中学1年、炎夏。






















深層

〜2メートル〜




























うだるような暑さから解放されるためには、この季節を
必ず越さなければ、涼しさはやってこないと僕は知っていた。

そして、この夏期講習を乗り越えなければ、薔薇色の夏休みは
やってこないということも、僕は重々理解していたのだった。


期末テストが終わり、ほっとしたのもつかの間
一学期の終業式がやってきて、通知表が渡される。
おそらくギリギリ合格点はもらっているだろうと確認した数字の羅列の中、
赤い文字がひとつ、僕に鋭く牙をむき、僕の小さな心臓をわし掴みするのであった。

あぁ〜・・・ついてないなぁ。
一教科、赤点にひっかかっている。

体育だ。



たしか、体育の筆記テストは 大丈夫だったはず。
平均点をごく平凡にとり、取り立てて気に留めてはいなかったのを
よく覚えているのだ。

てことは、多分成績の足をひっぱったのは ・・紛れも無く
実技のテスト、の方で。


悲しいくらい、身体が思うように動かなかったスポーツテスト当日。
よく覚えてる。

漫画の読みすぎで睡眠は充分にとってないし、暑さにやられて頭はくらくら、
汗はだらだら。おまけに苦手なマラソンと水泳をさせられて 精神共々破滅的に
最悪な日を送ったのを覚えている。


あの日は酷く暑くて、外にいるのもやっとだというのに
二時間目、マラソンをグランドで延々とやらされたのだった。
そうして、それが終わると 三時間目、水泳の授業に移り、
少しでも体を涼めようと騒ぐ生徒達の声がやたらとプールサイドに響いた。

普通なら暑いところから涼しいところに移れて 嬉しいだろう。
でも僕は違った。気だるい体に水圧は命取りだ。
絶対に溺れるとわかっていたから 先生に言って、
水泳の授業をずっと木陰で見学させてもらったのだった。

これがおそらく赤点の元凶のもと、だろう。
授業中内で行われたスポーツテスト。25メートル クロール泳ぎ、
の課題はこの日が最終日だったのだ。

僕は今まで、何かに付けて水泳の授業を放棄してきたため、
この日受けなければ ランクCの評価がつくのは確実だった。

なのに僕ときたら、テストでいい点とれば 何とかなる
みたいな余裕を心のどこかで持っていたんだ。


それが命取りとも知らずに、暢気に青い空なんか見上げて
この日、僕は”お腹すいたなぁ〜・・”とか思って 授業をさぼっていたのだった。

水柱が沸き立つ水面から顔をあげる 剣司が姉御の尻をおいかけて
楽しそうに笑っているのが意識の遠くで見えたけど
今回ばかりは あの二人の中に 僕は入ろうと思わなかったんだ。


それほどこの日の僕は憂鬱で、気の乗らない時間を
ただじっと耐えているだけに留まっていた。
まぁ、こんな日もあるよね。




安易な気分で 僕は炎天下の中
体育座りで 水泳を自分なりに満喫していたのだった。

しばらくして。
期末テストがやってきて、体育の筆記テストを受けた。
結果は平凡。平均点しかとれなかった。


いい点なんて
そうそうとれないーーー。
世の中、そんな上手くいかない。



僕は激しく、肩を落として、終業式に渡された
通知表にある 赤点から目を背けるしかなかった。







あぁ、これで僕は夏休みの始め、
体育の夏期講習を受けるメンバー決定だと思った。


案の定 間もなくして、担任の口から
思った通りのことを告げられた僕は





再び激しく落胆するしか 今の心情を表す
手立てはなかったのだった。








+++















「あ〜〜つ〜〜〜い〜〜〜・・」




泣き言なのか、実際本当に泣いているのか。
自分でも判断がつかない状況に今、僕は追い詰められていた。

水泳の授業を安易にサボったために、体育の夏期講習なんてものを
受ける羽目になった僕は、ほんとバカだ。
剣司すら体育の補習にはひっかかっていないというのに。
もともと運動能力が低い僕にとって、この真夏の暑さの中での運動は
地獄と大差ないほど酷い環境下だった。


水泳の授業で評価が取れなかったのだから 本当は
水泳の講習を受けなければいけない僕だけれど、
ラッキーなことに、水泳の改装工事が 今年の夏休み中
行われることになったので 水泳の講習は渋々免除と相成ったわけで。
・・でもそのかわり、マラソンの距離が追加されて、陸上競技の講習が
大幅に増加する次第となってしまった。スポーツ全般が苦手な僕には
本当に泣ける・・いや、すでに泣いている 状態なのであった。



