これが本物の愛じゃないなら




もう一生、愛なんて僕には必要ないだろう






























虚像(レプリカ)は僕に微笑む

〜愛情編〜






















鮮やかな緑の葉が若々しく顔を見せる季節がやって来た。
キラキラと木漏れ日が揺れる、麗らかな午後。
夏の匂いが風に交じって、一騎の鼻先まで届いた。

澄んだ空気に瞳を細めて空を仰げば、雲ひとつない真っ青な空が
頭上に広がっている。陽射しが強い。
腕を額につけて、目元に影を作らなければ 眩しくて何も見えないほどだった。

七月。梅雨が明けて、まだまもないこの時期に
丁度学校の年間予定で当たるのは、期末試験という難問であった。
学生たちは日頃の勉強の成果を如何なく発揮し、一学期の反省と二学期への目標を立てる
良い機会ともいえる、いわば強制自己分析の一種を担う行事だった。


そんな行事の渦中にいる人物。それは当然学生全員であった。
もちろん、一騎や総士も含めて、だ。


一騎は空を見上げながら、学校の正門付近に一人で
佇んでいた。横を通り過ぎる生徒たちの声は明るい。
中には急ぎ足で駆け抜けていく者もいた。

今日は土曜日だ。授業が午前中だけという事も影響して、
皆 色々とこの後予定が入っているのであろう。
一騎も欄外ではなかった。そう、このあと自分はーーーー。


と、考えを巡らせていた そのとき。




「一騎!!」



不意に、擦れた少し低い声に名前を呼ばれた。




声のする方へ振り返ってみると 琥珀の長い髪を
夏風に靡かせながら、颯爽とこちらへ歩み寄る一人の少年の姿が目に留まった。





「総士!」



思わず嬉々とした声が空に漏れてしまう。
一騎は自分の方へ近づいてくる 総士へと距離を縮めて 一歩踏み出した。








「すまない・・・待っただろう?」



申し訳なさそうに眉を寄せる総士。
そんな総士に首を何度も左右に軽く振って、一騎は答えた。



「うんうん。待ってない!全然待ってないよ!!」


明るい調子で答える一騎に、総士は苦笑すると
”本当にすまない”と零して 一騎の黒髪に手を置いた。
そしてゆっくりと総士の手が 髪の流れに従って、なぞる様に動く。

優しく髪を撫でられて、瞬間 一騎はピクッ、と身体を反応させるも
その手の心地よさに我を忘れて 瞳を閉じたのだった。
どうやら総士なりの”謝罪”らしい。

一通り髪を撫で終わった総士は、気持ち良さそうにしている一騎を
見つめると、クスッ、と微笑を漏らして 次の瞬間には 撫でていた手を
一騎の額辺りに移動させた。中指と親指が小気味よく軽快な音を宙に弾いた。


ーーーピンッ!



「いたっ・・・!?」



「さ、もう行くぞ?」



閉じていた一騎の瞳を再び開かせる きっかけとなったのは
総士の他愛ないデコピンであった。
一騎は眉間に当たった衝撃に驚きながらも、自分の目の前で零す
総士の微笑みにつられて 自らも微笑むのだった。


途端、急かすように一騎を促し、総士が前を歩く。
一騎は二、三回 眉間を擦ると 急いで総士の横に並んだ。
上目遣いに覗き込んだ 総士の視線が 自然と自分の方へ向けられ、
一騎は胸が高鳴った。 優しく微笑んでくれる総士が 陽射しより眩しい。
そんな事を思いつつ、一騎は総士の歩調に合わせて 静かに足を進めるのだった。






「総士、お昼・・何がいい?」





暫くして 途切れた会話の途中、一騎がそっと問いかけてきた。
総士は視線だけ一騎に合わせると 不思議そうに言葉を紡いだ。



「昼食?・・お手伝いさんが用意していてくれるだろ?」



「あれ・・・?総士、聞いてなかったのか?朝、皆城さんが言ってたじゃないか。
”お手伝いさんは今日から夏休みに入るから、三日間は家に来ない”って」



「−−−え・・、そうだった、か・・?」


きょとん、とした総士の拍子抜けした表情に
一騎はささやかな可愛さを感じるのだった。
本人には言えないが、普段感じることのない 年相応の妙な幼さが
滲み出ているようだった。



