今でも夢に見る、あの日の光景。
彼の凛とした姿勢、どこまでも透き通った無垢な瞳。
春の匂い、柔らかな隙間風。穏やかな木漏れ日。

僕の中で未だ止まり続ける、彼との大切な時間。
心だけが取り残され、その瞬間にぼんやりと影を作って
停滞しているーーー届かぬ想い。




日直当番の仕事を終え、帰宅しようと昇降口に足を向けた僕を
待っていたのは 小さい頃からずっと僕が心奪われ続けていた唯一無二の存在である彼、
”真壁一騎”だった。

黒く艶やかな髪を隙間風に掬われて、春の空を仰ぐ君は、凛と静かに佇んでみえた。
丁度、渡り廊下に差し掛かったところ 僕は呼び止められたんだ。
昇降口まで僅か数十メートルというところで 僕の前に現れた君に。
普段あまり話さない僕ら。いつもなら目が合っても 黙ってすれ違う程度だった。
のに、今日に限って 君はすれ違う僕を擦れがちな声で呼び止めた。




「総士・・!」



どこか迷った声。瞳を彼へと合わせ、振り返れば
驚くほど動揺した君がいた。
先ほどの凛とした姿とは明らかに違う、淀み。
それは多分、僕がそうさせているんだと思った。
君をこんな風にさせてしまったのは僕だ。

怯えた身体が、切迫した瞳が 徐々に僕へと近づいてくる。
彼は目の前まで来ると 小さく息を吐いて、意を決した様子で
僕を仰ぎ見たのだった。

それは、さっき僕が目にした春空を仰ぐ君とは
また別の 凛とした透明な瞳を持つ君に出逢えた瞬間だった。


君はそっと僕の目の前に、真っ白な封筒を差し出すと
穏やかで心のこもった声色を虚空に零し、僕を捕らえた。







「これ、・・・・・読んで欲しいんだ」







形の良い滑らかな唇が、そうゆっくりと紡ぎたてる。
僕は唐突の接触に、少なからず戸惑ってはいたけれど
久しぶりに一騎から話しかけられたという事実にどこか
気持ちが舞い上がっていたせいか、よく考えもせずに それを素直に受け取った。

一騎は受け取ってもらえたことに安堵したのか、薄っすらと微笑を零すと
僕に一言 こういった。








「待ってるから・・」









柔らかい彼の声音が、今も僕の心に波紋を描く。
あのときの、君の言葉が忘れられない。


すぐにでも 手紙の封をきって、読むべきだったのかもしれない。
そうすれば僕も一騎も こんな風に苦しまずに済んだのかもしれない。
けれど、あのときの僕は 心の準備が出来ていなくて、家に帰って
気持ちを整理してから読もうと思ったんだ。この手紙は、君と僕を繋いでくれる
唯一のきっかけになると僕は確信していた。だから大切にしようと思ったんだ。

なのに、あの選択が間違っていたなんて。
・・・いや、あの瞬間が 僕らの関係を決める 運命の分岐点だったなんて
知る由もなかった。誰が想像できただろう?



もし、もう一度過去をやり直せる魔法の時計があるとしたら
僕は迷わず あの日の放課後を選ぶだろう。




日直当番が終わって、君から手紙を受け取って
僕はその場で君の手紙を読む。そして・・・僕らはハッピーエンドを迎える。
物語としては 面白みがないかもしれないけれど、当人同士が幸せになれるのなら
それでいいと僕は思う。平凡だけど、優しい幸福な結末が一番 人の心をうつと僕は
知っているから。だから、そんな結末を 僕は望んでいたというのにーーーー。



何故、あの日 手紙の封を切らずに 帰宅し、参考書を借りるために
父の書斎へ気の向くまま 足を踏み入れてしまったのか自分でもわからない・・けれど。

これだけはわかる。





僕に待っていたのは、優しい物語の結末なんかじゃなくて
厳しい島の現実だということだけはーーーー・・・・あのとき
どんなに絶望に打ちのめされても、ぼんやりとした頭の片隅で理解できたんだ。












その日、僕は 手紙の封を切る勇気と










君との未来を諦めて







大人になる決心を、

















・・・・独りで、決めた。















涙すら、出ない。















ただ、自分の運命が ・・・悲しい。














君への想いで、胸が苦しい・・・・・


















苦しいよ。














ーーーーーーーーーーーー瞬間(いま)も・・・
















+++



















ひらひら、ひらひら・・・



まるで瞬きを忘れたように その光景を
瞳の奥へと焼き付ける。


薄桃色の花弁が 彼の頭上から真下へと降下していく様は
どこか物悲しくもあり、儚くもあった。
今すぐにでも 消えてしまいそうなその存在に
僕は何度触れたいと焦がれ、手を伸ばしかけただろう。

けれど、その手はいつもガラスに阻まれて 彼の場所まで届かない。
指先が触れるガラス窓の感覚が、教える。
冷たい温もりと 決して手に入ることの無い”一番大切な人”の存在を。
次第に曇っていくガラス窓の内側で 密かに見つめ続ける僕という人間。
なんて愚かなんだろうと心の中でいつも蔑んだ。

欲しいと言えないくせに。
彼をいつまでも桜の木に縛り付けて
それを自分は遠くからずっと見続けるだけ。

廊下の窓ガラスに 指先を這わせて、停滞していく彼の時間を
見守っては 突き放してーーーーー・・。

彼自身を手に入れられない代わりに せめて彼の時間が欲しいと
何も答えを出さないまま あの桜の木の下で彼をずっと待たせて
密かに僕はーーーーー喜んでいる。





なんて浅ましい感情なのだろう。
何時から僕は、こんな風に成り下がった・・・?