お母さん・・・助けて。僕、死んじゃうよ・・。




そんなことをツラツラと頭で考えながら、僕は延々と
グラウンドを回り続けて 息があがるのを全身で感じていた。
僕のほかにも体育の講習を受ける生徒はいるものの、どうやら少人数らしく、
日にちをずらせば、先生がマンツーマンで教えられるくらいしかいないらしい。
ので、案の定 先生は一括りでやらずに、一人に専属でつけるよう
生徒がいる分だけ 個々の日程を組んでいた。

つまり、月曜日に僕が受けたら、火曜日は別の生徒が。
水曜日はまた違う生徒が受ける・・といった、一人一日丸々 先生と
マンツーマン講習を受けられる日程になっているのだ。

どれだけ暇なんだ、先生はっ!!
と生徒の僕からすれば 不満が沸々と湧き上がって来るが
よく考えてみれば 先生は自分の夏休みを生徒に潰されているのだ。
文句を言う資格はないと思った。


そういうわけで、僕は休まずこの講習を全部受けて
無事に楽しみだった夏休みを思う存分エンジョイできるよう
今まさに 死に物狂いで頑張り中ーーーなのだ。


なんてったって、今日受けて、一週間後もう一回講習を受ければ
晴れて自分は自由の身、なのだ。ゴールはすぐ其処に見えてる。
なんとか乗り越えられそうだ。


僕は出来るだけ楽しいことを考え、ポジティブにこの講習をこなそうと
試みていた。そうでなくちゃ 今にも逃げ出してしまいそうな
自分がいるのだ。

はぁ、はぁ、と息を整えつつも 懸命に腕を振る様は
見守る先生からも好印象 だし、頑張ってる感が滲み出ていて
先生の良心を擽る手立てになっている。僅かな同情心が先生の口から
丁度 その言葉を引き出し、僕を楽な方へと連れ去ってくれる結果になったのは
このマラソンのノルマが丁度八割終わった頃だった。





「じゃあ、一時間休憩しましょう」




先生の声に反応して、今までフル活動で頑張って動いていた身体が
急にクタッ、と脱力して 疲労を電流みたいに脳髄まで流し込んでいた。
僕はハァハァ、と途切れる息のまま 自分のカバンからタオルとスポーツドリンクを取り出し、
校舎の壁へと寄りかかり、日陰で涼むことにした。



グラウンドは熱気と太陽の日差しで干からびた砂漠みたいに
砂っぽく 正直居られるような場所ではなかった。
先生も グラウンドの状態がよくないと感知していたのか
休憩を長くくれた。すると、いつのまにかスプリンクラーが起動すると
校内放送がかかり、大量の水が辺りに撒き散らされていた。



と、不意に。



スプリンクラーの水が届かないグラウンドの脇で一人ポツン、と
佇む知り合いを見つける。



一騎だ。






「なんで・・あんなとこに・・?」




夏休みが始まったというのに、遊びに行かないのだろうか?
そもそも、一騎は体育の講習にひっかかってない。
なんで学校に来てるんだ・・?もしかして、別の教科でひっかかったとか・・?

聞きたいことは沢山あった。けれど、俯き加減に大きな桜の木の下で
誰かを待つような素振りを見せる クラスメートの姿を僕は
放ってはおけない性分だった。 いくらなんでも、あそこは暑すぎる。
熱気がダイレクトに来るだろうし、桜の木で日陰といえど、青々とした葉の隙間から
日差しが漏れ出して 一騎に当たっているじゃないか。


あんなところにずっといたら、倒れちゃうんじゃ・・。
せめて水分、取らないと。



僕はすっと立ち上がり、大きな声で一騎に声をかけた。





「かずきぃーーーーーー!!」







思いの他、響き渡った僕の声に、呼ばれた張本人は
すぐさま気づいたようだ。
こちらに顔を寄せて遠くから 近づく僕の姿を捉えたようだった。

僕はゆっくりと、一騎が居る場所へ行き、理由を尋ねようとした。
が、その前に。



 一騎は一歩僕の方へと踏み出した。
瞬間。−−−ヨロッ、と傾いた一騎の身体が面白いくらいスローモーションで
地面へと倒れこんだのは 僕が一騎の姿を正面に見据えたのと同時だった。