「総士、変なところ抜けてるよなぁ。・・ていうか、朝起きたら ちゃんと意識ある?」


意外にも朝はぼーっとしている総士。
一騎は新たな総士の一面を日毎、垣間見ていた。
新しい総士の表情・仕草・様子を発見する度に 想いは膨らんで
募るばかりだった。

互いの気持ちを認識し合った約一ヶ月前から今まで。
総士の素顔を目にする度に ”好き”が前よりずっと増えていっている。
自分では持て余すほどに、零れそうなくらい 沢山。

一騎は改めて現在の幸せを噛み締めると、横で少し照れくさそうに
表情を作っている総士を柔らかく見つめ続けるのだった。
この幸せがずっと続きますようにーーと。


「朝は低血圧なんだ、仕方ないだろう?」


総士はバツの悪そうな戸惑った瞳で 非難の声をあげると、
自分の髪をクシャッ、とかき上げて 一騎から視線を逸らす。
無造作に掬い上げた琥珀の髪が光に反射して キラキラと水面のように輝きだした。
一騎はその様子を偉観に想いながら、素朴な眩しさに酔いしれていた。

すると、総士が突然声をあげた。
一騎は唐突な声に少しだけ驚いたのだった。



「あ!そうだ・・・父さんも三日間今日から出張らしい」


思い出したように総士が呟けば、
一騎は小首をかしげて聞き返した。





「え?・・でも今朝、そんなこと言ってなかったけど・・」




「ついさっき聞いたんだ。丁度昇降口で鉢合わせになった。
ーーなんでも来年建設予定のクラブハウスについて地方で話し合いが持たれるらしい」


「へぇ?・・そうなんだ。大変なんだな、皆城さん」



「まぁ仕方ないさ。島の代表者だし、そのくらいの時間拘束は仕事範囲内さ」



あっさりとそう答えた総士は、慣れている風であった。
こういうことは どうやら初めてではないらしい。
案外 親の仕事には無関心人間なんだなぁ、と思った一騎は 
総士と自分の家庭環境の違いをまざまざと見せられた気がした。



「なぁ、一騎。それより昼食だが・・」



いきなり話題転換されて、一騎は一瞬動揺したが
総士の明るい声音に触発されると


「うん?」



と知らぬ間に軽快な声色で相槌を打っていた。




「昼食はこのまま食べに行こう!
帰ってすぐ昼食を作るには手間が掛かるし、時間も掛かる」



「いいけど・・・でも、いいのか?」



「あぁ、心配要らないさ。金銭面では融通が利くんだ。
夕食は二人で作ろう。−−−それでいいか?」



柔らかい表情を浮かべつつ、視線をこちらに向けてくる総士の
銀色の双眸が 風に揺れて 一騎の胸に焼きつくようだった。

一騎は 夢にまで見た総士との至福の時間を深層で強烈に感じながら
今にも泣き出しそうなほど、瞳を滲ませた。

けれど、涙を見せるのは恥ずかしくて、懸命に我慢した。
ぐっ、と歯を食いしばり 空を一瞬仰いで 元の視線に戻す。


総士は、一騎の行動に疑問符を浮かべて
食い入るように見つめるばかりだった。

やっと浄化できた涙を悟られないように ごく自然な
風貌を装った一騎は 淡く微笑んで言った。





「二人で作る夕飯、・・楽しみだな!」











紡いだ一騎の言葉に、
今度は総士が淡く微笑む番だった。





夏の風が二人を包み、優しい時を刻んでいた。









+++
















「美味しかったな!あのお店の蕎麦っ!!」






昼食を食べ終えた僕たちは 家に帰ると、夕飯の支度に取り掛かった。
二人の初めての共同作業。何だか胸が密かに弾むようだった。

ジャガイモの皮を起用に剥く一騎とは裏腹に 僕は拙い手で
フライパンに油を注ぎ、軽く肉を炒め始める。




「あぁ。あそこの蕎麦は前々から評判が良くてね。
いつかお前と行こうと思ってたんだ。・・行けてよかったよ」



既に一騎が切ってくれていた玉葱を肉の中に放り込むと
しなるまで、絡ませながら炒めた。
一騎は、僕の言葉に”そっか・・”と恥じらいを見せて小さく微笑んでいた。

横目で一騎の姿を流し見ていた僕は 恥らう一騎にドキッ、と心を
揺さぶられてしまった。結果、惨事が撒き起こる。



「あつッ・・・!!」



「総士!!?」




一騎に気を取られて手元が狂ったせいか、
火に当てていたフライパンのフチに 菜箸を持って肉と玉葱をかき混ぜていた手が
しっかりと触れてしまった。
その痛いまでの熱を僕の手のひらが吸収すると 、即座に衝撃を感覚的に伝達したのだった。


