな彼女、遠見真矢のことが
僕は苦手だった。・・・・多分、心のどこかで憧れているからだろう。
ーーーーー彼女は 鮮やか過ぎる。
彼女の言動、仕草、雰囲気 どれをとっても
僕には眩しすぎるくらい鮮明に、美しく映るから。
だから とても惹かれる一方で、とても苦手だった。
自分には 程遠い存在が 目の前で こんなにも
強烈に光を放っているのだからーーーー。
とてもじゃないが、近づけない・・と想う。
だが、彼女は 近づこうとしている。
一騎に・・・。
「そうか・・・」
ほら、現に彼女は 一騎の名前を出すと
解かりやすいくらいに 反応をみせるんだ。
「なぁに?一騎くん・・どうかしたの?
皆城くん、一騎くんと何かあったの・・・?」
訝しげに訊ねてくる彼女。
僕達の間に入り込もうとする その華麗な存在。
僕にとって彼女は眩しすぎる。でも・・一騎にとってはどうだ?
差し詰め、”救いの女神”−−−というところだろう。
一番一騎に近づけたくない存在だ。・・・僕にとっては。
「いや、別に」
僕は 気だるい声と共に その眩しさに中てられて零した
小さなため息を 虚空に溶かして、自席のフックにかかっていたカバンを取ると
徐に教室を後にした。
背後からは ”ちょっと皆城くん!!”
と批難めいた口調で僕を呼び止める甲高い声が始終聞こえていたけれど
僕はさほど その声音に心を留めず 歩を進めるに至った。
いつだってそうだ。
僕の心を動かすものなど、最初から決まっているようなものだった。
島のこと、乙姫のこと。
そして、僕の左目に傷をつけてくれた あいつのこと。
・・・・僕は最初から決められた運命を辿りながら、
確かに皆城総士という道を進んでいた。
君と出逢うことすら 運命の一部にして。
決められた道筋に従順に従うフリをして、
本当は本心を誤魔化しながら進んでいた。
独りで歩く勇気も無いくせに・・・。
だから僕は 負い目を感じている幼馴染を追い詰めて、巻き込んだ。
皆城総士という道筋を一緒に歩ませようとした。
そうして脅迫に近い僕の行いを、罪の意識から”償い”ととってしまった彼は
全てを僕に奪われてしまったんだ。
心も、身体も・・・その存在意義すらも
僕に全部を差し出して 毎日を過ごす 一騎。
馬鹿げてる。
そんなの・・・・
生きながら、死んでいるようなものだ。
・・・・・・・なぁ、一騎。
僕は奪う事しか出来ないのだろうか?
お前に、何か与えてやる事は出来ないのだろうか?
お前を縛り付けている僕が 何を今更と
云われれば それまでだけれど・・
”愛してる”の代わりに 呼ばせて欲しい。
「 一騎・・・ 」
君の名を。
テトラポッドが並ぶ海岸線の奥。
堤防の先に腰を下ろした、一つの影。
見慣れた その後姿に胸を締め付けられながらも
さざ波のように震える指先をぎゅっ、と握り締めて 僕は呼びかける。
大切な、大切な 僕の一騎(モノ)へと。
愛しい気持ちを その一言に込めて。
・・・いつだって。
「ーーー・・・総士」
一瞬僕の声に反応し、肩を揺らすと
ゆっくりと振り返る君の身体が少し強張っているようにみえた。
潮風に掬い上げられた黒髪が 艶やかに光り輝き、水面に映りこむ。
透き通った瞳が純朴な色で佇む僕を見上げてくる。
山吹色のシャツに、ビリジアンのズボン。
堤防の先、海との境目に腰を下ろし、足下を宙に浮かせ、
水面と触れ合いそうな距離で海と対話する彼の姿に想いを馳せる。
僕はいつだってそうだ。
目の前に一騎が存在(い)るのに
ちゃんと認識(み)ようとしない。
想いばかりが先走って、この蒼穹に駆け上がる。
やがて、呑みこまれていく。
本当に伝えたかった想いすら、忘却(わす)れてしまう。
「・・・・どう、したん・・だ?」
ぎこちなく響く 君の声が 波音に攫われそうで 怖かった。
居なくなるみたいに、消え去られていく その感覚。
僕は居た堪れなくなって 即座に彼の隣を占領した。
「・・・総、士・・・・・?」
いきなり 近づいた僕のぬくもりに驚きながら
隣に座った僕を 君は不思議そうに、でもどこか強張るように流しみていた。
存在(い)るのに。
ちゃんと一騎は僕の隣に こうして存在(い)るのに・・
本当は存在(い)ないのだ、と想ってしまうのは何故なんだ・・・?
泣きそうだった。
心は今にも泣き出しそうで・・・・。
縋る事しか 僕にはできなくて。
君の冷たい指先を 僕の熱い指先で確かに握り締めた。
ビクッ、と君の肩が揺れる。
驚愕、というよりも・・彼の反応は畏怖に近いものだった。
「一騎・・・・・・・」
もう一度 君の名を呼ぶ。
”愛してる”
届けばいいのに、僕の想いが。
握り締めた手に、力が籠る。
君は手元に視線を落として、再び僕へと眼差しを向ける。
「・・・・・・・・・今日も、するの・・・か?」
自分が今までしてきた行いは
絶対的に君を縛りつけ、苦しめる。
どれほど君を傷つけ、苦しめ、辱めてきただろう。
君にしかわからない傷の深さ。
僕にしか見えない、君の傷跡。
恋情(おまえ)なんて死んでしまえばいい。
綺麗事の塊。私欲の権化。
楽園の幻想を生む源。
”愛している”なんて
君の名に込めて、僕はどうするつもりだった?