しん、と静まり返った放課後の図書室。
日常に疲れた心を よく独りで癒しに行った ーーーー僕のお気に入りの場所。
心の拠り所が無かった僕の唯一落ち着ける場所。隅の窓際に並んでいる椅子へ
腰掛けて 他愛の無い平凡な物語を読むことが 僕のストレス解消法だった。

不思議とこの瞬間だけは、心穏やかに過ごせる。
閉鎖的な空間に閉じこもることで 自分を保とうと必死だった気がする。
そうしなければ、今にも壊れてしまいそうで・・・彼に縋ってしまいそうで
怖かったから。だから 僕は人がいない場所を好んで選んでいたんだ。


図書室の窓から見える風景は すべて非現実的にみえて
楽だった。ここには自分を知る者がいない。そう錯覚できた。
グラウンドの桜の木は ここからは見えない。一騎が僕をずっと待っている姿を
この場所で見たくはなかった。

本当はその姿が好きで、望んでいるからこそ
中途半端な期待を持たせたまま 一騎を待たせている現実の自分。
でもここには誰もいない。・・・ここは世界から切り離されている場所。
独りでいられる場所。だから現実の自分じゃなくてもいられるんだ。
そう思ったら、ここでなら 綺麗な自分のまま・・・理想の自分でいられる気がして、
安心した。ここで読む本のどれもに夢や希望が詰まっている。
それならば。それならば・・自分も物語のように 幸せを願っていいのでは
ないかと思えてくる。−−−−・・・一騎と、寄り添いあいたいと・・・
純粋に・・・ただ、直向に・・・綺麗な気持ちのまま 彼を愛していいんじゃないかと思えてくる。

だからこの場所から 桜の木が見えなくてよかった。
現実世界が垣間見える対象物は ここにはいらない。
この場所だけは、僕の心の平穏と夢が生き続けているんだ。








中学1年だった あの頃。
僕は見えない敵と必死に戦いながら 日々を過ごしていた。

島の抱えきれない真実と自分の使命に眩暈がした。
父からの重圧と平凡だった頃の自分の記憶に頭が痛かった。
偽物の日常生活と一騎への想いに胸が潰れそうだった。

耐えて、耐えて、募っていく茫漠な感情の渦は
いつか自分を殺していくと僕は知っていた。

知っていたからこそ、彼が必要だった。
・・・知っていたからこそ、彼を突き放した。
自分の中に生じる 大きな矛盾。


一騎の傍にいたい。
でも傍にいたら必ず彼を苦しめる。

一騎が好きだ。支えて欲しい。
けど好きだと伝えてなんになる?
彼を巻き込むだけだろう。


行きたい、一騎が待つあの場所に。
桜の木の下で彼への想いを伝えたい。
ーー駄目だ、行けない。行っちゃ行けない。
行けば僕は必ず一騎に縋りつく。一騎にこんな酷な真実を
僕のように背負わせるのか。痛みを、犠牲を、強いるというのか。


駄目だ・・・・そんなことできない。
僕は、−−−−僕は彼を愛してる。
出来るわけがない・・・そんなこと。愛するなら、苦しめてはいけない。
同じ痛みを感じさせる必要なんて無い。





一騎には・・・・笑っていて欲しい。


愛してるから行きたくて、
愛してるから・・行けなくて・・・
頭は行くなといいながら、体は行きたいと主張し始める。



ぼんやりと、外を眺める癖がいつの間にかついてしまった。
矛盾の先に待つのは 絶対的な肯定。
僕は桜の花に紛れて 淡く立つ存在に心奪われながら
いつまでも 彼がそのままでいればいいのに と願ってしまう自分に落胆した。

愛してるから縛る。愛してるから解放する。
解放しろと頭は云う。なのに体は今のまま縛っておけと 現状を持続させようと動かない。



廊下にぼんやりと立ちながら、彼をずっと遠巻きに見つめる。
あの頃。僕は見えない敵と戦っていた。











不意に、透き通った声が微かに耳へと届く。











「・・・・・・・なにを見てるの?」








声のするほうへと視線を向ければ、そこに佇んでいたのは
苦悶の表情を浮かべる女子生徒がひとり。顔なじみの、彼女。
遠見真矢。




「・・・・・・・・・・・別に」




視線を逸らして 彼女の方ではなく、反対の方向へと僕は向いた。
彼女と話すのが、辛い。
・・・すべてを見透かすような彼女の瞳が 僕には負担だったからだ。


一騎を想い続けている彼女がいうことなど察しがつく。



「・・・・・・・・・・一騎くん、ずっと待ってるよ。
皆城くんも知ってるんでしょ・・・・?」



羨ましかった。そんな綺麗な瞳を一騎に向けられることが。
素直に自分の気持ちを偽らない 彼女の姿勢が。
・・・・・眩しすぎて、辛かった。


「ーーーーーーーーーーー・・何故、そんなことを僕に訊く?」



痛みに耐え、冷淡な声を作ることになれ始めていた僕と
真っ直ぐ素直な声で痛みを訴える彼女。
真逆の僕らが話し合ったところで 理解なんてし合えるはずは無くて・・
僕は、自分の気持ちを誤魔化すのに必死だった。



「今・・・・・・・・・皆城くん、見てたじゃない。
グラウンドの桜の木の下で ずっと待ってる一騎くんを・・・見てたじゃない・・」




溢れそうな想いを抑えるためには、そうするしかなかった。




僕は、・・・”大人”にならなければならなかった。
この島の子供の誰よりも先に。
振り返る事無く、ただ自分の使命だけを見つめてーーーーーーー。







「見ていない・・・・・」





刹那、僕の零した言葉に 彼女は怒りを覚えたのか
背後から僕の正面に回りこんで叫んだ。




「皆城くん・・・一騎くんは・・・・・っ、」




が。そこまで彼女はいいかけて、言葉を詰まらせる。






「見ていなかったことに・・・・・してくれないか・・?」






僕の発した声が、表情が・・・あまりに脆くみえたのかもしれない。
あのとき、 彼女の瞳がみるみるうちに透明なものへと変わっていく様を見つめて
僕は、一瞬だけ 感じ取ったのだ。












彼女もまた、僕と同じ



報われない想いに 胸を震わせているのだと・・・・・









+++













季節も、人も・・・変わっていく それは万物全てのことに云える事。

左目の傷が僕を僕にしてくれたように
左目を傷つけた君が君を今の君にしてしまった。

変わっていく、季節も・・変わっていく・・・人が人を思う、想いも。
そして僕らの関係もーーー昔とは全然違う。変わってしまったんだ。



悲しいけれど、人は沢山の情報と環境から新たに作られる。
本質は変わらなくても 状況が人を変えていく。
昔のように僕らはもう、笑い合えない。僕が君を愛したそのときから
君を突き放したそのときから・・僕らの距離は もう戻らないと確信してしまったから。