一騎はジャガイモと包丁をまな板の上に置くと 僕の方へ近づいてきた。
心配そうな瞳が 僕の手のひらを覗きこんでくる。
掴んでいたフライパンを放し、早々に火を止めた僕は 自分の手のひらの火傷を
落ち着いた様子で見つめていた。


「早く冷やさないと・・!!」




「あ、・・・あぁ・・・・」



咄嗟に掴まれた僕の右手首は手のひらを上に
台所の水道口下へと滑りこまされた。


勢いよく蛇口を捻る一騎の表情は、真剣そのものだ。
僕は火傷をした張本人だというのに どこか傍観した形でその光景を眺めていた。


蛇口から溢れ出す水の冷たさ。
火傷した部分のジン、とした熱と痛み。
一騎に掴まれた手首の感覚。・・・一騎のぬくもり。

どれもが自分の中で染み渡るように印象的で 感覚的だった。
僕は 真剣な一騎の瞳を覗き見て、少しだけ不謹慎にも 見惚れていた。


栗色の大きな瞳が一点に集中する様は、見ていて気持ちが良い。
そして 斜めに顔を俯かせているせいで、艶やかな黒髪が微かに前へと垂れ下がり、
僕の鼻先まで甘い髪の匂いを漂わせては、 僕の理性を惑わすのだった。