奪う事しかできない者が
今度は与える側に廻ろうなんて、図々し過ぎて
声も出ない。
所詮、薬(モノ)として 一騎を扱うことしか
僕には許されていないんだ。
最初からそうだったじゃないか。
それでいいんだ。
・・・その裏に隠れていた真実なんて、彼に求めてしまってはいけない。
気づかれては、いけない・・。
終極(さいご)まで、ちゃんと嘘を吐き通すんだ。
「あぁ、ーーーそうだ。・・・いつもの場所で」
たとえそれが
名を呼ぶ度に苦しくて、終極(さいご)には
思い出(なに)も残らなくなったとしてもーーーーーーーーーー
きっと 僕は 生きていける。
君に沢山、与えてもらったから。
言葉では 言いつくせないほどに。
心では
想い尽せないほどにーーーーーーーーーーーー
+++
怖い、
怖い・・・・・・
おれは 恐い。
総士を好きになれば なるほど、
総士に傷つけられると 知っているから。
自分が今よりもっと 深く、傷ついてしまうと
知ってしまったから。
総士はおれを 拒まない。
だからおれは 恐いんだ。
総士がどんどん 薬(おれ)に依存して
薬(おれ)しか必要(い)らなくなっていく姿を
一番近くで見つめて。
おれは そんな脆弱な総士を支えるフリして
歓喜(よろこ)んでいる。
総士に抱かれることに、総士に見つめてもらえることに
まるで自分は愛されているという錯覚(ゆめ)を見て
密かに満たされ続けている。
本当のおれを総士は知らない。
だから、恐い。
気づかれたら、どうしよう。
きっと・・・幻滅される。
ただでさえ、おれは あいつのお荷物でしかなくて、
憎しみの塊でしかないのに。
これ以上、嫌われたくない。
役立たずだって 想われたくない。
精神安定剤(モノ)でも何でもいい。
総士(あいつ)の傍にいたい。
・・・・・ときどき、本当に時々 間違えてしまう。
総士が向ける優しい眼差しに
総士が与(く)れる 甘い接触(ぬくもり)に
・・総士が呼んでくれる おれの名前に
”愛”が隠れているんじゃないかって
ーーーーー心臓が破れそうになる。
そんな夢(ばか)みたいな考え、
いつまでも持ってるなんて・・・いい加減嫌になる。
だから
おれは 戒める。自分に、解からせてやるんだ。
「・・・・・・・・・今日も、するの・・・か?」
夢と現実の相違(ギャップ)を。
「あぁ、ーーーそうだ。・・・いつもの場所で」
・・・・・・・・・知らしめてやるんだ。
もう これ以上 傷つかないように。
もう 恋心(だれ)も
傷つけないように・・・・・・・・・・
「・・・・・一騎は?」
低く、囁くように波打って 空気中を伝ってくる
総士の声。
聴き間違えたりしない、おれの幼馴染の声。
その声に、いつだって肩は竦む。反応してしまう。
呼ばれるだけで、全身が泡立つ。
歓喜の波が、押寄せてくる。
今日も 総士がおれの事を探している。
それだけで、幸せ。
それだけが喜び。
おれは総士に見つからないように 隠れる。
見つかり辛い場所。でも総士がおれを探している姿が見える場所に
決まっておれは隠れたりした。
おれを探してくれる総士。おれの事を考えてくれているその時間こそが
とてつもなくおれには 幸福で大切な宝物だった。
昨日は校庭の隅の木の上で、
今日は屋上の給水タンクの陰に隠れる。
校舎中を探す総士を昨日見たから、今日はグランド中を探す総士が見れる。
莫迦みたいだ、おれ。
こんなことして・・ 総士を困らせてるだけなのに。
それでも嬉しいなんて、どうかしてる。
おれを探してくれてる総士は、おれだけの総士なんだって
想ったら・・・・訳もなく感情が溢れて
気がついたら目の前が翳んでいることが多い。
涙が、零れて アスファルトにシミを作って
まるで もうすぐ独りぼっちになることを知っている子供みたいに
寂しくて・・・・・・・・蹲ってしまう。
地面から視線を外せば、校舎を探し終えた総士が
グランドの外に出て、辺りを見回している姿が瞳の端に映りこんだ。
そんな総士の姿を意識のそこで 静かに見つめながら
おれは やっと微笑を零して 見つめる事ができる。
「総士・・・・・・・・おれは、ここだよ」
消え入りそうな、微かな声に
思いの丈を詰め込んで 祈るように呟く。
海から吹く潮風が涙を拭い払ってくれる。
小さな声だけど、沢山の愛で。
おれは いつだって総士を見つめてた。
気づかれないように、・・・気づかれないように。
すると、ビュウっーーーーー・・と大きな風が吹いて
校舎の窓をガタガタ、と大げさに揺らした。
その音に 総士が背後へと振り返る。
”あっ・・・・・・”
心の中で 漏らした一言。
総士は揺れる窓ガラスたちに視線を順に送っていき、
最後の最後で屋上を見上げる。
給水タンクの陰に隠れる おれと、自然に目が合う。
その瞬間、総士が はにかむように 笑う。
「一騎!」
声は、ここまで届かなかったけど
総士がおれを 呼んだ気がした。
ドクン、と大きく脈打つ鼓動。
偶然でも何でも、最後はいつも必ず
おれを見つけてくれる総士。
あぁ、・・・駄目だ おれ。
また泣いてしまいそうだ。
総士の前で 一度だって
こんなおれ 見せたくないのに。
おれは風が吹いている事をいいことに
髪を押さえる様な仕草に紛れて 顔を俯かせて
涙が零れそうになっているのを誤魔化した。
総士はグランドの中心で
風に吹かれて空を仰いでいた。
おれを見つめてくれていたのか、見渡す蒼穹を見つめていたのか
どっちが正解かなんてわからない。
ただ、おれには
総士(このひと)が好きなんだということしか 判断(わ)からなかった・・・
+++
白い肌に 長い琥珀色の髪。
おれを腕枕しながら すぐ傍で寝息を立てる 総士。
頬を総士の首筋にすり寄せれば、
腕枕してくれている腕の指先がおれの髪を無意識に撫でてくれる。
優しい抱擁。愛しい時間。
いつまでも こんな瞬間を迎えられればと願って止まない。
行為のあとでも 総士はこうして傍にいてくれる。
触れ合う事を許してくれる。穏やかな刹那、胸が焼かれるほど切ない一瞬。
あと何回 こうして 目の前の幼馴染の寝顔を 近くで見つめる事が出来るだろう?
そっと自分の指先を総士の頬に這わせる。
滑らかで透き通ったきめ細かな肌が気持ち良い。
おれは すやすや、と安堵した寝息を立てて
あどけない表情を浮かべる幼馴染の寝顔と温もりに心震わせながら
瞳をゆっくりと閉じた。先ほどよりも もっとずっと近くに寄りそう。
総士の胸に自分の顔を埋めるみたいに密着すれば、総士の腕枕した指先が
おれの髪を探すように宙を彷徨う。近すぎるからこそ、見つからないおれという存在。
しばらくして、彷徨っていた総士の指先がぱたり、とベッドに堕ちたと思えば、
先ほどまで すやすやと眠っていた総士の瞳がゆっくりと微かに開いた。
ーーーーーーーーーと、同時に。
「・・・・一騎・・・?」
捜すように、戸惑ったように
脆弱な声が 空中に木霊した。
その声を聴くたび、おれはいつも想ってきた。
”やめよう”
”こんなのもうやめなきゃいけないのに・・”
”弱ってる総士に付け入るなんて・・”
何百回、何千回 心の中で紡いできた叫びだった。
でも ・・いつも おれを探す総士を見るたびに
おれを捜す総士の声を聴くたびに
心は折れて、
どうしようもないほど 総士に全てを縛られてしまう。
いや、縛られる事を望んでしまうんだ きっと。
なんて卑怯なんだ おれは。
全部総士のせいにして 自分は平然と総士の傍にいて喜んでいるなんて。
苦しいのに・・・こんなに苦しいのに
だけど やっぱり やめられなくて。
こんなにまだ 傍にいたくて
こんなにまだ 呼ばれたくて
こんなにまだ 今を望んでいる自分が居る。
「総士・・・・大丈夫・・・おれはここに居るよ?」
ぎゅっ、と総士に抱きつく。
失いたくない時間。ずっと欲しかった大切な時間。
おれの温もりに総士は ぼんやりとした焦点の合わない視線を
すぐ傍にいるおれへと下ろして、 耳元ですぅ、っと吹き抜ける風みたいに囁いた。
「ずっと一緒(そば)にいてくれたんだな・・・・ありがとう」
力強い腕がおれの背中に回る。
存在(おれ)を確かめるように少しずつ力を込めていく総士。
総士の胸に顔を埋めながら、おれは密かに溢れそうな想いをぐっ、と噛み締めた。
バカだな、おれ。
総士の零した たった一言に
こんなにも胸が潰れそうになってる。
きっとおれ、もう限界(だめ)なんだ。
こんなんじゃ、いつか気づかれる。
誤魔化しきれない。
溢れ出てしまう・・・
想いが、願いが。
総士にとって ただの薬じゃいられなくなる。
・・・本当に薬が必要なのは、
おれの方かもしれなかった。
+++
あの日、あの瞬間(とき)、あの場所で
僕らは 誤解(くりかえ)し、別離(くりかえ)す。
「・・・一騎は?」
いつだって捜していた。
一騎を。一騎自身を。”薬”としての一騎ではなく、本来の彼を。
ずっと長い事、多分自分が気づかないうちに、求めていた。
いつだって欲していた。
誰かの愛情に。乾いていたのだ。
その”誰か”が一騎であればいいといつも願っていた。
自分の中心にいる人に求められる喜びを知りたかった。
そんな日が来ればいいと、傲慢だと解かりながら願い続けていた。
けれどそれは ただの願いでしかなく、
それ以上を望むには 犠牲が必要だった。
そして、その犠牲となったのは
大切だと想い続けていた ”一騎”自身だった。
僕にとって初めて芽生えた愛情が
一番大切な人を誰よりも傷つける。
そう知ったとき、僕は”理由”を探すことしかできなかった。
一騎を繋ぎとめる絆。
一騎を縛り付ける鎖。
大切だと想いながら、彼を傷つける日々。
自由を奪われた一騎が どんな想いで僕の傍にいるなんて、
考えただけでも恐ろしい。
でも、こんな日々がずっと続くはずもなくーーーー・・。
囚われた彼を 眩い温かな光で包み込んでくれる存在が
いつか必ず 彼を解き放ってくれると 心の中で
僕は知っていた気がする。
いや、そうであって欲しいと 心の片隅で想っていたのだ。
だって これでは あんまりだ。
一騎が僕のせいで 幸せになれないなんて
こんな馬鹿げたことはない。
今しかない。
今しか云えないことがあるんだ。
一騎に・・・伝えなければ
ならないことがあるんだ。
本当に”愛している”なら
これ以上、こんな日々を続けてはいけない。
本当に”愛している”と彼に告げたいのならば、
僕は選択(えら)ばなければならないのだ。
一騎の居ない時間(まいにち)をーーーーーー・・・・・。
「一騎?一騎なら確かプール清掃に行ったぜ?