悲しいけれど、僕達は この物語みたいに幸せにはなれない。




いつもの場所。いつもの片隅。窓の枠に頬杖をつきながら
ふと手にとった童話を僕は目を細めて眺めていた。

外はうだるような暑さ。夏の強い日差しが反射して
閉鎖されたこの空間にまで届く。

童話の内容は”眠り姫”。
パラパラと幾つかめくって、最後のシーンに行き当たる。
王子が未だ眠る姫に口づけをして、姫が目を醒ますシーン。そして
二人は末永く幸せに暮らしたーーーという締めくくりで 物語は終わる。


苦難にぶち当たりながらも、前へ進み 彼女を手に入れる物語の王子。
憧れと絶望を僕はこの童話に重ねて感じ取ったのだった。

自分もこうなりたいと感じる一方で 絶対に叶うはずのない夢を思い描いた自分。
乗り越えられる障害ならば、幾らだって頑張れるのに。
見えない未来の足先に服の裾を踏まれているようだった。
動けば、破ける。動かなければ 捉まってしまう暗い未来に
僕はどうすることもできずにいた。

変わっていくものすべてに、僕は・・・呑み込まれていく感覚を覚えて、
ぞっとした。いつか、この平穏な日常も・・・・変わっていくはずなのだ。

まだ見たこともない敵によってーーーーーーーー。




黒く、渦を巻いた感情が湧き出てきて・・・堪らず僕は図書室から飛び出した。
脈動が背筋を震わせ、意識が劣化していく。
がちがちと手に力が籠り、息苦しさに胸が圧迫される。
夏の熱気が、身体から汗を滴り落とし、じわじわと上がる温度に表情を強張らせた。

僕はとりあえず落ち着こうと水道場にやってきて、蛇口を捻った。
生ぬるい水が勢いよく溢れ、透明な雫を排水溝に巻き込んでは吸い取っていった。
その様をぼぉっ、と見つめつつ 僕は軽く水を口に含んで飲み干した。蛇口を捻り、水を止める。
ハンドタオルで汗や水を拭き取って 深呼吸を何度か試した。


外の景色を窓越しに覗けば、木漏れ日がゆらゆらと影を作りながら光り、
蝉の声が渡り廊下付近から聴こえてきた。
光と影のコントラストに視線を奪われつつ、夏の熱気を肌で感じ取った僕は 
図書室での休憩を終わりにして 教室で完成間近のL計画プロジェクトの資料作成を
引き続き行おうと 足を進めた。  そんなときーーーーーーーーー。






日差しが手招きするかのように、僕の瞳にきつく映って
僕はその眩しさに 一瞬視界を奪われた。瞬間。


遠くから 蝉の声に混じって 声が、響いてきたんだ。





「かずきぃーーーーーー!!」







聞き覚えのある声に 僕は視線を合わせる。



すると、そこには衛の後姿が見えた。
僕は渡り廊下の方へ向かい、衛が呼びかけた相手へと
今度は焦点をあわせた。が、その先に佇んでいた少年の姿を見るや否や
僕は 大きく後悔をすることになる。 まるで蜃気楼のような彼の姿に 消えそうな儚さを痛感して
僕は思わず手を伸ばしかけてしまいそうになったのだ。こんな暑い日に、わざわざ学校までやって来て
桜の木の下、僕を未だ彼は待ち続けているなんてーーーー。

桜はもう、とっくに散ったというのに。
お前の心の中にはまだ、僕という存在が花を咲かせているのだろうか。
・・都合のいい考えがいちいち浮かんできて、嫌になる。


自嘲気味な笑みを浮かべて遠くにいる彼の姿を目を細めて見つめれば
ぐらり、と大きく一瞬彼は揺れて スローモーションのように地面へと倒れこむ様子が
僕の瞳の奥底まで届いてきた。




「か、・・・かずきっ?!!!」




衛の驚愕した声がグラウンドの地に響き渡る。



手を、・・・・・手をーーーーーー僕は、伸ばす。



今、僕の前にはガラスなんてない。
邪魔するものは、何もない。今、手を伸ばせば 僕は彼に触れられる。
近くに寄れば 彼に・・・・・。







考える前に、足が勝手に動いた。
日差しの熱を吸い込んだグラウンドの砂が、蹴り上げるたび舞い上がる。
はぁはぁ、と息が次第に上がって 体を大きく躍動させながら彼に一秒でも
早く触れたくて 走る自分の姿がそこにある。

耳を掠める風の音。周囲の雑音。その中に衛の声が交じっていたけれど
今は目前に倒れる人へ意識が集中していて、何を云われたか理解することに
時間を費やしたくは無かった。

ただ、そこに伏せる彼へと自分の手が伸びる瞬間を夢見て、ただ 踏み出した。
眼下に倒れる彼の傍へと近づく。手を、腕を目一杯に伸ばしてみる。


すると、懐かしい彼の甘い匂いが鼻を掠めて 柔らかい指先の感覚が
伝わってきた。さらさらの黒髪。華奢な身体。抱き起こしてみる。
瞳を閉じる一騎の姿が正面に入ってくる。



「一騎・・・・!一騎ーーーっ・・!」



軽く頬を叩き、意識確認を試みる。が、呼吸を早くするばかりで返答はない。
額に手を添えるとわかる、体温の高い彼。乾いた唇から 疼くほど艶めいた荒い呼吸が聞こえて
思わず息を呑む。時計を見ながら脈を計り、彼の状態を把握する。
おそらく脱水症状か軽度の熱中症かもしれない。