「か、・・・かずきっ?!!!」





僕は慌てて走り出した。
自分ではだだだ、・・・って感じなんだけど
きっと周りからみれば のろのろ、って表現音になるんだろうなぁ、
と暢気な考えが頭を過ぎった その刹那。




後ろから それこそ僕の理想の音で走る足音が
近づいてきて、あっという間に僕の横を横切ったのだった。




長いカーキ色の髪と涼しそうな水色と白のインナーを重ねて着た
同い歳くらいの少年。颯爽と駆け抜ける その姿を目の端で捉えた。




「あ!・・そう・・・・、っ」



声をかける間もなく、その姿は桜の木の下で倒れている人物へと
まっすぐに向かっている。

僕の疲れきった身体じゃ、どっち道助けられるくらいの体力は
残っていないだろうと思い、一騎の身を案じるものの
駆けつけた総士に全て任そうと思い、歩をその場で止めた。


一部始終を僕は少し遠くの場所から 見守っていたけれど
なんだか総士が白馬の王子様に見えてしまった。

とにかく迅速な対応をみせていた。
倒れた一騎の身体を抱き起こし、頬を軽く叩いて
意識の確認をとっていた。

答えなかったのか、総士はすごく心配そうな顔で
一騎の額に手を当てていた。
あれって、熱があるか見てるのだろうか・・?
そのあと、唐突に首、というか顎の下あたりに手を添えて
時計を眺めている。−−−・・あれってもしかしなくても
脈拍、測ってたりすんのかな・・・?


僕がじっと その様子をみていると 急に総士は
一騎を抱き抱えて立ち上がると こちらに振り向いて
走り始めた。−−−−と思ったら 大きな声で呼ばれた。





「衛!!!弓子先生探して来い!!!!」







切羽詰った声でいきなり指示を受けた僕は
心臓と身体が一気に飛び上がるような思いで
訳がわからないまま 一騎を抱えて こちらに近づいてくる
総士へと返事をした。










「へ!!?は、っ・・・はい!!!!」










踵を返し、校舎へ向かった僕は弓子先生を探すため
職員室に取り合えず向かってみる。
その途中、通り過ぎた保健室内は 無人で、物音一つしなかった。
もしかしたら もうすでに保健室にいるんじゃ、と思った僕の考えは
悉く打ち砕かれ 新たな脱力感を生んだ。


炎天下の中、あんな場所に立って 一騎は何をしていたんだろう?
僕は再び起こる疑問と再び感じる疲労感で




自分の休憩時間が一時間しかないことを
すっかり忘れていたのだった。






+++






















弓子先生を廊下で見つけた僕は すぐさま保健室に連れて行った。
そこには すでに一騎をベッドへと運び終えた総士が首を長くして待っていたのだった。
発汗し、息を弾ませている一騎。本当に具合が悪そうだ。
弓子先生は検温・バイタルを測定すると 机の上にあった電話に手をかけ、
自分の家へとかけているようだった。どうやら一騎は脱水症状らしい。

弓子先生。彼女は保健室の先生で、遠見真矢のお姉さんでもある。
そして実家は遠見医院ーーお医者さんの母親をもっているのだ。


先生は的確な指示を電話口の相手にすると、切ったあとに
”すぐ来るって”と小さな声で 僕と総士に零していた。


僕は、何で自分がこの状況に深く関わっているのか
不思議に思いつつ、とりあえず近くにあったソファーへと腰をかけるのだった。
弓子先生は遠見先生が来る前に 色んな仕度を済ませると
保健室をそそくさと出て行ったのだった。どうやら遠見先生を迎えにいったようだった。



そうこうしている間、一騎の傍に椅子を置いて、付き添っていた総士と
目が合ってしまった。なんだろ・・?なんか空気が重い。
喋ることも あまりない、けど取り合えず今は お互いの偶然を話題にするべきだと思った。

 


「お互い、なんかとんでもない状況に遭遇しちゃったね」



乾いた笑いが口から漏れる。僕は再び一騎へと視線を落とす総士を見つめていた。
総士は、短く”そうだな・・”といっただけで 沈黙を落としていた。


気まずい空気の流れがあたりを漂い、なんだか居た堪れない気分になる。
普段総士と話すことなんてそれほどないから、正直困っていた。
総士は別のクラスだし、会う機会だって殆どないのに。

小さい頃はよくみんなで遊んでたけど 今じゃそれも昔の思い出。
みんなでつるむことすらなくなっていた。
とくに一騎と総士に関しては そうだ。

でも可笑しな話だ。総士や一騎は僕らの中でも頗る仲がよくて
ずっと二人はそのまま 仲良しで続くと思っていたのに。
ある日を境にぱったりと 関係をやめてしまった。
というか、お互いがお互いを避ける空気を作っていた。
喧嘩でもしたのだろうか・・?