あいつ当番だしな」
「そうか・・・・・」
剣司の言葉に 僕はそういえば、と自分の曖昧な記憶をゆっくりと辿って
当番表の名簿を大雑把に思い出していた。
踵を返した僕に、剣司は不思議そうな顔をして
僕を見つめていた。そんな視線を振り切るかのように
勢い良く教室を後にした僕の歩調が心なしか速まっているのが
自分でも感じられたのだった。
何故か胸騒ぎが、した。
多分それは 微かに見えた僕らの未来が
あまりにも想像どおりだったから、だ。
僕の背後から 新たな未来の足音がすぐ其処まで
迫ってきている。・・・僕は焦っているのだろうか?
それとも慄いているのだろうか?
終極を悟ったとき、人は後悔とは別に
新たな不安を抱えるのだと 僕は思う。
それは何か。
それは僕が一番恐れている心の動き。
ーーーーー”忘却”ーーーーーー
懼れるのなら、立ち向かえばいい。
不安ならば 消してしまえばいい。
いっそ、それすらも なかったことにして
全てを無に返して・・一からやり直すのもいい。
そんなことを考えながら 僕は教室を飛び出して、
プールサイドへと向かった。
記憶の片隅に焼きつかれていた名前。
清掃者名簿には もう一人
僕のよく知っている名前が載っていた。
遠見真矢
僕が一番 一騎に近づけたくなかった相手。
一騎にとって 多分彼女は 確実に
”救いの女神”となるだろう。
もしかしたら 一騎を解き放ってくれるかもしれない。
僕達には きっと きっかけが必要だったんだ。
別離(さよなら)を告げる きっかけが。
いつだって、今だって。
伝えなければ いけない想いが きっとあるーーーーーーーーーーー。
「ねぇ・・・・一騎くん」
パシャッ、パシャッ・・。
水音を響かせてプールサイドをデッキブラシで黙々と清掃する二人の影。
絶妙なコントラストを地面に描きながら、陽の光を受けて輝いていた。
ホースで水を流し、勢い良く擦りあげるブラシの軽快な音と共に
聞こえてきた高めの甘い声に、一騎はふと視線を寄せるのだった。
自分の背後3メートルほど離れた場所で、熱い視線を送ってくる
同級生兼クラスメートの 遠見真矢。
彼女の瞳はいつも透き通っていて、嘘偽りのない真っ直ぐな瞳であった。
密かに憧れる反面、その真っ直ぐな瞳に自分の濁った部分を見透かされているようで
微かな恐怖と羞恥を感じざるを得ず、後ろめたい気持ちで いつもいっぱいであった。
一騎は何故か 彼女の前だと背筋が伸びる想いに駆られる。
何かをずっとジャッジされているようで ・・生きた心地がしないのだ。
だから自然と 視線を向けても、すぐに逸らしてしまう。
一騎の悪い癖だったーーー。
「・・・・なに?」
か細い声で 短的に返せば
彼女は悲しげな眼差しを 向けて、こちらに近づいてきた。
「ーーーー・・・・一騎くん・・・ずっと何かに苦しんでる、よね?」
ドクンッ、と心臓が大きく脈打つのを肌で感じた。
一騎はデッキブラシを動かす手を止めて
今度こそ真矢に視線を合わせる。
彼女がどこまで知っていて、どこまで自分を見透かしているのか
知る必要があったのだ。・・今の日々を、失いたくはなかったから。
「・・・なん、で・・・・・・そんな・・こと」
ぎこちなく 言葉を返せば、彼女は目の前に堂々と立って
言い返してきた。まるで女神のように 凛と、美しく そこに存在するかのように。
「ーーー・・・・・皆城くんのせい?」
ドクンッ・・・!!
まさか こんな直球で この名前を耳にするとは思わなかったせいか
心臓が 飛び出るほど大きく 身体中を揺らして、脈打ったのだった。
息が、つまる。
ドクドク、と物凄い勢いで流れ始めた血流と
バクバクと物凄い音を立てて動き出した心臓が相まって 耳鳴りを生む。
気が動転する前に、意識がぼんやりと擦れ、感覚が薄れていく。
手の中にかいた汗をぎゅっ、と握り締めて 湿った指先を誤魔化す。
一騎は浅い呼吸を繰り返すと、やっとの思いで自分の声を
搾り出すのだった。
「・・・なんで、総士が・・・出てくるんだ・・・・?」
そう口にしたあと、酸素を肺に埋め込む。
極度の緊張で 息がままならないのだ。
真矢は 少し間をおいたあと、
持っていたホースを地面において、水道口へと歩を進めて
蛇口を捻って 水を止めた。
圧倒的な存在が自分の前を離れた感覚に
一騎は半ばほっとしながら 彼女の返答を待ったのだった。
すると流れていた沈黙を一喝するかのような
感情的な声が 蛇口からではなく、彼女の口から
溢れ出したのだった。
「だって・・・!おかしいよ!−−・・一騎くん、何だか最近やつれてる気がする!
決まって皆城くんの前だと顔が強張ってるし・・・皆城くんは一騎くんを
理由もなく捜してるし・・・絶対・・こんなのおかしいよ・・・・!」
心の底から心配している様子で、表情を歪める彼女の姿は
とても華麗で 正義感に溢れ、・・どこか母性を感じさせる心のゆとりが
あったのだった。一騎は ふと、感じる。
彼女の真っ直ぐな瞳が 自分達の本質を見透かしている事に。
そして、こんな自分を案じてくれている事に。
自然と。本当に自然と 嬉しいと思う感情が芽生えた。
本当の自分を見つけてくれたことに。
浅はかな自分を心配してくれていることに。
でも、ひとつだけ ・・・間違っている。
それは自分にしか解からない真実。
「遠見・・・・・、心配してくれてありがとう」
「かずきく・・・・」
「ーーーでも、間違ってる」
「・・・・・・・え?」
「間違ってるんだ、それ」
「・・・・・・・・・・・どういう、こと?」
見開いた目で、真実を確かめようとする彼女。
そんな彼女の真摯な姿に絆されている一騎。
自分の精一杯を、彼女に伝えようと思ったのだ、一騎なりに。
そうじゃないと 彼女の気持ちに 応えられないと思ったからだった。
「ーーーー・・総士のせいじゃない。
・・・・・・・全部、おれのせいなんだ」
自嘲するように、柔らかく、静かに ・・朝露が地面に
堕ちるみたいに ひっそりと笑う 一騎。
その微笑に、真矢は 居た堪れない想いと同時に
先ほどまで溢れ出していた言葉をすべて失ったのだった。
何も言えない。
言えるわけがない。
真矢は瞳を伏せるように濡れたアスファルトへと視線を落とした。
「・・・・それは、皆城くんのため?