甘い誘惑に眩暈がする。


何を考えているんだ僕は。
変な想いにモヤモヤしつつ、一騎の顔から視線を逸らすと
丁度いい角度の白いうなじが目線の先に留まった。


制服の白いシャツより透き通った珠の肌。
髪が見事に分散されて うなじを見栄えさせる。
ほっそりとした首筋がチラリと顔を覗かせて まるで罠を張っているようだ。




ーーーーーーーーーーーードクン。




脈打つ鼓動。
欲望が止められなかった。


心配してくれている一騎には申し訳ないが、
僕は一騎が放つ色香に中てられていた。

くらくら、する。
情欲が胸を駆け巡り、僕の心臓を破きそうで怖かった。



これ以上は駄目だ。
そう判断した僕は 水の中から右手を曳き、
柔らかに一騎の手を引き剥がした。


「総士・・?」



訝しげに見つめてくる一騎を、微笑んで制した。




「もう大丈夫だ、痛くないよ」





水道の蛇口をキュッ、と締めて
僕は一騎の視線の先に火傷した部分をもってくると
平静を装って言った。




「ほら、赤くなっただけだ。腫れてないし、痛みもひいたよ。
・・心配ないから、料理を続けよう?」



導くように紡いだ言の葉が 一騎の中でどんな響きに変わったか知れない。
けれど一騎は こくり、と深く頷くと 困った顔で微笑んだ。
先ほど居た場所にそそくさと戻る。

包丁とジャガイモを手に持つと、中断していた作業に再び取り掛かっていた。
僕は内心ほっとしていた。
一騎を近くで感じるのは、最近・・・危うい。

というのも、やはり僕が一騎をそういう目で見始めてしまったせいかもしれない。



付き合い始めて約一ヶ月。
初めて他者を愛した僕は、自分の欲望の深さを測りかねていた。

家族愛以外 何も知らなかった僕は この年になって初めて
”初恋”というものを知った。恋愛感情ーーその新しい愛情の一種を手に入れたのだ。

その愛情から教えられた、様々な感覚・欲望。
今まで感じたことのない 疼き、焦燥がそこには隠れていたのだ。



こうして一騎と居ることは とても幸福で、充実している。
離れているだけで 苦しくて、息がつまる。


だから出来るだけ一緒にいられたらいい、と思う。



でも最近、一緒にいるだけでは・・どこか物足りなくなってきている自分がいる。
幸せなのに。充分なのに。−−−−それだけではない、何かが生まれている。



そんな自分に戸惑いつつ、日々をやり過ごしてきた僕だけど。
ここに来て、はっきりと自覚してしまう。





僕は一騎を・・・・不純な目で見つめている、と。







前兆はあった。
衣替えで、制服が夏使用に変わり 
普段より露になった一騎の素肌を見たとき、
異常な胸の動悸を感じたのを覚えている。


そして、この”夏”だからこそ引き起こす
自然現象が 何故か僕の目に留まってしまった。

ーーーーーーーーーーーーーーーー汗、だ・・・。


今まではそんな風に見えなかった。
なのに 暑さで自然と流れ落ちる一騎の汗が
妙に艶かしく僕に映って仕方がない。

暑さで顔を上気させた姿。行く筋も流れ落ちる汗。
その扇情的ともいえる風姿は 僕の心を動揺させた。

他の誰にも感じない、恋人だからこそ感じる、浅ましい感情。




・・・・・・・・・・・・・・・・性欲。




一騎を肉体的対象で見たくはなかった。
そんなモノで見ている自分が許せなかった。
まるで心が無いように思えたからだ。

欲求に負けて、真実を無碍に扱っているようで嫌だった。
不潔だと人は感じるかもしれない。理性がそう深層で嘆いている気がした。


僕は、本物の愛の確証が欲しいだけだ。
綺麗なままでいい。繋がりを求めなくたって、真実には辿り着けるはずだ。

・・なのに、どうしてだ?




どうして欲しいと思ってしまう?







そんな繋がり、考えていなかったのに。
今在る幸せを 慈しむだけでいいのに。












確証さえ得られれば、胸に疼くこの感情は
無くなっていくのだろうか?




漠然とした不安を胸に抱きながら、
僕は一騎と 過ぎ行く時間の流れに 身を任せていた。








+++














コンコン。




静寂の中、ドアを揺らす賑やかなリズムが
部屋中に散漫して響いた。


この屋敷に今いるのは、僕と僕の恋人、ただ一人。
時計を見れば、夜中の12時過ぎだ。
いつもの彼なら このくらいの時間に就寝しているはずなのに。
不思議に思った僕は ゆっくりと椅子から立ち上がると 音がした方へ足を進めた。

僕は期末試験が近いということもあって、試験勉強も兼ねて 教科書を
改めて今読み直していた所だった。
まぁ、勉強は嫌いでも苦手でもない。苦にはならないので、
試験勉強に関わらず こうして教科書を読み耽る事は時々あるのだ。


兎にも角にも、ドアに立ち尽くしているであろう夜中の来訪者を
招き入れるため、そっと扉を開けてみるとーーーーーーーーー・・



そこには思わぬ姿の彼が佇んでいたのだった。





「か・・・・・かず、き・・・・」







ほんのり上気した薄紅色の頬に、少し乱れた浴衣、
濡れた髪と闇夜に浮かぶ 淡い栗色が月の光に照らされて
煌びやかに光っている。
どうやらお風呂上りのようだった。



どうしたんだ?


そう問いかけようとするも、声が口から出なかった。
声を失った人魚のように今 僕は立ち尽くしている。

そんな僕の想いに気付くはずもなく、一騎は陽気な声で
言葉を紡ぐのだった。



「ごめん総士。ドライヤー貸してくれないかな?
俺の壊れちゃったみたいなんだ・・」



普段と変わらない表情でそう言い切った一騎を前に
僕はぎこちない調子で”あ、あぁ・・・・・”と途切れ途切れに答えた。



「ちょっと待ってろ・・」





僕はそう言って、部屋の奥にあるタンスの引き出しを開けて
ドライヤーを取り出した。一騎は、動くことも無く、ドア付近におとなしく立ったままだ。
待たせては悪いと、すぐさまドライヤーを持って ドアにいる一騎へと近づけば
一騎の口から”へぇ〜”と驚きの声が上がった。



「どうした・・?」


感嘆な声に似た響きを散りばめていた一騎にドライヤーを手渡し、
訪ねてみると 一騎はにっこりと微笑んだ。



「俺の部屋、洋風だろ?なのに総士の部屋って和風なんだな・・!」



驚愕と関心が入り混じった声音を宙に溶かして、一騎が呟く。
小首を傾げるように取られた仕草は 独特の可愛さを漂わせていた。
鎖骨が浮き上がり 少しはだけた胸元が何とも妖艶に月光を受けていた。





ーーー・・ドクン、ドクン・・


 