気にはなっていたけれど、あまり深く聞けない。
一騎は人とあんまり話さなくなったし、一人でいることが多くなった。
総士は総士で同じようなものだし・・二人に切り出すチャンスすら今はない。


まぁ、外野がなにをいっても仕方ないことだし、
当人同士の問題なら 首を突っ込んじゃいけないと思うから
僕は未だに何もいわない。


考えているうちに、頭が疲れてきたので 僕は一端
外の空気でも吸ってこようかと思った。
巻き込まれてしまったのだから とりあえず 一騎が目を醒ますまでは
見届けようという気持ちにはなったけれど このままここにいても
埒が明かないし、僕も弓子先生みたいに遠見先生が来るのを待とうかと思った。


スクリ、と立ち上がった僕は 総士に一言 紡いだ。




「僕、ちょっと外出てるね?」





僕の声に、総士は瞳をこちらに向けて
一言、頷いた。



「あぁ・・」





低めの擦れた声が室内に木霊す。
先ほど王子様に見えた 総士。今もまだ、眠り姫に寄り添う王子様
そのままだった。なんだろ・・・、いつも思う。


総士ってカッコいいのに、浮いた話がないんだよなぁ。
大人びてるし、僕より背も高いし、頭いいのに。
もったいない気がした。


僕は総士の答えを聞いたあと、静かに保健室を出ていった。
とりあえず一騎の傍に総士がついてるから安心だ。
総士はしっかりしてるから。少なくとも僕が傍に付くよりずっといいと感じた。


スタスタ、と廊下を歩いていると 不意に大事な事を思い出す。




「・・・・あ!い、今何時だろっ・・・・?!!」




休憩時間は一時間。
一騎のことで色々してたら 結構時間を食ってしまった。
生憎近くに教室はなく、自分は腕時計をしていない。
とりあえず保健室の時計を見ようと 来た道を引き返して 扉超しから
中を覗こうと試みた。−−−−−丁度時計がガラス越しに見えるのだ。


僕はひょい、と顔を出し、保健室に置いてある時計を覗き見ると
休憩時間から一時間十分は既に経っていた。



はぁ・・・。がっくりと肩を落とす。
もう予定の時間を過ぎている。
きっと先生、怒ってるだろうなぁ・・・。


かくなるうえは、総士に協力を仰ごう。
総士は結構色んな先生と仲がいい・・というか話してたりする。
やはり、自分の父親が校長だからかもしれない。


事情を説明すれば きっと先生もわかってくれるだろう。
けど僕だけ行っても 証人がいなければ 意味がない。
とにかく総士に付いてきてもらって 僕が遅れたのは決してサボりから
くるものではないということを証明してもらわないといけない。




僕はそっと扉を開けると いそいそと白いカーテンが引いてある
一騎のいるベッドへと赴いて 顔を出そうとした。
何分言い辛い話のせいか、こそこそした自分になってしまうのが情けない。