・・・皆城くんのためにーー・・・そう言っているの?」
それが一騎くんの決めたことなの?
守りたいものなの?
やっと口から出た 自分の中に停滞していた想い。
燻っていた感情。今、真矢の本心と共に形となって零れ落ちた。
生み落とされた その声音に 一騎はすぅ、っと耳を澄ませて
一呼吸おいて、彼女に返すのであった。
「違う。・・・・・・・・・おれ自身のためだよ」
そう、いつだって。
「おれ・・・・遠見が考えてるような人間じゃない。
もっと、−−−−・・・ズルイよ」
細めた瞳が 少し遠くにある光を捉えた。
湿ったアスファルト。眩い陽の光。
ゆらゆらと視界の端に映る水面。
握り締めていたデッキブラシの感触。
地面にぞんざいに置かれたホース。
全てが鮮やかに焼きついて、一瞬で消えていく。
そんな中でも 真矢の視線を釘付けにして
いつまでも心に焼きつくであろう その存在が
潮風に髪を掬われながら 眩しそうに、哀しそうに瞳を細めて
こちらを見ていた。
薄っすらと咲き誇る笑顔の裏に、
沢山の苦しみを抱えているのだと想うと
何故だか 心は苦しくて、切ない想いに 胸は駆られた。
「一騎くん・・・・・・・・・。本当にズルイ人は・・・・
自分がズルイって・・・・・気づいちゃ駄目だよ・・・」
真矢の零した言葉と、哀しげな微笑に
一騎は小さく笑った。
何かに、許されたようにーーーーーーーーー。
+++
「一騎」
プール清掃を終わらせて、プール用具室の鍵を職員室に返した帰り道。
不意に呼び止められた声に、体がいつものようにビクリ、と大げさに反応してみせた。
ゆっくりと振り返ると、夕焼け色の廊下に、すらりと佇む長い影が視界に映りこんできた。
視線をその人の背の高さに合わせてみる。すると 何時にも増して
淡く光る銀色と視線が交互にぶつかり合った。
長い琥珀の髪が、廊下の窓から入ってくる風に揺れてキラキラと輝く。
彼の右肩には通学カバンが下げられており、下校途中だということが
見て取れた。一騎はひとつ、息を吐いたあと 彼へと言葉を紡ぎ出したのだった。
「総士・・・・どう、したんだ・・・?」
控えめに言葉を発すれば、総士は 瞳を揺らして
困ったように微笑んだ。
「ーーーーお前を、・・・待ってたんだ」
優しい声色が廊下に響き渡る。
眩暈がするような柔らかな眼差しに、胸は締め付けられ、
どうしようもなく 視界が釘付けになる。
「なん、・・・で?」
別に付き合っているわけではない。
恋人同士でもない。
総士が自分を待っている理由。
だとしたら、ただひとつしかない。
”薬”としての自分。
必要とされているのは、支え。
総士は今、安定したがっているのだ。
だとしたら・・・・・今日も”する”のだろうか?
いつもの場所で。迎えに来たのだろうか、自分を。
別に身体を求められる事が嫌なわけではない。
むしろ、自分はそれを喜んでいる身。
触れられたいと願い、重なり合いたいと想い、繋がりたいと望む。
一秒だって長く 傍にいたい。
こうして自分に会いに来てくれることが嬉しい。
自分を待ってくれる事が嬉しい。
些細な事でも嬉しく、自分にとっての喜びに繋がる。
ただ、一方で 自分は”薬”として必要なんだということを
まざまざと 見せ付けられてしまうことが
ある意味哀しくはある。
愛されているからする行為ではない、ということを
自覚しなければならないのが辛いのだ。
一騎は視線を外す事が出来ないまま、目の前の
存在に酔いしれて ぼんやりと短く返事を返す。
夢の中にいるみたいだと 感じるほど、今この一瞬が綺麗で
愛おしくて、尊いものだと感じて止まない。
そんな一騎に、総士は ふっ、と小さい微笑を落とす。
今までこんな優しい微笑みを 総士は真っ直ぐに
自分へと向けてくれただろうか?
目を思わず瞠ってしまうほど 繊細な表情で
零れた綻びを 一騎は見逃すはずもなく、
その微笑は 胸の中で波紋を描いた。
「お前と一緒に帰りたかったんだ。
ーーーー・・・・一緒に帰ろう、・・一騎。」
低く、通る、その声が。
耳の奥にじん、と響いて離れない。
さざ波のように胸は震え、息は止まる。
眼球が目の前の視界すべてを覚えようと必死になっている。
何一つ見逃したくなくて、聴覚が、嗅覚が、敏感に研ぎ澄まされている。
「・・・・・・・・・・う、うん」
答える声が、震える。
喜びと、切なさと、愛しさと。
どうしようもない渇きに悲鳴をあげるみたいに
言葉が枯渇していく様を恐れている。
もう少しで溢れてしまう、感情。
限界など当に迎えているというのに。
「じゃあ、行こう・・」
自分を見つめる優しい瞳の中に
愛情がやっぱり隠れているのではないかと
期待してしまっている自分を抑えきれなくなって・・もう、今は。
今は この人の傍にいたいと想う事で
精一杯だった。
一歩、二歩と石の階段をゆっくりと上る。
振り返ると そこは違う世界みたいに輝いて、海と町並みが一体化していた。
一騎は 空を紅く染め上げている夕日が もうすぐ沈むことを確信しながら
更に自分の後ろから ゆっくりと上がってくる 幼馴染の姿を瞳の端に映した。
階段を上りきって、赤い鳥居をくぐり、境内の傍までやってくると
自然に体は境内の木の短い階段へと腰を下ろしていた。
自分のその行動に便乗するかの如く、後ろを歩いていた総士が
一騎と同じ行動をとって 傍らに腰を下ろすと 木のギィッ、と軋む音が
心地よく空気を伝って聞こえてきたのだった。
久しぶりに二人で来た鈴村神社。
止まっていた時間を呼び起こすようだった。
潮風に髪を靡かせて、二人はただ ぼんやりと目の前の風景を
視界に映し、静寂を守って 佇んでいた。
ありそうでない、ごく普通の時間。
穏やかな時の流れが 二人を包んで 優しく迎えてくれる。
ふと目の前の風景から、傍らのその人に視線を映した一騎は
総士のいつにない様子を窺っていたのだった。
すると、その視線に気づいたように 総士が一騎を見つめ返してきた。
どくん、といっきに心臓が高鳴りをみせる。
ただこうして並んでいるだけなのに
どうしてこんなにも体は反応をみせてしまうのだろうか。
一騎は自分の動向が歯痒くもあり、情けなくもあった。
「突然・・・すまなかった。寄り道までさせて」
静寂の中 優しく響く 低い声に。
心は自然と波打つ。
カバンを二人とも下ろして 平然と見つめ合う