僕は久しぶりに触れた彼に酔いしれながらも 焦燥と不安を胸に
彼を抱きかかえて、振り返った。そして、保健室の方へと走り出す。

途中 呆然として立っている衛を目の端に映した僕は


「衛!!!弓子先生探して来い!!!!」



と彼へと促した。衛はびくん、と大きく体を揺らして反応し、
おどおどした返事を僕に返したのだった。










































近くで。
・・・・・こんなに近くで見る君は、本当に久しぶりだった。


瞳を閉じ、深く眠る姫君のようだとさえ、思った。




艶やかな黒髪がベッドシーツに散らばっていた。
華奢な身体。抱きしめたら折れてしまいそうだ。
乾いた唇。呼吸の音が聞こえる。
閉じられた瞳。長いまつげが窓越しに入ってきた隙間風に揺らされる。
近くで風鈴の音と冷凍庫で氷が作られた音が響いてきた。



ありふれた日常の中に、今は僕と君だけ。


白いカーテンが揺ら揺らと揺れながら 僕たち二人を世界から
隠してくれているようだった。

さっきまで読んでいた、童話を思い出す。






あらゆる困難を乗り越え、王子は姫君のもとまで辿り着く。
そしてラストはーーー幸せな、・・・未来がーー。






「・・・・・たしか、こんな感じ・・だっただろうか・・・」





僕は口から言の葉を小さく零しながら 一騎の手をキュッと握り締めた。
触れ合うその掌が熱を持ち始め、感情を止め処なく揺らす。
童話に描かれたイラストと同じポーズをとってみる。
すこしでも、あの二人のように 幸せに近づきたくて。




「僕らが・・・・幸せになれるなんて保障はない。だがーーー、」




一騎に近づいて、耳元でそっと囁いて・・・握り締めた手に更に力を込めて。
僕は、・・・”それでも”と想う。



”それでもいいから”、と願う。














「好きなんだ・・・・・・お前のことが
どうしてもーーーー好きなんだよ・・・、」










声が泣いていたかもしれない。
擦れて消えていくのが早かったかもしれない。

それでも、初めて言葉にした想い。
感情が溢れ出して 止まらなかった。





唇を、寄せる。




乾いた唇。でもーーー柔らかい感触。
優しい感覚・・・。





最初で、最後の 愛の印。







いつまでも触れていたい、彼の唇。
あぁ、君はなんて甘い唇なのだろう。

触れて、焦がれて、求めて それでも尚。





広がり逝く、この想いは


炎天下の中 掴んだ 僕だけの蜃気楼に似ていて








”消えないでくれ”と何度も心の奥で祈った。











+++
























空想の中で、幾度想像したか わからない。
彼がもし、僕を好きでいてくれたのなら・・なんて僕は返事をするだろうと。
想像するだけで 幸せだった。




あれは中学2年の夏の終わり。
夏休み一日を返上して 生徒会予算会議が行われた日。
僕より早く既に生徒会室へと到着していた生徒が一人、
ぼんやりと窓の外を眺めて 潮風に当たっていた。


将陵僚。僕より一つ年上の先輩。
彼もまた大人になることを決めた子供のひとり。
L計画参加志願者。生徒会の・・会長だ。


優しく、穏やかな性格の将陵先輩が、この日は酷く感情的に見えた。
いつになく焦っているように思えた。
僕に、何かを伝えようと必死だった気がする。





将陵先輩は、桜の木の下でずっと誰かを待っていた一騎を
見つめていた一人なのだと、この日僕は初めて知った。





知らなかった。
僕以外にも、桜の木の下で待つ一騎を
見守っていた人がいたなんて。


遠見とはまた違う立場で 先輩は 僕に、云ったんだ。





「・・・・おまえ、本当は知っているんじゃないのか?」






「ーー・・・・・・・」






「一騎は罪悪感や責任感で人を愛せるほど器用な人間じゃないってこと。
ーーー気づいてるんじゃないのか?」








「ーーーーー・・・・・・・・・それ、は」









わかってる。これは僕のおごりだってことくらい
わかっているさ。




でも駄目なんだ。
一騎の気持ちを受け止めてしまったら、今までどおりじゃいられなくなる。

一騎に、”大人になる”ことを強いることになるかもしれない。
変わらないままが一番の幸せなんだ。


一騎がもし僕のことを好きだとしても。
だからって何ら変わりないといえるままが一番善いという事を
僕は知っている。



一騎の気持ちを知りながら、何でもないという顔を演じ切ることで
僕は彼の平穏を守ろうとしているのに。


実際、本当に桜の木の下で彼に想いを告げられたら
僕は多分、絶対、平気でいられなくなる。

彼に支えて欲しいと想い、縋りついて、巻き込んで・・一騎を傷つける。
目に見えて 堕落した未来が待っている。



だからこそ 僕は一騎の想いを否定するんだ。
左目の傷を理由にして 彼の想いを信じない。受け止めない。
信じたら、そこで終わる。 






「あてもなく、ずっと待ち続けていた あいつの気持ちは・・
本当に”気の迷い”で片付けられるようなものなのか?」







「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」










一騎の”今在る幸せ”を

僕は守りたい。







「・・・・・・総士、もう一度言うぞ。
逃げてないか?お前」









「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」







守りたいんだ。








「・・・・・逃げるなよ。この島が楽園じゃなくなるのなら、
ーー総士、お前がお前で失くなるのなら・・余計もっと今を大事にしなきゃ
いけないんじゃないのか?」







「・・・・・・・・・・・・・・・ーーーーー」










将陵先輩、すみません。
そしてありがとう。







貴方は僕に







「拒絶だけが・・・・優しさじゃない。・・・・・・・・今を大事にするって、
今を生きるって・・・・そういうことだろ?」















”今を生きろ”と伝える一方で










『お前は独りじゃない』
と、教えてくれているんですね。














僕達の幸せを、願ってくれているんですね・・・
















「ーーーーーーーーー失礼、します・・・」











ありがとう、将陵先輩。






大丈夫です。僕はもう、気づいていますから。









一騎から貰った手紙をお守りにしたときから
ちゃんと知っていますから。







僕は独りじゃない。
だからこそ 僕は未だ独りでいることに苦痛を感じているのだと。
一緒にいてくれる対象者が存在しなければ こんな概念が生まれることなど
無いのだと。僕はちゃんと知っています。