堰を切って溢れ出す鼓動が、煩わしくて敵わない。




息を呑んで、呼吸を密かに整えた。




「・・・・屋敷の風体、室内、どこも洋風だからな。
せめて自分の部屋くらい和風にしようと思って・・自分で変えたんだ」 



出来るだけ平常心を保とうとした。
会話が途切れたら、不審がられる。
僕は必死になって 声を絞り出した。一騎に・・気付かれないようにと。




「そっかぁ。ーーな!ちょっと覘いてっていい?
俺もこんな感じの部屋に変えたいんだ。
参考程度に・・」




「あ、・・・・・あぁ・・・・・いい、けど・・」




「ほんと?ありがと総士」




その瞬間。 
嬉しそうに笑う一騎をみて、はっとした。

何やってるんだ僕は。
何で了解してしまったのだろう。



今の自分がどんなに危険か、一騎は気付いていないというのに。
・・・こんな時のために断る理由くらい、事前に考えておけばよかった。


激しい後悔の波に呑み込まれながら、僕は渋々と
一騎を室内に招き入れた。

ドアを閉める際、僕の横を風のように通り過ぎる一騎。
そのすれ違う刹那、一騎の甘い髪の匂いが再び鼻を掠めていく。





・・・・・・駄目だ、たまらない。






理性が負けそうになる。
しっかりしろ。




弱気になるな。






幾ら言い聞かせても、感情がついていかない。




僕はドアを閉めた途端、背後で声のする存在に
囚われていた。明らかに。
背筋に、冷たい汗が流れ落ちる。



動悸がより激しく、けたたましいほど 
僕の情欲を駆り立てる。
意識を、保つことがまず最優先だ。
自分のするべきことをしっかりと見据えた僕は、
自然に身体を一騎の方へと向けるのだった。


一騎はというと、辺りをキョロキョロ見回して
小動物のように 瞳を輝かせていた。



僕の室内は純和風を装った居心地のいい空間だ。
自分でいうのもなんだが、結構気に入っている。


室内に入るや否や、直ぐに畳みへと床は変わり、
部屋の隅には布団が折り畳んである。
窓の縁は木造で、日差し避けに簾を上からかけている。
夏なので風鈴も一緒に今の季節はつるしている。
季節を感じることは 僕自身割合好きだった。

窓付近にはちゃぶ台と座布団が置かれ、基本的に
ここで勉強している。勉強する環境には相応しくないと
思われがちだが、不思議とこのスタイルが落ち着く辺り、自分は日本人なのだと思う。

そして部屋の中心には 掘りごたつ式のテーブルと座る段差がある。
冬になるとコタツになるのだが、今は夏なので 段差の下からは熱気ではなく冷気が
送られるよう施してある。冷房も部屋にあるのだが、暑さを凌ぐのに
冷房よりもこちらのタイプを使って暑さを凌ぐ方が多い。

他にもレトロなタンスや母さんの写真が飾られている大きな写真立て、
掛け時計、日本画などが飾られており、
純和風の雰囲気を否応無く醸し出している部屋になっている。


一騎は凄い凄いと言葉を零して、部屋中を探索するように見ていた。
僕は何も喋らないと訝しがられると思い、一騎へ積極的に話を振った。




「一騎、・・今日は寝間着が浴衣なんだな・・・」



自然に、自然に。
声のトーンやアクセントに気をつけて言葉を紡ぐ。
一騎は僕の声に反応する様子で こちらに視線を傾けた。


胸が、・・・・・高鳴る。





綺麗に立つ一騎の 清浄な空気が部屋中を包み込むみたいだ。
型崩れしない浴衣のラインが薄っすらとした部屋に滲み浮くように華やいだ。
部屋の明かりは、ちゃぶ台近くのランプの明かりのみだった。
広げた教科書をゾンザイに映し、頼りなく揺らめいている。



一騎は薄暗闇の中、鮮やかに微笑んで言った。



「これさ、家庭科の授業で作ったんだ。せっかくだから
着てみようと思って。・・・・どうかな?」



裾を軽く持ち上げてゆっくりと一回りする一騎の仕草に
胸の動悸は治まるばかりか、加速していくだけで。




もう、・・・理性がどうだとか、欲望がどうだとか
考えられなくなっていて・・。








「・・・・・・・・・・・綺麗だ」






口から零れた僕の一言は、
君の心にどんな風に花開くのだろう。


ぼーっとする頭の中で、そんなことを何故か考えていた。






一騎は ・・・・小さく微笑んでいた。
頬を相変わらず、薄紅色に 染め上げながら。





不意に。
ちゃぶ台の教科書に視線を落とした一騎は はっと何かに気付いた様子で
こちらを見やったのだった。



「ご、ごめん総士!勉強中だったんだな・・・」



”おれ、気付かなくて。”
そう遅れて零した言葉と同時に 一騎は慌てた様子で部屋から
出ようとしていた。僕はいきなりこちらに向ってくる一騎に驚くと、
進路を塞がないように気をつけて 横に避けた。