その様は まるで恋人同士のようで 一騎は夢の中にいるようだと
想うしかなかった。それほど この瞬間が、尊いものだと感じたのだ。
「い、・・・・・いいんだ」
嬉しかったから。
言葉はそこまで続く事はないけれど。
でも嬉しいから、それでもいい。
一騎は総士から視線を外すと、小さく肩を竦めて 俯いた。
総士は そんな一騎を見つめ、穏やかな微笑を零すのだった。
珍しく・・本当に珍しく こんなに優しい声で、こんなに優しい顔で
微笑む総士が すぐ傍にいる。
緊張して、顔が火照るのを抑えきれなくなる。
存在が、温もりが、すぐそこにあると思うと 体が強張ってしまう。
恐いからではない。・・・嬉しくて、敏感になっているからだ。
一騎は見つめてくれている総士の視線を感じつつ、
自分だけ俯くなんて卑怯だ、と考えると
頑張って勇気を奮い立たせ、総士に顔と視線を向かせた。
いきなり視線が戻ってきたことに 総士は少し驚いていたが
一騎は それを気にする風でもなく、自分も笑顔を返したくて
必死に笑って見せた。少しでも、この零れそうな想いを
伝えられればいいーーーーそう、考えたから。
にこっ、と微笑んだ 一騎の顔を正面から見つめて
総士は目を一瞬瞠った。
そうして再び返って来た総士の表情は・・言の葉は−−−−−−。
「・・一騎、もうやめよう」
「・・・・・・・え?」
困ったように微笑んだ、
哀しい・・表情だった。
静寂の中 流れる緩やかな時の足跡が
急に駆け出した。流れを変えようと 必死に
もがいているみたいに。
「戻ろう・・・・以前の僕達に」
最初、何を言われているのか
一騎には解からなかった。
でもーーーーー。
「総、士・・・・?」
解かり始めてしまった。
気づき始めてしまった。
その、違和感に。
「もう無理しなくていい。
・・・作り笑いなんて、しなくていいんだ」
「ーーーーそう、し・・・・」
総士が今言おうとしている事が
一騎には わかってしまったのだ。
そう、これは・・・
これはーーーーーーーーー。
「僕ら こうなる前の方が自然だった。
もっとちゃんと笑えていた・・」
「でも、おれはーーーーーーー・・・」
これは 別離(わかれ)話だ。
・・・いや、恋人同士でもないのに
”わかれる”もなにもないけれど。
でも、おそらくこれで
少なくとも今までの日々は終わる。
”終極(おわる)”のだ。
「言わなくていい一騎。
お前に”薬”としての役割を強要したのは僕だ」
「ーーーーっ・・!!そうし、ちがっ・・・・、」
「全部僕の我が儘が生んだ結果だ」
「違う・・・!おれはーーーーーっ、・・」
総士の言葉を大きく遮った。
全て総士のせいになんてしたくはなかったから。
おれは総士の薬として受け入れた事を
後悔なんてしてはいなかったから。
強要された訳でも、脅迫されたわけでもなかった。
全部おれの意志で、おれ自身が決めた事だから。
後悔どころか、おれは・・・・・おれはーーー
幸せだったんだ。
紡ごうとした言葉の先を、
指先で止める温かなぬくもり。
おれの唇に優しく触れて、その先を総士は制した。
総士・・・・なんで?
なんでこんなこと、するんだ・・・?
どうしておれはーーーーーーーーー・・・。
真摯に輝く銀色の瞳が目と鼻の先にある。
身体を引き寄せられて、唇に触れていた長い指先が離れた。
そうして新たにおれを包んだものは、
総士の力強い腕 ーーーーーだった。
大事に包み込むように、
おれは総士の胸に埋もれた。
低く、優しく・・・そして哀しく響く声が零れる。
「戻ろう・・・一騎。大丈夫だ・・・オレ達は何も失ったりはしない」
まるで言い聞かせるように 染み渡っていく、皮膚に、細胞に。
こうすることが一番だと 思わせようとしている・・おれに・・何より、総士自身に。
「最初から・・・・・何も持ってなどいなかった」
「そう・・・・し・・・・・・っ、」
なかったことにしようと、
すべてなかったことにしようとしている総士。
どうして・・・?
どうしてそんなこと、言うんだ・・・?
おれのこと、・・・・嫌いになったの?
いや、違う。最初から嫌っていたんだ。
だからおれに罪を償わせようと、して・・・総士はおれに
”薬”としての役割を与えたんじゃないか。
それを忘れていたのは・・・”おれ”の方か。
バカみたいに、喜んで
総士の傍に居られれば、なんでもよかった・・なんて。
都合が良すぎる考えばかり抱えてた。
総士はきっと、
こんなおれに呆れてしまったのだろう。
これじゃあ おれにとっての贖罪にならないと
気づいてしまったのだろう。
バカだよ、おれ・・・・・
本当にバカだ。
総士の気持ち、見えてなかったーーーーーーーーー。
そんなことを考えた。
瞬間、総士がおれを抱きしめた腕に力をこめる。
「・・・・・お前の優しさに付け込んだ オレを許すなよ、一騎」
「ーーーーーーー・・・そう、し・・・?」
抱きしめられた身体を急に解かれた。
おれの身体と少し距離を取り、覗き込むみたいに
おれと視線を合わせて、 切なそうに瞳を揺らす。
総士・・・・・?
どうして、そんな顔ーーーーーーー・・・・・。
だって、おれは・・・・・総士に嫌われてて・・・・?
何故、総士がそんな顔をするのか、
どうして総士が そんなことを言い出すのか
わからなかった。
抱きしめられた温もりが まだ肌に残っている。
熱くなる、胸。痛いくらいの 眼差し。
不意に、自分が愛されていたのではないか、と
想ってしまうーーーーーー。
愛されているからこそ、総士はーーーーーー
今おれを・・・・解き放とうと ・・・・している?
なに、から・・・・・・?
「近すぎたんだ・・きっと。お互いが見えなくなって居たんだ」
「総士・・・」
「だから・・以前のようにーー・・遠いけれど・・確かに映(み)える距離で・・・
離れてしまうけれど・・自然に笑えていた自分で・・・・もう一度
やり直そうーーーーーーーーーー・・・」
「ーーーー・・・っ、でも・・・・おれは、・・・・・・」
おれには、在ったんだ。
最初から。
総士のことが好きだって、気持ちが。
最初から在ったんだ。
だから これ以上嫌われたくないと想った。
だから少しでも好きになってもらおうと想った。
総士・・・・。
やり直すって、どうすればいい?
おれは、どうすればいいんだーーーー・・・?