独りでいたくない。
傍にいて欲しい。そう思える相手がいることこそが
今の僕にとっては とても幸福なことだと思えるから。




この心臓(いのち)ごと、全てを彼に捧げられる。
そう思える人に出逢えた幸福が、今の僕を支え、励まし続けているんです。








将陵先輩・・僕は、








充分すぎるほど”今”を大切に生きています。








大切な人が傍にいなくても
彼との思い出が、彼の残像が 僕の中で淡く輝き続ける限り


僕は生きていける。

戦い続けることが、ーーーーーできる。

















将陵先輩。




淋しくても、

僕は幸せです。
















+++








































『ぅわ〜〜〜〜〜ぁぁ・・・・・っ、・・・・!』





傍らにいる君が、感嘆の声を辺りに響かせては
瞳を輝かせる。




『凄い!すっごく綺麗だね、総士!!夕日が海に映ってきらきらしてるよ!!』




『うん、そうだね』





あれは春の終わり。
まだ無邪気さが残る、幼い日の僕ら。
二人だけの 大切な時間。僕にとっての大事な思い出。






『桜散っちゃってさ・・ちょっと寂しい景色だなって、さっきまで想ってたけど・・総士が
教えてくれた景色はすっごく綺麗だね!!感動しちゃったぁ・・・』





まだ左目に傷の無い僕と
左目を傷つけていない君。

いつも傍にいた、二人。





『桜はいつか散ってしまうし、季節はいつだって移り変わるし、
・・多分 この町並みも いつかは変わっていってしまうかもしれないね』







『・・・・・・・・・・そう、なんだ』






傷ついた声で 必死に悲しみを押し隠す一騎。
愛しくて、大切で・・僕はその肌理細やかな髪を丁寧に撫でる。
君は瞳を見る見る美しい色へと変化させていって
僕の胸を焦がした。





恋心はもう、この頃から芽吹いていたんだ。







『だから一騎。僕達は・・変わらないで居よう』









それは願い。僕の願望。






『え・・・・?』





二人だけの誓約が欲しかった。








『たとえこの先 どんな事が僕達に待ち構えていようと
僕達は・・・僕達だけは 変わらないで居よう』







君といつまででも繋がっていられる証が欲しかった。





『総士・・・・』









『たとえ離れ離れになっても・・・一緒にいられない日が来ても、
僕ら繋がっていられる。−−−今日のこの景色を思い出してくれれば
僕ら いつまででも一緒に繋がっていられるんだ』







言葉でしか、この頃はまだ表すことができなかったけれど。
それでも、君と一緒にいたかったから。




『ーーーーーーーー・・・ほんとう、に?』







精一杯の僕の告白だった。





 『うん。ほんとだよ!だって、この夕日が覚えててくれる』











芽吹いた恋心を失いたくはなかった。







『ーーーーーー・・何を?』





二人の未来を




『僕らがこうして一緒にいた瞬間をさ!』





信じたかった。




『お日様が・・・?』






色褪せる事無く



『そうだよ』






この想いを


『ーーーそれ、本当に、ほんとう?』







抱き続けていたかったから・・



『あぁ!本当。−−・・知らないのか、一騎?』










君を



『え・・・・?』
























『あの夕日は、僕達のために
いつだって輝いてるんだ』













愛し続けていたかったからーーーーーーーーーーー。

































「ーーーー、っ・・・ん?」




ふと、気づかぬうちに夕日のオレンジが瞳の奥に入り込んでくる。
いつもの場所。いつもの席。いつものように、本に埋もれる。

図書室の奥の暗がりの棚付近。
僕は椅子に寄りかかっていた体重を正常に戻し、
近くで揺れる白いカーテンの向こうに広がる 窓の外の景色を見つめた。
辺りはオレンジ色に染まり、下校を始める生徒達がまばらに姿を見せていた。
野球部もどうやら帰り支度を始めたらしい。

冬の季節は日が落ちるのが早い。運動場にライトがついていない
うちの学校ではナイターで練習することは難しいため 日の落ちる時間と共に
部活動が終わることが多かった。


僕は自分が長い時間 ここでうたた寝をしていたことに気づくと
苦笑を漏らしながら、抱きかかえていた本を見やる。
本は丁度クライマックスを迎えていたのだった。


「・・・懐かしい夢をみた。君達のおかげだな」



僕は その本の最後のページをゆっくりとめくり、最後の文面を
頭の中に浸透させていった。そして、物語の二人を 空想の中で思い描く。

隣同士の家に住む、幼馴染の男女。いつでも、どんなときでも一緒にいた二人。
同じ中学に通い、幸せな時間を過ごす二人。互いの進路に悩み、親と衝突し、
それでも大人の階段をゆっくりと二人で駆け上がっていく恋愛小説。
恋愛・友情を噛み締め、青春を謳歌していく二人の姿は 僕にとっては少し眩しくもあり、
憧れでもあった。こんな風な時を僕も過ごしてみたいと思わせる内容だった。


ラストシーン。二人は小高い丘で、結婚の約束をして終わる。
密かに用意していた玩具の指輪を 二人で夕空の下、交換し合うんだ。



似ても似つかない僕らかもしれない。
けれど、遠い昔 確かに自分も彼らのように誓いを立てた。
夕日に見守られながら 互いの変わらぬ繋がりを確かにそのとき
未来へと信じ、一緒に居ようと 想いを馳せた。


この本の影響なのだろう。随分思い出すことの無かった想い出が
夢へ鮮明に投影されていた。忘れるはずも無い、ずっと抱え続けてきた
大切な思い出。久しぶりに 穏やかな夢と温かな本に出逢えた気がして、
胸が熱くなる。





「幸せそうだ・・・・」







思わず微笑みが零れてしまった。
酷く優しい夢に満たされて。
物語の二人が、本当に幸せそうで。
自分の声が、さらさらと光に溶けていくのがわかる。



温かい想いに包まれながら、僕は静かに その本を閉じると
もとあった場所へと本を返した。







いつか。・・・いつの日か。
自分も物語の彼らのように、大切な人と生涯寄り添って
生きられる日々を手に入れることができるだろうか。

充分すぎるほどの幸せを抱いているはずなのに、
自分はまだ もっと沢山の幸せを望んでいる。
矛盾している。そして自分の欲求に呆れてしまう。

僕は底なしの欲望に胸をつまらせて、浅い息をひとつ、零した。





ゆっくりと、窓の外へと視線を映す。




オレンジ色の淡い光が空から降り注ぎ、校舎や窓ガラスを
キラキラと反射させて 照り輝く様は どこか懐かしいあの日の夕日を
思い出させてくれているようで 一瞬眩しさで目が眩んだ。