その瞬間ーーーーー。




長い一騎の浴衣の裾を 僕がつま先で踏んでしまった。






「あっ・・・!!?」





声よりも早く、一騎の身体が前のめりに倒れていく。



僕はすかさず、自分の腕を差し出して 一騎を支えようと試みた。





シュルッ、と裾を引っ張った拍子に 結ばれていた帯が解け、
一騎の浴衣が大げさに乱れていく。



刹那の瞬間だというのに



鮮明に残るその残像は、スローモーションで
僕の瞳を惑わせた。




腕に倒れ掛かる重みが、火傷のように酷く熱い。
疼くような、痺れるような感覚が 身体中を駆け抜ける。




ドサッーーーーーー!!








大きな音を立てて静寂に響いた物音は、
僕の視界を、そして世界を欺く 茫漠とした空間を作り上げていたのだった。








「っ・・・・い、たた・・・・・・」





僕の片腕に納まる熱は肩を竦めて 僕の腕にしがみ付いていた。
眼傾に広がるのは うなじを露にさせただけでなく、背中の筋をもくっきりと魅せた
妖艶に輝く 一騎の肌であった。





「っーーーーーーーーーー・・!」




言葉が・・・・見つからない。






自分の不注意で全て引き起こした出来事だというのに。



こうして直ぐ傍で一騎を感じて 一騎に触れて、
歓喜している自分がいるーーーなんて・・・。




無造作に解けた黒い帯紐が少し遠くで所在無さ気に
横たわっている。


一騎に貸したドライヤーは、帯紐から少し離れた場所に
滑稽な姿で転がっていた。



僕は、ドクン、ドクンと鳴り止まない鼓動を耳の奥で聞きながらも
倒れこんだ一騎をゆっくりと納まった腕から起こした。




ドアを背に、互いに畳みの上に座り込んでいる僕らの格好は
人から見れば、可笑しかったに違いない。





「一騎・・・・・大丈夫か?」






視線を斜め下に落とせば、君は居た。
白い豊満な太ももと 細い腰がはだけた浴衣から見え隠れしていて、
目のやり場に正直困った。





「あ、・・・・・うん・・・・・大丈夫。総士は・・?」





「僕は平気だーーー・・ごめん、僕のせいだ・・」




「き・・気にしなくていいから・・・」




一騎をゆっくりと僕の正面に座らせると、
少し足を崩した形をとった一騎が揺らいだ瞳でこちらを覗いて来た。


その非情なまでに美しい瞳は 閉じ込めてしまいたい、と
思わせるほど危険な色を宿していた。



息を呑む、優美な存在に 瞳が放せない。
呼吸を忘れてしまう、自分がいる。


半ば半身裸の一騎は 胸元を咄嗟に隠すと
帯紐を焦った様子で探し始めていた。



「あ・・・あれ・・・何処いったんだ・・?」



自分の背後の少し遠くに帯紐が横たわっているのにも
気付かず、一騎は周囲をチラチラと眺め見ていた。


そんなソワソワと動く一騎が何だかとても可愛くて。
僕はフッ、と笑いを零して一騎を見つめた。




「な・・・・なん、だよ・・・・?」




突然笑われた事に機嫌を損ねたのか、一騎は
控えめな非難を僕に向けた。




「ごめんごめん。・・・お前があんまり可愛いから・・」




クスクスと次第に笑いは零れていく。
一騎はかっ、と僕の言葉に赤くなると 恥ずかしそうに
僕を一心に見上げて言った。




「か・・・可愛くなんて・・・ッ」



”ないぞ”