二つの影がカーテン越しに見え、僕は声をかけようとした。
そのとき。



隙間風が二人を覆い隠していたカーテンを大きく揺らし、
夏の暑さと日差しを 保健室へと連れてきた。


窓の近くに吊るしてある風鈴が、涼しげな音を奏でる。
ガラス越しでも聴こえる、蝉の声が室内に籠る。



冷蔵庫が氷を作った音を響かせていた。




二人の姿を目にした僕。
そのとき、僕の時は止まった。







総士が、一騎の手を握り 一騎の唇に、口を寄せていたのだ。















王子様みたいに。












眠り姫に、キスをーーーーー贈ったんだ。






















「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


















動けなくなった。






金縛りじゃなく、緊張でもなく
動揺でもなく・・なんだろう、




ずっと見ていたいな、と思った。










それほど 僕が心に映した光景は 
鮮やかで、綺麗だったのだ。









男同士なのに・・・二人はすれ違い合ってるのに。

何故かそのとき、全てが繋がった気がした。







きっと総士に浮いた話がないのは、一騎が好きだからなんだってこと。







そして、一騎があんな炎天下のなか、外で待っていたのは 
総士と会うためなんだってこと。







なんとなく、・・・でもきっと 確かな事だと
僕は確信した。







風が、二人を優しく包み、白いカーテンは再び二人を僕の前から隠して
影だけ映る姿へと変えてしまった。




僕は何も言わず その場を静かに去った。

間もなくして、遠見先生と弓子先生が 保健室に駆けつけた。





一騎に付き添っていた総士は、平然とした態度で
そこにいた。僕は総士の様子を少し探っていた。
が、別段変わった様子はない。


ただ、さっきよりも苦しそうな表情をしていた。
僕にとって 先ほどの出来事は まるで夢のように美しい光景だったというのに


総士は 何かに苦しんでいる感じがした。
黙って一騎にキスしたから、罪悪感・・・とか感じているのだろうか?
いや、違う。もっと別のなにかだと・・思う。



不意に、注視していた僕と視線がぶつかる。




総士は僕の方へと近づいてきた。
ビクッ、と自分の身体が跳ねるのがわかった。
何を緊張しているんだろう、僕。
何か悪いことをしたわけじゃない。

ただ、見てはいけないものをみてしまった、だけ。





ベッドサイドでは一騎に点滴している遠見先生たちが見える。
この空気の重たさはなんだろう。背筋に汗が流れた。




「衛・・」




低く擦れた声が、僕を射抜く。




「な、なに・・・?」



もしかして、さっき見てたこと気づかれたのかな?
どうしよ・・・なんて答えればーーー。




ぐるぐると頭の中を訳のわからない問題が回る。
爆発寸前の心臓が煩い。





「色々と迷惑をかけたな。・・ありがとう」





まさか そこでお礼を言われるとは思わなかった。
きっと一騎の代わりに 言っているのだろう。
僕は言葉が見つからず、おざなりな答えしか呟けなかった。




「あはは・・・どういたしまして」




ごまかし笑いだと ばれないといいんだけどな。
僕は意識の奥で そんなことを思った。





瞬間ーーーー空気が、変わる。






一呼吸置いた後、総士が俯き加減に
僕へ、紡ぐ。何かを 必死に耐えるような・・顔で。






「おまえが・・・」







「え・・・・?」






随分小さな声で言われて、僕は思わず聞き返してしまった。
総士らしくない、声音だった。







「・・・・・衛、おまえが付き添ってやってくれ」



唐突に言われた言葉に、僕は目を丸くした。





「・・・・・・・・・へ?」






何を、いってるんだろう・・・総士は。








「衛、お前体育の講習受けてたんだろう・・?事情は僕が教員に伝えておく。
だから・・・ここにいてやってくれ。−−せめて一騎の目が覚めるまで」







すべての事情を理解していた総士は、僕が講習を受けていることを
知っていた。といっても、体操服を着ている時点で気づかないはずはない。
でも・・・なんで今更そんなことを総士は言うんだろう。

たしかに僕にとっては好都合で、色々助かる展開ではあるけど。
・・・・自分が付き添う、という選択肢はないんだろうか・・?

そもそも、今までずっと付き添ってたのは 総士なのに。






「でも、総士・・・・・」




僕はとりあえず、提案してみようと思った。
講習はともかく、なんで総士が付き添うという 一つの方法がないのか
疑問だったのだ。



が、総士はお見通しだったようで 言いかけた僕の言葉を
遮る形で 後に言葉を続けた。




「ーーー僕は、ここにいなかったことにしておいてくれ・・」







「ーーーーーーーえ?・・・・・・・・なんで・・・?」






だって総士が一騎を助けたんだ。
ここまで運んできて、そばに付き添って・・そんな、なんで・・?




訳がわからなかった。











「・・・・・・・・・一騎のためには、その方がいい」











「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
















二人の間に何があったのかはわからない。
けど、そんなのオカシイ。



本当のことを捻じ曲げてまで・・隠さなきゃいけないことって、なに?