不意に、光の中に 君の面影を見つける。
眩しくて、綺麗で、胸の奥が微かに震えた。








「・・・・一騎」




ポツリ、と僕が零した君の名前が
空気に溶けて 散らばったとき 僕は気づく。











あの頃 抱えていた僕の想いは 今もこの胸に
変わる事無く 芽吹いているのだと。








・・この夕空に浮かぶ 夕日はまだ














僕達のために輝き続けてくれているのだと。














+++

























中学3年、晩夏。




















深層

〜6メートル〜




























「総士・・・!」








声が。遠くで、君の声が聴こえる。
蝉の声に混じって、校庭のスプリンクラーの音に混じって
グラウンドのはしゃぐ生徒達の話し声に混じって。君の、声が耳の奥に響く。



僕はゆっくりと振り返った。
夏の暑さからくる汗ではなく、
感じたことの無い緊張感から来る汗を一滴、流しながら。
視界の先に 君を探す。

夏休み後半、麗らかな午後。
誰もいないであろう廊下に。君は影の中に潜んで
ゆっくりとこちらに近づいてくる。僕は生徒会のプリントを抱えたまま
その場を動くことができなかった。まるで金縛りにでもあったみたいだと思う。
君の透き通った肌が、一歩ずつ近づく。揺れる黒髪のさらさらした音までもが聴こえてくるようだ。
大きな栗色の双眸が僕を真っ直ぐに見つめて 離さない。久しぶりにまともに視界に映した君の姿に
思わず僕は息を呑んだ。優美且つ繊細な雰囲気を纏い、華奢な身体が熱を放つ。
透明な瞳が風に揺れて 僕を見つめる。心臓が早鐘のようだった。

そして。静寂の中、ゆっくりと君の唇が開く。
僕の正面に立った君は、花のように甘い匂いを漂わせて
むせ返る 夏の暑さすら押し退けてーーーー僕へと手を、伸ばす。






「これ・・・・・・・読んで欲しいんだ」






一瞬、夢だと思った。
何度も夢に見る 還りたかったあの日。
これは現実なのか、わからずに 僕は伸ばされた手の先に視線を落とす。


白い、封筒。
同じだ。あのときと・・・。



未だ読めず、開ける事すらしなかった あの手紙と
まるで一緒の姿の封筒。

今では手帳に挟んでお守りにしている、あの手紙と一緒の・・。





「こ、・・・・れは?」



声が思わず強張った。
あまりにもあのとき と似すぎていて 現実かどうか確かめたかった。
一騎は 僕の言葉に ふっ、と小さく微笑みを浮かべると
抱えていた生徒会のプリントの上にそっと、その手紙を置いて、云った。






「待ってるから・・・」










あのときと、同じ言葉。



僕は全身が硬直していく感覚に苛まれた。
身動き一つ出来ず、ただ目の前の彼の真意を窺う。
呆然としている僕に気を取られることなく 一騎は踵を返して すぐさま
その場を去っていく。小さくなっていく後姿を食入るように眺めながら
僕はその場に立ち尽くすことしかできなかった。





二通目の一騎からの手紙。
僕は封を開けることができるだろうか?





自問自答して、置かれたプリントの上にある白い封筒に
視線を合わせる。





生徒会のプリントの上にひとつ、手紙が乗っかっただけだというのに










手紙ひとつの重さに 僕は手ではなく
思わず胸を震わせたのだった。









+++














何度もやり直したいと思った瞬間がある。
それはあの日の放課後。君から貰った手紙を開かなかった、あの日。


僕は後悔した。
あの日を境に、僕は変わっていったんだ。
運命も、宿命も、すべてを受け入れて ただ前だけを見つめて。


だから今度は、今度だけはーーーーーーーーー




自分のために、僕はこの瞬間を、・・・・・生きたい。

















真っ赤な夕焼けが校舎とグラウンドを染め上げて、潮風を
どこからか運んできている。
窓の外では まだ部活動の生徒たちが熱心にスポーツへと打ち込む
姿が幾つか見受けられた。僕はそんな彼らを横目に 生徒会室から
グラウンドの端にある 大きな桜の木を見つめていた。


二年前、そこにまだいた彼の姿を思い出す。
凛と美しく、そして密やかに 君はただ前を見つめて
僕を待ってくれていた。



日が落ちかけていても、まだ教室に籠る熱気を肌で感じて、
僕はあの夏よりも今この瞬間の方が暑いと覚えていた感覚で察した。
暦の上ではもうすぐ秋だというのに、まだこんなにも根強く残っている夏。
おそらく、今年は夏が来るのが遅かったのだろう。



「・・・・晩夏、か」









僕はぼそり、と呟いて ゆっくりと瞳を閉じた。


窓越しに頬杖を付いて 通り過ぎる風を全身で受け止めて。
香る夏の青くささに いつかの思い出を重ねる。
目を閉じていても わかる、夕焼けの眩しさ。

記憶の奥に眠るのは いつだって君との思い出ばかり。


遅れた夏のあとでも、必ず秋はやってくる。




それは、・・どんなに僕が待ち合わせ場所に遅れたとしても
君が変わらず待っていてくれるように思えて 少しだけ笑えた。

都合よく解釈する自分に。そして、どこまでも君の愛を
欲しがっている・・・自分に。



自嘲気味な笑いを零して、僕は再び瞳を開いた。
今度こそ、間違えないように。






僕は自分の意志で、未来を選ぶ。









そう決めた瞬間、僕は即座に一騎から貰った二通の手紙を机の上に並べた。
一通目は ずっと開けずにお守りとしてもっていた。
もう一通は先ほど一騎に渡された、手紙。


僕は緊張しつつも、微かに震える手で 一通目を開けることを決めた。
ゆっくりと、白い封筒の端を 丁寧に切り落としていく。


ピリッ・・・ピリッ・・・・



乾いた手紙を破る音と共に 心臓の音が重ねて耳奥から聴こえてきた。
もう、呼吸がうまく出来ない。ずっと開けずに封印してきたその手紙を開く勇気が
自分の中で溶けて無くなってしまった錯覚に陥る。