わからないよ・・・・総士。
「もっと早くこうすればよかった。
すまない、・・・・ずっとお前に甘えていた」
「ーーーーっ・・・・・・」
「長い事 つき合わせてしまってごめんな。
・・・ありがとう一騎。・・・・お前に時間を返すよ」
総士はそう言って、おれの頬に手を添えた。
ぶつかり合った視線の先に、総士の透明な瞳がキラキラと
輝いて・・・夕焼け色に反射して とても綺麗だった。
「総士・・・・・・でも・・・・・おれは・・・・・っ」
顔を歪めて、目の前の総士を見つめる。
自分がこれからどうすればいいのか。
どうすることが、おれ達にとって一番最良の選択なのか。
おれは総士に・・総士の中に
答えを見つけようとした。
総士はただ、おれを見つめて 薄く笑っていた。
そして、言ったんだ。おれにーーーーーーー。
「一騎・・・・・・、−−−オレにはもう・・・・
薬(かずき)は必要ないんだ」
「・・・・そう、し」
「もう・・・・大丈夫なんだ・・・・ありがとう・・・・。
ありがとう・・・・・一騎」
総士の零した言葉の意味が、今この瞬間、よくわかった。
そうか。総士は、・・・総士にはもう
”薬”としてのおれは・・・必要ないんだ、な。
総士は終わらせてくれたんだ。
”薬としての役割”を。
真壁一騎としてのおれを
・・・・・・・・・・返してくれたんだな。
「一騎、 」
「総士・・・・」
「 −−−・・かずき・・・」
「・・・そう、し・・・・?」
「一騎っ、・・・・・」
「ーーーー・・・・・総士」
総士は何度もおれの名を呼んでは、
確かめるように おれに触れた。
頬や髪、唇・・・・
触れては確かめて おれを覚えようと、
忘れないようにしようと してくれていたのかもしれない。
「一騎」
最後に、正面から名前を呼ばれた。
おれはその寂しそうな瞳に、堪らず
キスを強請った。
ゆっくりと瞳を閉じる。
そして、彼の名を呼ぶ。
「総士・・・」
一言、そう呟けば 静かに目の前に影が下りてきて
おれの唇を総士の唇が掠め取ったのだった。
長い口づけのあと、
総士は何も言わずに ただ おれを再び
腕の中に閉じ込めた。
必ず、いつかこの腕の中に帰って来るように。
そんな気持ちが 総士から伝わってくるようで・・
おれはただ、嬉しくて、寂しくて、離れたくなくて
必死に目の前の温もりに、しがみ付いたのだった。
こうしておれたちは 元に戻った。
また、総士のいない時間(まいにち)がやって来る。
でも、おれ・・・・きっと信じてる。
これは終わりじゃないって。
あのとき貰った総士のキスとぬくもりには
確かに愛が隠れていたと感じる事ができるから
総士が呼んでくれた おれの名前の中に
愛は生きていたと
信じているから
だから、今は離れるよ。
もう一度、やり直してみる。
自然に笑えるようになったら、また
総士の傍にいくから・・
今度こそ
この想いを伝えて見せるから
だから待ってて総士。
それまでおれのこと、
忘れないでーーーーーーーーーー。
+++
元に戻った僕ら。
待っていたのはそう、
また君の居ない時間(まいにち)ーーーーー・・・・。
最近、一騎の様子がおかしい。
「総士!」
不意に名を呼ばれて ゆっくりと振り返ってみせる。
するとそこにはよく知った顔の人物、ーー同じクラスの生徒が息を切らして
こちらに走ってきたのだった。
「ーーーーどうかしたのか?・・・衛」
目の前に駆け寄ってきた 少し背の低いクラスメート 小楯衛は
僕の前に急に止まると 肩で息をしながら 息絶え絶えにこういったのだった。
「一騎・・・・はぁ、はぁっ、・・・・見なかった・・?」
「ーーー・・・かずき?」
焦った口調でそう紡ぐ衛。
何かあったのだろうかと 僕は思わず自然と聞き返してしまった。
「一騎がどうかしたのか・・・?」
自然と零れた僕の質問に 衛は警戒する事無く
あっさりと 苦悶の表情を浮かべながら普通に答えたのだった。
「明日さ、早朝清掃当番に当たってる事 僕一騎に伝えるの忘れちゃって・・・」
衛はようやく息を整えると 胸を撫で下ろすかのように深く深呼吸をひとつして
僕を正面から見据えてきた。額には汗が薄っすらと滲んでいる。
よほど焦って探し回ったのだろう。服が僅かに乱れている。
「ほら、当番サボるとペナルティーつくだろ?一週間連続日直当番と反省文10ページ。
・・僕が伝え忘れたせいで一騎がそんな目に合ったら僕、一騎に会わせる顔がないよ」
しゅん、と肩を落として 少し涙目になっている衛は
何だかんだ言っても心の優しい幼馴染の一人だ。
僕は苦笑を漏らすと、衛に言った。
「そう慌てるな。・・わかった、一騎を見かけたら伝えておくよ」
僕の紡いだ言葉に 衛は満足そうな笑みを浮かべると
”絶対だからね!”と叫んで駆け出したのだった。
どうやらもう少し校内を探し回るらしい。もし見つからなかったら
自宅に行って伝言を残すか 本人が帰ってくるまで待つと衛は
言い残して その場を去って行ったのだった。
「・・・・その責任感、もう少し別の役目に使えればいいんだがな」
僕は走り去っていく衛の後ろ姿をぼんやりと見ながら零したのだった。
衛の姿が見えなくなったあと。
再び、止まっていた足を動かし、踵を返した僕は
夕暮れに染まるオレンジの校舎を静かに瞳に映しては目を細めた。
『・・・・・一騎は?』
少し前までは 衛のように 一騎を探し回っていた自分。
放課後、決まって誰かにそう尋ねた後、彼の背中を追った。
そして、いつも夕日が完全に沈む前までには 彼を見つけた。
見つけたあと、一騎はいつも泣き笑いにも似た表情を浮かべて
僕を見上げてくる。その表情が、何を意味しているのかなんて
僕は考えようとはしなかった。・・・いや、考える事が恐かったのだ。
君の真意を探るという事は、
君の本心と向き合わなければいけないということなのだ。
そんな勇気はなかった。
ただでさえ、君を薬として利用していた自分。
好意的な返答や心情が返って来るなどと考える方がおかしい。
・・・思えば、僕は一騎の真意から ずっと逃げていたのだ。
知る事がこんなにも恐ろしいモノだとは 今まで知らなかった。
今。こうして離れた場所から 一騎を見つめている自分を振り返ってみる。
このまま 自然と彼が笑える日が来ることをーー・・彼の心が穏やかであることを
望みながら その一方で。
・・茫漠と広がる積年の想いが堰を切ったように溢れ出てしまいそうで、怖い。
逃げてばかりだった自分を変えることは、急には無理で・・・やっぱり難しくて。
どうすれば一騎のためになるだろうと、考える日々を今は送っている。
君の笑顔(ほんとう)を取り戻せるのなら、
どんな努力も惜しまないと今は思えるくらいになったのだ。
どんなことだって頑張れる。
君のためになるならば。
僕は償いきれぬほど、君を傷つけ、君を縛り続けていたのだから。
本当に好きなら、乗り越えようと想った。
君を・・・たとえ失う事になったとしても。
だってそれは終わりじゃないから。
きっとそれは、新たな始まりーーーーーーーー。
君と僕が、今度こそ本当の意味で
接近(であ)えるということなのだからーーーーーーーー・・・
「あ・・・・・っ」
生徒会室に資料を置いてきた帰り道、
向かい側の廊下を歩く一騎の姿が目に入ってきた。
あの日の別離(わかれ)から 口を利いていない僕と一騎。
声をかけることがなんとなく躊躇われて、今まで会話ひとつ交わす事無く現在に至る。
今回は衛の伝言も預かっているわけだし、声をかける理由はある。
が、たった一言名を呼ぶだけで 声が震えそうになりそうで不安だった。
ましてや音を口から出そうとしても 心に抑制されて 出るのは吐く息だけ。
自分でもおかしなくらい 自然に接する事が日々を積み重ねるにつれ、難しくなっていく。
それは離れた事実が原因なのか。
それとも新しい何かが自分の中で芽生え始めているのか。
・・自分でも予測不可能な感情を抱えながら
僕は今一度 一騎に声をかけようと一歩踏み出す。
そう。頑張れる。
頑張ろうと、僕は誓った。
自分自身に・・これ以上 嘘は吐かないでいようと 願った。
この想いを大切にしたいのなら、
これから ずっと抱えて生きようと想うのならば
超えなくてはならない。
恐怖や不安や、自分自身の無力さ、無知さを。
知って歩かなければ ならないのだ。
君を好きなら。
君に、伝えたいと 想うのならば・・・・
僕はーーーーーーーーーー
「一騎・・・・!」
久しぶりに 口にした 君の名前。
こんなにも心地よく、不安定に響く。
廊下の端々に残響となって 残る僕の声音。
その声に 大きく肩を揺らして、途端に振り返る君。
大きな栗色の双眸が零れ落ちそうなほど瞠って、
こちらに眼差しを映してきた。