二人は喧嘩してるの?
二人は険悪なの・・?それじゃあ、これを機に仲良くすればいいんだ。
また、もとの二人に戻ればいいじゃないか。

なのに、どうして 遠ざけるような真似、しなきゃなんないんだろう・・。






やっぱりみんなには いつまでも仲良く居て欲しいよ。
そんなことを、ふと思う。僕の本心だった。







「・・・・総士がなんでそんなこと言うのか、僕にはわかんないよ。
ーーーーまた、昔みたいに戻れないの・・・?」





やっと見つけた言葉は、自分の願い、だった。


目の前に佇む総士の表情が強張った。
いつのまにか作られた拳に力が籠っている。
けれど次の瞬間には、 総士は冷静沈着な声で、表情で
僕を迎えて こういった。











「戻れない。もう、・・・・昔の僕じゃないんだ」



















胸が、ちくり、と痛む。

















「そっ、・・・・か」









僕はそれ以上、総士に何も云えなかった。
















+++

















ザーーーーーーーーーーーーーーーーッ・・










朝から、雨が止め処なく降り続いている。






夏休みの中盤。
久しぶりの登校日。二学期の予定について
クラスミーティングが今日 行われる。
半月ぶりに顔を合わせるクラスメートもいれば、夏休み中
ずっと遊んでいた顔なじみの奴もいたりして、 不思議な感覚に囚われた。


僕はというと、相変わらず剣司や姉御のあとを付いて回って
一日中過ごしていた。いつもと変わらない状況だ。


教室では、他愛のないことを、三人で話したりして
担任が来るのを待っていた。これもいつもと、変わらない風景だ。




「でさ、・・・そこのショートケーキ、めちゃ美味くてさぁ・・」


話題は剣司の見つけたケーキ屋の話だった。




「母ちゃんがおごってくれたんだけど、イチゴ、先に食べるんだよ。
なんかもったいなくね〜?せっかくのイチゴをそんな早く食べちまうなんてさー・・」



「別にいいじゃない。近藤先生がいつイチゴ食べようと」



「よくね〜よ!オレはイチゴは、目で楽しんで他にクリームとかスポンジとか
適当に摘んで テンション最高潮なときに食べるって決めてんだから・・! 」



「ゲッ!なによそれ・・・くだらない」



「あ〜〜〜、ひで〜〜〜〜っ」




嘆く声が耳にじんと響いてきた。
どうやら剣司と姉御は ケーキの食べ方について話し合っているようだ。





「私だったらイチゴは最後に食べるわ。一番好きなモノは
最後まで残しておく主義なの。一番美味しいもので最後 口の中を終わらせたいわ」




「ふ〜ん、姉御はそんな食べ方なんだぁー、僕と違うや」



性格が出るなぁ、と少し興味を惹かれた。
僕だったら それは無理。心の中でそう呟いていた。




「衛はじゃあ、なんなのさ?」



ちょっと訝しげな顔をむけられ、どきっとする。
姉御は短気だから 何が引き金で怒るかわからないのだ。
僕はちょっとだけ上擦った声で、喋った。




「僕なら好きなモノは最初に食べる!だからイチゴは一番最初。
残してたら、いつ誰に横取りされちゃうかわかんないもんね〜」



「・・・・・食へのこだわりが窺い知れる瞬間だぜ」




横から突っ込みをいれる剣司の顔を流しみて、僕は背後に近づいてくる気配を察した。
くるり、と後ろを見つめると 総士がこちらに寄ってきた。






「衛。」



短く呼ばれ、はっ、とする。
多分、・・・この間のことだろう。







「ありがとう」






そう一言、総士は零した。










「・・・・・・・・・いや・・・・・そんなこと」











僕は総士の言葉に、また胸がちくり、と痛むのがわかった。
原因不明の 痛みに、動揺する。


結局一騎には 総士がいたこと、助けてくれたことを言わず
一騎の傍に寄り添っていたのは自分だと言い張った。
一騎も納得していてくれて、何度も礼を言われた。
倒れる前、僕が呼ぶ声を聴いていたことが真実味をより増加させる
要因となったようだった。


複雑な思いにかられながらも、本当のことを隠し、
その場を過ごした僕だったけれど
やっぱり胸にはモヤモヤした感情が残って、気持ちが悪かった。




頑なに隠す総士の意図がわからない。
でも、あの日、あの場所で 総士が一騎にキスした光景を
目に焼き付けた僕としては 納得がいかなかった。





好きなら、隠れてそんなことしないで
堂々と正面をきってすればいいのに。
そりゃあ男同士だし、今まで幼馴染だったり、関係が停滞気味だったり
問題はあるかもしれないけど・・少なくとも一騎は 総士を突き放したり
しないんじゃないかって思う。一騎は、根が優しいから、酷いこととか言わないし。