不安と焦りで 気が立ってくる。
開け終わった封筒の中には、一枚の便箋が入っていた。
僕は指先でそれに触れると 外へと出して 重々しく 折りたためられた
便箋の内容を 静かに、でも緊張しながら瞳へと映したのだった。






その文面をみて、・・・僕の顔は歪む。















『総士へ







話がしたいんだ。






グラウンドの桜の木の下で 来るまで待ってる。




信じて、ずっと 待ってるから。







真壁一騎』
























たった、何行分の内容なのに
胸が、張り裂けそうだった。


一騎はこれだけの文章に どれだけの勇気を篭めてくれたのだろう?
ずっと疎遠だった僕ら。会えば目を逸らす。言葉は愚か、視線すら合わせられなかった
僕らだったのに。”・・・話がしたい。”そう言ってくれた、君の手紙。


僕に近づきたいと示してくれた証。
不器用な言葉だけど、丁寧な字。
変わらない、君の字。



懐かしさと、愛しさで視界が定まらない。
僕はぼやけていく視界を指先で拭い去ると、
唇を強く噛み締めて 新たに今日貰った一騎からの二通目の手紙に手をかけた。



カサカサ、と音を立てる真新しい手紙の匂いに
息を詰まらせながら 僕は二通目の封筒から 同じく折りたたまれた
便箋を取り出して 丁寧に開いていった。



変わらない、君の優しい字。
けれど今度は 書かれている内容が違っていた。
















『総士へ








会いたい。
伝えたいよ、総士。





いつまででも待ってるから、お願いだ。






・・あの日の約束を、思い出して。






おれたち
きっとまだ繋がってる。






だっておれは ・・何ひとつ
昔と変わってなんて いないから。












総士。ただ、お前の傍に
昔みたいに 変わらず居たいと

願ってる。






いつだって 幸せになって欲しいと、

・・祈ってる。









会いに来て、総士。

ちゃんと話がしたいんだ。








お前のこと、もっと知りたいんだ。

聴いて欲しいことが 沢山あるんだ。








総士とずっと 繋がっていたいんだ。






お願いだ、総士。













あの日の約束を、忘れないで。














おれたちの思い出を、消さないでーーーーー。












真壁一騎』

















「ーーーーーーーーーー・・・、っ」













視界が、ぼんやりと霞む。
世界がゆっくりと歪んで 止まっていた僕の時間が
思い出したように 動き出す。








覚えていてくれた。
あの夕空の下の誓いを。





変わらずにいてくれた。
今日まで 僕を想い続けてくれていた君。





変わらない、あの日の笑顔が
手紙の向こう側に 見える。








流れ落ちる、行く筋もの涙が 頬を伝って、
紙面に落ちる。幾つもシミを作っては 滲んでいく文字を
僕の瞳に焼きつけて 胸を熱く焦がしていく。









「僕だって・・・・・あの日のままだ」










本当は何も変わってなんて いない。




ただ、誤魔化すのが上手くなっただけ。





背伸びして、虚勢を張って 
”大人になったフリ”をしていただけ。








変わらず あの日から抱き続けた恋心は
あまりにも大きくなりすぎた。







大きすぎて抱えきれないほど。
抱えていたことすら、わからなくなるほど
僕の中は 君で埋め尽くされてしまったんだ。







あぁ、一騎・・・・・




僕はまだ、間に合うだろうか?
















本当にまだ、君は僕を待ってくれているだろうか?