彼の少し長い黒髪が風にゆらゆらと揺れて
キラキラと夕日に溶けてーーー・・淡く心に残る。
柔らかい彼の唇が震えるように 開き、そっと零す。
「総、・・・・・士」
僕の名を。
互いに近づく。次第に埋まっていく距離。
久しぶりに近づく、君に。 すぐ傍に、君が居る。
互いに廊下の中心で立ち止まる。向かえ合わせに 見詰め合う。
穏やかで、でもどこか心もとなくて・・・未完成な時の流れを肌で強く感じる。
緊張の細い糸が、今にも途切れそうで 表情が切迫したものへと変わっていく。
用意していた言葉を、今更ながら探す。
僅かな沈黙に 息を呑む。
言葉の羅列を頭で整理して、僕は漸く言葉に変換することに成功する。
君の声が、少しでも長く、近くで、聴きたかったから。
「・・・衛がお前を捜していたぞ。明日お前、早朝清掃当番なんだそうだ」
ぎこちなく、繕う声色。
でも自然に零れた僕の笑顔は嘘なんかじゃない。
作りものの笑顔なんてもう、君には見せなくないんだ。
ふっ、と緩やかに浮かべた笑顔。
僕のそんな笑顔を前に 一騎は大きな瞳を揺らしながら
一瞬怯えた顔をした。
僕はそんな一騎の様子に 別離(わかれ)てから
感じ始めていた違和感に自然と気づく。
「・・・・・・・・・・・なぁ、一騎。
おまえ、・・・・・どうかした、のかーー・・?」
思わず口から零れていた。
あまりに不自然な目の前の一騎の姿に。
どうしても 気づかずにはいられなかったのだ。
「・・・−−−え、・・・・なに、が・・・?」
抑揚のない無機質な声が廊下に零れ落ちる。
僕は一騎の背後に大きな黒い渦が迫っているように思えて、怖くなる。
「・・・・・最近、おかしいぞ・・・・・お前」
心配していた、君を。
そんなことできる立場じゃない事はわかってる。
でもーーーーーー・・・それでも。
僕の言葉に、一騎は暫く答えなかった。
そうして少し俯いた後 うな垂れるように 廊下へと視線を落とし、
身体を丸め、崩していった。
「・・・・・・かず、き・・・?」
大きくうな垂れる一騎を視界に捉えて僕は
言い知れぬ焦燥を持て余していた。
あまりに弱弱しい一騎の姿に 胸はさざ波のように震え立った。
「ーーーーーすれ・・ば、い・・・・・・っ」
「ーーー・・・え?」
沈黙の中響く、途切れ途切れの言葉。
君の精一杯の今の言葉。
聞き逃すわけにはいかなくて、僕は催促するみたいに
君へと聞き返す。
刹那ーーーーーーーーーー
君はふっと顔をあげた。
その表情は、・・・・・・見覚えが、ある。
・・・・いつかの泣き笑いに似たーーーー君の顔。
僕が君を見つけたあと、
決まって君が見せる その顔だ。
・・・ずっと、真意を探る事を躊躇っていた。
怖くて、知ろうとしなかった・・その表情。
嬉しそうに、・・・切なそうに、
何かに怯え、寂しさを隠すように・・・
世界中の誰よりも 君が
頼りなく、脆い存在に映った・・・・その姿だ。
「総士・・・・・・おれ、どうすればいい・・・・・っ、
・・・・・・助けて・・・・・」
君が吐き出した言葉は
僕の胸を一突きして、心臓を一回停止させた。
「かず・・・・・・・・・・・き・・・・?」
動揺、というより衝撃、だった。
「おれ・・・・やっぱり駄目だ・・・・。
お前みたいにーーー・・上手く笑えないよ・・・・・っ」
一騎は廊下に蹲ると 縮こまって自分を抱きしめていた。
僕はゆっくりとしゃがむと、一騎を静かに覗き込んだ。
「どうしたんだ一騎・・・・・・、何をそんなに苦しんでいる・・・?」
静寂の中 滑稽に響く自分の声音に呆れながら
僕は一騎を出来るだけ追い詰めないように 語りかけた。
そんな僕の存在を感じたのか、一騎が再び見上げてきた。
今度は その顔が大きく歪んでいた。
「おれ、・・・駄目なんだ・・・笑えないんだよ・・・自然に、なんて」
自分を追い詰めていく一騎。小さな貝に閉じこもる存在。
危うく、今にも潰れてしまいそうな存在。
僕は見ていられなくて、思わず 目の前にいる温もりへ、手を伸ばすーーーー・・
ギュッ、−−−−−・・・・
力いっぱい抱き寄せてみる。
脆く儚い、その存在。
今まで何度も抱いてきた 温度。
彼の匂いが久しぶりに 鼻を掠める。
再び戻ってきた、懐かしい腕の重み。
柔らかい髪が頬に触れる。
華奢で滑らかな肌。心地よい彼の心音が ・・震動が胸に伝わる。
君が好きだ、今でも。
全身がそう、訴えてくる。
「本当に・・・・どうしたんだ・・・・一騎・・・」
耳元でそう囁く。
落ち着くようにと願いながら。
君はというと、
僕の抱擁に、言葉に ・・・答えるみたいに
ぎゅっと、しがみついてきたのだった。
背中に回された腕が確かな熱へと変わる。
微かに体が震えている気がして、僕は崩れないでくれと心の中で祈った。
「・・・・・・・・・・・・あったんだ」
「え・・・?」
暫く沈黙が流れた。
その重い沈黙を破った一言。
一騎の本当の気持ちの一部が今、僕の胸に零れ落ちる。
「総士は・・・・最初から何も持ってないって・・・・言ったけど、
おれにはーーー最初から在ったんだ・・・・・・」
「・・・・かずき・・・・・?」
抱きしめた存在が僕の胸から顔を出して、見上げてくる。
その表情は 切なさに身を焦がした聖女のようで・・・壮絶に、美しかった。
「おれ・・・・・・・・ずっと総士が好きだった。
・・・・・−−−−−好きだったんだ」
「ーーーーーーー・・・・っ、・・・・」
言葉に、ならなかった。
君からそんな言葉が出てくるなんて
夢にも想わなかった。
だって・・・・・こんな僕を・・・・・、君、はーーーー・・・?
息を呑んで 目を瞠る僕を 哀しい声で迎えた君は
再び僕の胸へと埋まっていった。
指先は、はっきりとした震動を小刻みに刻んでいる。
「薬でも、なんでもよかった。・・・総士の傍にいられるなら、なんでも・・・。
ーーーー・・・わかってた。総士は、薬としてのおれが必要なだけなんだって・・・・」
「か・・・・ず、き」
「・・・・わかってた。総士が薬としておれを選んだのは贖罪のためだってこと。
・・・・全部わかってて、それでもおれ・・・・・・は・・・・」
「ーーーーーーーーーーーな、・・・にを・・いって・・・」
「好きだった。だから・・・・こんな気持ち抱えてるおれを知られるのが怖かった。
・・・・幻滅されてしまうと想った・・・・失望されてしまうと・・想った・・・・だけど」
「かず・・・・・」
「どうしようも・・・なかった。−−−総士がいつもおれを捜してくれるたび、・・見つけてくれるたび、
想いは募って・・・・溢れ出そうで・・・・苦しかったんだ」
ぎゅっ、と掴まれた服の裾に彼の力が籠る。
熱を一緒に連れてきて、僕の肌をあわ立たせる。
くぐもった声。でも確かな口調。
苦悶を吐き出すかのごとく、響き渡る・・廊下に。
オレンジ色の校舎が光に反射して眩しく照り輝く。
静寂と君の声が交じり合って 不思議な空間を造り出す。
僕の胸に頬を寄せる君。
服の一部が濡れていくのが、わかる。
君が泣いている。
そう、感(わかっ)た。
「総士・・・・・総士は戻ろうって、言った。自然に笑える自分で、
もう一度・・やり直そうって」
「ーーーーーーーー・・・・あぁ」
「でも、おれ・・・・・わからないんだ。総士と離れてから・・・・。
自分がどうやって笑ってたのか・・・・思い出せないんだ・・・・・・」
「かずき・・・・・・・・・」
「わからないんだ・・・・・どうしたら、総士みたいに・・・笑えるのか・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・かず、き」
「・・・・・・・・・・どうしたら、おれ・・・総士みたいに笑えるのかな・・。
おれ・・・、っ・・・総士の傍に居た頃は・・・ぎこちないけど・・・笑えてた。
好きな人の前だと・・・どうしても緊張して・・・上手く笑えてなかったかもしれないけど・・・
それでも笑えてたんだ・・・・・・・・・・・・。でも、いまは・・・・・・」
「ーーーーーーーーーー・・、」
一騎の声が、言葉が、服に染み渡った彼の涙みたいに
僕の胸へと沁み渡る。
今まで、自分が誤解していた事。
そして一騎が今、誤解している事。
少しずつズレた歯車が 元に戻っていくようだ。
僕は、ひとつ、また一つと君が落とす言の葉すべてに
耳を傾けながら 迫り来る感情の渦に呑み込まれない様に
必死で喰らいついていた。
今、意識を手放せば 今まで抑制してきた感情が溢れ出して、
君を潰してしまう気がしたから。
どうしようもなく、君が好きだから・・・
この気持ちを、大切にできる自分で、君に触れたかった。
伝えたいと想ったんだ。
「総士・・・・・教えてくれ。−−・・・・どうすれば、いい?