僕は悶々とした胸のうちを相手にぶつけたくて堪らなかった。
でも、口から出たのは くだらない話題の欠片で。
とりあえず、なんだか重たい空気を取り除きたかったのだ。













「そ、・・・総士はイチゴ、先に食べる派?」






唐突に口から出た言葉に 総士だけでなく
盗み聞きしていた二人も目を瞠って驚いていた。
僕はある意味勇敢な勇者だ。




「なにいってんの、アンタ?」



総士にそんな質問してどうすんだ、という鋭い目が僕の背後から突き刺さってきた。
姉御の横にいる剣司も 変な顔でこちらをみていることだろう。




総士はというと、言われた意味がわからないらしく
首をかしげて こちらを窺っていた。





「あ、・・・例えばさ、イチゴが一番総士にとって好きなモノだとして・・ショートケーキ
食べるとき・・・イチゴから食べる?って、話なんだけど・・・」



しどろもどろに説明すると 総士は”あぁ・・そういうことか”といった表情で
沈黙を作った。そうして、やっと開いた口から出てきた言葉は・・。





「・・・なにが一番かなんて、考えない。ーーー・・平等に食べる」




そう言ったのだ。








今度は僕が理解に苦しむ番だった。







「なに・・?それ・・・・」


聞くと、総士は踵を返して、その場から後にする前、一言言った。








「・・・・・・・・・・・・一番は、作らないことにしているんだ」












総士の声が、遠ざかった。







僕の背後に立つ二人は、”変わった奴”といっていた。
総士の言葉を聴いたとき、やっぱり僕の胸は痛んで、仕方が無かった。



汎愛主義ってやつなのだろう。



・・けど、総士。
それってすごく寂しいことなんじゃないかな?






いいたかった言葉は、喉の奥まで出掛かって、消えた。
それはきっと言わなくてもいい言葉なはず。



だって








きっとそのことを





総士が一番わかっているはずだから・・・・


































ミーティングも程よい時間で終わり、僕は帰宅する準備をして 
教室をあとにした。僕以外に帰る生徒は大多数いる。
それぞれ友人と帰るようだった。僕も剣司と一緒に帰る予定だ。
けど、剣司がトイレに寄りたいから昇降口で待ってて欲しい、と
言っていたのでそうすることにした。僕は早々に、昇降口へ着くと、下駄箱から靴を出し、
上履きと履き替える。

帰ったら、ゲームでもしようと心に決めて うかれる気持ちを抑え付けて
剣司を待つため 昇降口の扉付近で立っていた。



雨の音が次第に強くなっていく。ザーッ、とノイズみたいな音がちょっと耳障りだ。
僕は憂鬱な音に耳を傾けて、その中で聴こえる音をひとつずつ拾い集めた。


蝉の声。・・すごいな、雨の中でも鳴いてるんだ。
行き交う生徒達の声。みんな楽しそうだ。
そして・・・、聴きなれた声。


は、と僕は周囲を見回す。
どこからとも無く聴こえてくる声がふたつ、その場に響いていたのだ。






あ、・・・・・この籠り様。
多分、外からだ。







僕は勢いよく、外へと視線を向けた。




すると昇降口の外の軒下に あの二人が佇んでいた。







傘を広げる途中の黒髪と、その横に並ぶ カーキ色の長い髪。
手には書類を持っている。・・一騎と総士だ。




総士は何か書類を届けにでもいくのか
その手にはプリントの束が見えた。




二人の緊迫した空気がこちらにも伝わってきて、
変な身震いが僕を襲った。でも・・丁度よかった。
気になっていたんだ。−−−仲良しに戻れると、いいな。
ちゃんと話し合えば、きっと分かり合えるよ。