遅すぎた夏でも 必ず次に秋が来るように












遅すぎた僕にでも
君は変わらず微笑んでくれるだろうか・・















信じることは、時として恐怖を生むけれど
それでも










それでも、ーーー・・僕は



















君との未来(しあわせ)を諦めきれない

















+++



























辿り着いた未来の果てに 僕を待ち続ける どこまでも
透き通った瞳をした 君の姿が見えた。





何も掴んでこなかった僕の手は
今度こそ 君を掴むことが出来るだろうか






・・君は伸ばした僕の手を 掴もうとしてくれるだろうか




































さわさわ、さわさわ と
木々の擦れる音が 耳の奥に残る。


緑の青々とした匂い。夏の風が肌に触る。
蝉の声が、間近に聴こえてくる。


初めて寄った、グラウンドの端にある桜の木。
桜の木の下の陰に 僕は身をそっと寄せて
周囲を大まかに流し見た。




「こんな風に・・・・見えてたんだな」





ここに立って、初めて一騎が見ていた景色を知る。



グラウンドの広さに驚く。桜の木の様子がダイレクトに伝わってきて
自然と一体化した気分になる。

校舎のコントラストが眩しく映る。
渡り廊下が遠くに見える。 水道場の水音が微かに聴こえる。
生徒会室が 瞳の端に入る。 木造校舎の色褪せた色彩が瞳孔に染み渡る。

何もかもが新鮮で、何もかもが裸で眼前に映し出される。


味わったことの無い 高揚感を空気に感じながら
僕は ただ 桜の木の下で 一騎を、待つ。




昨日貰った手紙の答えを
僕は今日 彼に伝えに来た。



本当に彼が 僕をまだ待ってくれているのなら
君は今日、来てくれる。


まだ夏休みだけれど、きっと。








僕は言い知れぬ不安を必死に胸の奥へと押し込めて
微かに生まれた勇気を手探りで奮い立たせていた。
不意に、背後の桜の木が気になって 振り向いてみる。


その立派な生命に思わず圧倒されながら
僕は木の幹へと手を伸ばした。


自然の脈動が指先からじん、と伝わってくるようで心強い。







「二年前、ずっと・・・・
一騎と一緒に居てくれてありがとう」






気づけば そんな言葉が口から零れ落ちていた。





瞬間、ザァァァァーーーーーッ、と
風に大きく揺れる羽音が耳に届く。



まるで”どういたしまして”と返事を返されたようで
どこかくすぐったい。




僕はそっと、その大きな幹に額を寄せると
小さな声で囁いた。








「今度は、・・・・・僕が一騎の傍にいるから
心配しないでくれーーーーーー」





桜の木に、誓う。
たとえ 拒絶されても 受け止めてもらえなくても。




今度は僕が君を追いかける。




待ち続ける番なんだ。













静かに息を細めて、地面に映る木々の陰に
視線を落として 時の流れを見守っていた僕に。










ーーーーーーーーその瞬間は、 訪れる。




















「ーーー、総士・・」














葉擦れの音の中に紛れて響く、
一際 温かい声音がひとつ。






僕はその音に導かれるみたいに
瞳を大きく瞠って 促されるように振り向く。





世界が、止まっている感覚さえ した。







振り向いた、先に 見える 眩しい人の影。









6メートルほど 離れた先に感じる、人のぬくもり。















眩しさに、目を細めた僕。
でもちゃんと 確認したくて 君の名を、呼ぶ。







「・・・・一騎?」






すると、聴こえてくる 彼の、声。










「ーーーーー総士」









光の中から 現れた、黒髪の少年。
美しく、凛とした姿勢。


幸せそうに 微笑んで 僕の名を優しく呼ぶ、君。






一騎が、立っている。
すぐ そこに。





僕の目の前に。











「総士・・・・・」







君が 手を伸ばす。
僕へと 真っ直ぐに。その声は どこか切なさを含んでいて
痛みを知っている響きがした。






伸ばされた、君の手。





僕は揺れる君の栗色の双眸に答えを見つける。











触れてもいいのだ、と。
求めてもいいのだ、と。












ずっと 手の中で握り潰してきた 僕の深層。
6メートル先に見える君の姿が 僕の欠片を拾い集めて
胸の中にしまってくれたように きらきら、と光り輝いては揺れていた。


君が僕に残してくれた 僅かな希望よ。
どうか僕が瞬きをしている間に消えないでくれ。


ずっと君が好きだった。




君に愛されたくて、たまらなかったんだーーーー、






「一騎・・・・、僕は お前をーーーーー」





伸ばされた君の手が消えないようにと
僕は必死で 自らの腕を 伸ばす。


君が一歩、二歩と僕に向かって歩み寄るのと同時に
僕も君との距離をひとつ、またひとつと埋めていく。




届く、もうすぐ。
その先に 二人の未来が待っている。





懸命に伸ばした指先が、擦れ合う。






重なる。





繋がる、二人の想い。




思い出される、二人の約束。










その手を 掴んで、引き寄せる。














思いきり、引き寄せたあと 君は面白いくらい素直に
僕の腕の中へと 胸の中へと 収まった。





きつく、軋むほどに その熱を 肌で感じる。
抱きしめる腕に 力が籠る。
確かめるだけじゃなくて、君を全てのものから奪い去りたくなる。
閉じ込めて、もうどこにも行かなくしたい。



安易な悪意が胸に住みつく。
けれど、そんな悪意を呑みこんでしまう存在が
胸の中で 形を露にしていった。






それは、愛と呼ぶには ・・あまりにも。




















「今よりもっと・・・・・傷つけてしまうかもしれない」







それでも君は、僕の傍にいてくれる事を
選んでくれるだろうか?









「ーー・・・・うん、いいよ」






変わらず、あの夕空の下 寄り添いあった僕らみたいに。







「・・・・・・・・・・・・・・・辛い想いを、させることになる」










「何度だって、話し合えば辛くないよ。
・・・・二人で、乗り越えていけばいい」





僕らは 繋がっていられる?











「ーーーーーー縋りついてしまうかもしれない、・・お前に」












「ーーーーいいよ?・・・・おれが総士のこと こんな風に抱きとめるから」










そういうと一騎はぎゅっ、と僕の背中に腕を回して
脱力していく僕の身体を その華奢な体躯で抱きとめた。

細身の身体のなかに秘められた 力強さが僕を圧倒して
支えてくれている。





僕は、彼から漂う甘い花の香りに埋もれると
ゆっくりと彼の身体を抱きこんだ。

急に力を取り戻した僕の腕に一騎は少し驚いて
ふわっ、と優しく微笑みを浮かべて云った。

















「総士・・辛いときは”辛い”って云っていいんだよ・・。
甘えたいときは 思いっきり甘えればいい」






「一、騎・・・・」






「だって・・・・総士もおれも、まだ子供なんだ。
ーーー二人で、大人になってけばいいんだよ・・・」








「ふたり、・・・・で?」







「うん、・・・・・−−−ふたりで」









君の言葉が 僕の深層まで沁みこんでいく。
ゆっくりと身体を離した僕らは
正面から見つめ合った。



君はいつの間にか笑顔を浮かべながらも
瞳には大粒の涙を湛えて 僕を直向なまでに見上げていた。





瞬きをする度に 零れ落ちそうになる 君の涙を
僕は指先で優しく拭って 困ったように、
でも確かに心の奥底から純粋に小さく微笑んで

君に、届けた。





















「また、あの頃みたいに・・・・
僕の傍で 笑ってくれるか・・・・?」











僕の その言葉に









君は一瞬目を瞠ったあと、
夏の日差しよりも眩しい笑顔で






僕を迎え入れてくれたんだ。











































中学3年、清秋。












深層、





0メートル。





























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どうもこんにちは。青井聖梨です。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございました!
やっと深層シリーズを無事書き終える事ができました。

最終回は総士視点です。
今までにない構成でこのお話は書き進めて
きたのですが、とても書きやすかったです。
新しいことにチャレンジするというのは緊張しますが
新鮮でいいですね!また何かチャレンジできたらいいな、と思っています。

最後のお話は長くなりましたが、少しでも
楽しんで頂けると幸いです。書いていて
一騎と総士が、障害があったとしても互いの傍を選ぶ結末に
辿り着けてほっと一安心しています。二人が二人なりに
不器用でも互いの幸せを掴む物語がまた書けたらいいなと
感じています。どうも、ありがとうございました!!

それでは。


青井聖梨 2008・9・21・

一騎誕生日おめでとう!!!