おれ・・・どうしたら、お前みたいに・・・笑えるんだ・・・?」
埋めていた顔を上げ、涙を零した君の顔が目の前に佇んでいた。
澄んだ瞳をした君の眼差しは 息の根を止めてしまえるほど
僕の心(むね)を掴んだ。
「・・・・・総士は・・・・・もしかして、もう・・・全部忘れちゃった、のか?」
「ーーーーーーーー・・えっ、」
「おれが傍にいた日々を・・・・・もう、消失(わすれ)ちゃった・・・・のか?」
だから笑えるのか?
一騎の苦しそうな声に。
哀しそうな瞳に・・・・・僕はーーーーーーーー。
「・・・・・と、なんて・・・・・」
「ーーーーーーーえっ・・・・?」
存在(ありっ)たけの想いを、君にーーーーーーーーーー。
「ーーーーーーーー・・忘れた、ことなんて・・・・一瞬だって、ーーー」
”ないよ”
最後は、言葉に成らずに消えた。
困ったように微笑んだ僕の顔。
零れ落ちたのは、・・言葉じゃない。
変わりに、涙が・・・・溢れ出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ーーー・・・・・総士・・・・・・・・・・」
目の前で瞳を揺らし、大きく瞠る 一騎が
まっすぐに僕を見上げている。
ひとつ、また一つと堕ちる僕の涙が
彼の頬に零れ落ちて・・・涙の雨になる。
今までいえなかった言葉が
涙となって、今更溢れ出る。
堰を切ったように流れる涙の雨を
一騎は眩しそうに瞳を細めて見つめていた。
そっと差し出された傘のように、君の指先が僕のそれに触れる。
「・・・・・・・・・・総士」
温かい眼差しと、優しい声。
それらに吸い込まれるように、僕は彼の胸へと埋もれる。
今度は僕が一騎に抱きしめてもらう番だった。
ぎゅっ、としっかりと包み込んでくれた彼の熱を肌で感じ、
僕は感動と、切なさと、嬉しさで 身体を微かに竦めた。
「−−−−−頑張れると・・・・想ったんだ・・・っ、」
擦れた声で、君に紡ぐ僕の真実。
君は聖母のように優しい面差しで僕を見下ろす。
「・・・・本当にお前が好きなら、乗り越えて行けると・・・頑張ろうと・・・想った」
「・・・・・うん」
「どんなに苦しくても・・・お前が笑ってくれるなら・・・」
「う、ん・・・・っ、」
「−−−どんなに愛おしい日々を・・・手放したとしても・・・・、どんなに大切だった記憶を
忘れなければならなかったとしても・・・・生きていけると・・・・・・想ったんだ・・・」
「ーーーーーーー・・・っ、・・・・総士っ・・・・・・・・、」
「薬なんかじゃなくて・・・・・”真壁一騎”を・・・
愛していると・・・・・・・伝えたかったんだーーーー」
だから別れを選んだ。
だから君とやり直そうと想った。
「すまない・・・・・沢山お前を傷つけたーーーーー・・・。
不器用で、・・・・・本当にごめん」
「総士っ・・・・・・」
「ーーーーこれからは、・・・・・お前を泣かせたりしないから。
・・・・・僕が、一騎を笑わせて見せるから・・・・・」
「・・・・・・・・・・そう、・・・・・・・・・・・し」
「ーーーーーーーーーー・・・・また、」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「また、・・・・・・・・・・・・・僕の傍にいてくれるか・・・・?」
離れて解かった事がある。
君がいない隣は、とても寒いということ。
君がいない放課後は、とても寂しいということ。
君がいない腕の中は、とても心細いということ。
そして・・
君が僕の名を呼ばない毎日は
とても苦しいということ。
見えそうで、見えなかった真実に
今、僕は触れる。
君と離れて知った痛み。
君も感じてくれているだろうか?
「総士が・・・・・・また、おれを探してくれるなら」
「え・・・・・」
「ーーーーーー総士が、・・・・・おれを見つけて、そして・・・・・呼んでくれるなら」
一騎
かずき・・・・
「ずっと・・・・・・・・・・・・・傍にいるよ。
”真壁一騎”としてーーーーー・・・・」
君を探せば、喜んでくれる。
君を抱きしめれば、応えてくれる。
君の名を呼べば、幸せそうに笑ってくれる。
そんな毎日、そんな日常。
僕らを形づくる たくさんの日々。
どうか見失わないで。
心の記憶に、留めておいて。
君の名を、呼んで きっと確かめるから。
忘れないように、覚えていたいから。
確かな幸せを、見逃したりしないで。
繰り返し、君の名を呼ぶからーーーーーーーー、
どうか応えて欲しい。
あの日、あの瞬間(とき)、あの場所で
僕らは 再会(くりかえ)し、結束(くりかえ)す。
僕はきっと 同じ人しか愛さない。
僕には あいつしか愛せない。
一騎、感銘(わか)るか?
お前にも、・・・・いつか共有(わかる)といいな
僕には お前が居る。
居てくれる。
だから
世界はこんなに美しいのだと・・
だから僕は
今日も幸せなのだと。
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どうも、こんにちは。青井聖梨です。
相変わらず長くてすみません。ここまで読んで下さってありがとうございました!
本当は総士の誕生日にUPしようと思ったのに、まさかの約二ヵ月後UPとなりました。
空き時間の合間に少しずつ進めていたのですが、中々まとまらず
苦悩していました。一度離れて、そしてまた寄り添うというのが難しくて、随分悩みましたが
最後は二人の気持ちを一番に優先しました。少年らしく、まっすぐな気持ちをぶつけ合うという形でしか二人が
結ばれる方法が見つからなかったので(笑)つまり本編と同じ、対話で終結したという感じです。
総士の依存って態度に出ると思いますが、一騎の依存ってそうではないと思うのです。
私の場合一騎の依存は心の方に重点がいっていると思います。なのである種
わかりづらい・・というか感じ取りにくい気がします(笑)そういう意味では
総士は大変ですね。一騎の心がいつもどこにあるのかやきもきしないといけないので。
そんなやきもきした総士ももっと書いてみたいなぁと思う管理人でした。
それではこの辺で失礼します。
ありがとうございました!!!
青井聖梨 2009・2・26・