安易な考えが僕の頭に浮かぶ。
願望とは恐ろしいモノだ。




雨に交じって、総士の声が聴こえた。
重たい視線の絡み合いが途絶えた瞬間だった。








「・・・いつだったか、お前に渡された手紙・・・僕は読んでいない」









二人を包む静寂に滲む、密かな想いは
相手を今まさに 傷つけようとしていた。










「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、そうか・・・」







諦めに似た笑みが、一騎に零れた。
あんな一騎の表情・・・・・・・・・みたこと、ない。




澄んだ銀色が小さく揺れる。
瞬時に視線が地面に落とされ、細まったのがわかった。
総士は、なにかを言い淀んでいる。





きっと、・・・・・・・一騎を突き放す。
そんな気がした。












「ーーーー捨てたんだ、手紙。
・・・それが僕の応えだと思ってかまわない・・・・」











堕ちていく、声が残酷に響いた。






総士は そのあとの一騎の答えを待たないまま



昇降口から廊下へ足取りを移すと曲がり角に消えていった。














ノイズが、頭にガンガン響く。
雨とわかっているのに、今はノイズにしか聴こえなかった。












一騎は、消え行く総士の背中をずっと見つめて
開きかけた 傘をしまうと、雨の中
傘もささずに ゆっくりと 身を投じた。






一騎の瞳に、涙は見えなかった。
見えなかったけど。





・・・本当は雨の中で泣いているかもしれない。
いや、雨が一騎のかわりに 泣いているのかもしれない。

















チクリ。









あ、・・・まただ。









胸が痛む。








僕はなんだか悔しくて、ぎゅっ、と唇を噛み締めた。








「おまたせ〜〜〜・・」




背後から、暢気な声が聴こえてくる。
肩にずしりと重みがおりて、僕の体重を増やした。
剣司の腕が 肩にかかっている。






「ぉわっ!!!!な、・・どうした、衛?!!!」




急に驚く声が木霊し、鼓膜を微かに震わせた。
僕は剣司に視線を映す。







「何でおまえ、泣いてんだよっ?」







言われて初めて気づく。



ぼろぼろ、と瞳から零れ落ちる涙。
まるで目の前に降り注ぐ、雨のようだ。




視界がどうにも滲んで仕方ない。





ぐっ、と唇をかむ。涙をどうにか止めたかったのに。
上手くいかなかった。堰を切ったように溢れる。

原因が自分自身でもわからない。


ただ、悔しいと思ったら、こんなことになっていた。






「・・・・わかんないっ」





「衛・・?」





「わかんないってば・・!!!」






駄々をこねる子供のように ムキになった声が漏れた。





「はぁ・・・?」




抜けた剣司の声が耳障りだ。







なんでだよ、総士。






僕にはわかんないよ。










なんであんなこと、一騎に言うんだ?








君は一騎を大切にしていた。
あのとき、君が一騎にキスをした瞬間。

夢のように美しかった あの光景を目にしたとき
僕は多分、人知れず 静かに感動していたんだ。



漫画やゲームに出てくるような一場面と
本当に出逢えて、僕は嬉しかった。



本当に ドラマチックな出来事があるんだって思えた。
現実の世界も、捨てたモンじゃない、なんて男なのに思った。




総士、君は僕に夢を見せてくれたのに。










「くそっ、・・・止まれ・・・なみだ、なんて・・・!」





ぐっ、と服の袖で涙を拭うけれど、温かく沁みこんで来る
雫たちは 僕に何だか優しくて

僕はどうにも、収まらない涙を 隠すので精一杯だった。





夢が壊れるって、こういうことなのかな。
理想と現実はやっぱり遠いのかな。




僕は心の中で、総士に呼びかける。
応える返事は、ないけれど・・。










総士。









総士はきっと 今まで 一番欲しいものを
手に入れようとはして来なかったひとなんだね。








だからその手は 何も掴もうとしないんだ。








大切なひとすら、






置き去りにして。









































皆城総士。










君はなんて、寂しいひとなんだろう。

























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青井聖梨です、こんにちは!!
ここまで読んで下さってありがとうございます。

季節を織り成すラブストーリー、第二話は衛視点でした。
如何だったでしょうか?衛にフォーカス当てたの初めてかもしれません。
上手くキャラを掴み切れなかった気がします。すみません・・(汗)

総士と一騎の二人は衛にとっては近寄りがたい存在であり、
二人で一つのような印象なんだろうなぁと思って書いてみました。
そして温厚な衛ですから皆仲良くすることを目指しているんじゃないかと
思いました。密かに二人に憧れに似た感覚を持っていたら、尚良いなぁと
考えて”夢”を二人に重ねて見ていた、という要素も少し入れてみました。

少しでも楽しんで頂ければ、嬉しいです。
それではまた、次回でお会いできることを願って。

青井聖梨 2008・2・7・