そう言おうとしていたに違いない。
だけど語尾を紡ぐ前に僕が口を塞いでしまったから
言葉は泡沫のように消えてしまった。






「っ、・・・・・・ん、ッ・・・・・」






一騎の唇に触れたのは、これで二度目だった。






一度目は、あの川の中で。
二度目は、僕の部屋で。



だけどあの時のキスと今のキスの意味は、大きく違っていた。







今しているのは・・・心が通い合っている、キス。
恋人たちが交わす、キスなのだ。





一方通行のキスではない。







「・・・ふ、っ・・・・・ン・・・っ」






触れるだけのキスでは いつの間にか足りなくなってる。




深いものへと仕掛けたのは僕の方。
でも、積極的に求めてくるのは君の方だった。





一騎は、いつの間にか僕の腕にしがみ付いて
キスに夢中になっている様子だった。


珠の肌が僕の視界を埋め尽くす。
キスの最中、薄っすらと瞳を開けて 目の前の恋人を
瞳に捕らえるのが 僕は好きだった。




「んっ・・・は、ッ・・・、・・・ン」




どうしようもなく焦がれる熱に囚われながら
僕はスルリと一騎の肩に引っかかる浴衣を畳みへと落とした。



「ッ・・・・・・、んぅ、っ・・・・!」



ビクッ、と瞬間強張った反応をした一騎が閉じていた瞳を開けて
唇を途端に離して来た。




浴衣を脱がされた上半身が露になり 戸惑った栗色が
僕に無言で訴えかけてくる。




「そう、し・・・っ・・・・あのっ・・・」



外気に触れた一騎の半身は この後何が起きるのか充分理解している様子で
小刻みに震えていた。−−−僕は一体何をしているんだろう。
意識の果てで自分を見下した。

一騎を不安にさせて、怖がらせて・・・どうして我慢できないんだ。
どうして欲望に勝てない?


自問自答を繰り返す。
自己嫌悪が胸を突いた。



僕は一騎から視線を逸らすと 一騎に低い声で呟いた。






「ごめん・・・こんなこと、どうして僕はーーーー・・」



顔が歪む。情けない。
・・・身体目的で付き合っているわけではないのに。


どうすれば、この恋が本物の愛情だと確信できるか
解からないんだ。



君と心から向き合ってみたけれど。
向き合えば、向き合うほど・・・君の全てが欲しくなって。



繋がることを欲するなんて。
なんて醜い心なんだと思った。



綺麗な形で愛せない 僕の心は、病んでいるのだろうか・・。







暫くの沈黙が続く。
一騎の答えはなかった。





僕はとりあえずこの事態をどうにかしないと
と焦り、一騎の顔から視線を外しつつ、畳に落ちた浴衣を
もう一度一騎に着せようと掴んだ。


するとーーーーーーーーーーーーーーー・・。






それを制するように細い腕が伸びてきて、
僕の手の甲の上に 僕より温かい少し小さな手が重ねられた。



僕は突然のことで驚いて、
思わず一騎へと顔を上げた。








一騎は  震えていた。




そして










・・・・・泣いていた。



















「ほんと・・・・・泣かせてばかりだな・・・僕は」
















真珠の涙がポタポタと畳を濡らしていった。







一騎は決して泣き虫ではない。



ただ僕が 泣かせてしまっているだけなんだと思う。









一騎はふるふる、と大きく首を振って僕の言葉を否定した。










「違う・・・!おれがっ・・・勝手に泣いてるんだ・・・ッ」





一騎は震えながらも僕の胸にコツリと額を当ててきた。
縋りつくように 僕の胸で震えている愛しい人は 
僕の鼓動に合わせて 涙を落としているようだった。









「総士・・・お願い・・・・・言って?」








聡明な瞳が 空を仰ぐように 僕を見上げる。











「ーーーーーーーー・・・総士は、おれが欲しい?」









いつかの涙よりも 鮮明に輝く その涙の理由が
どうしても知りたくて。













「・・・・・おれのこと、・・・・・・・・・・・貰ってくれる?」

















確証を、今・・・掴んだ。











相手の全てを欲するということは つまり







・・・相手を全て受け入れる、ということなんだ。












全て知りたい。
そう想う先に 繋がる感情の名はーーー・・・





























「−−−−−−−−・・欲しいよ」




































愛情だ。





































「お前が欲しい。・・・・・多分、ずっと前から、欲しかった」


















零れそうなほど 儚く輝く、その栗色の双眸も
























「総士・・・・」

















僕の名を呼ぶその声も





























「愛してるんだ。・・・やっとわかった」






















全部、独り占めしてしまいたかった・・・
























「そう、し・・・・・・・っ」












涙で頬を濡らす一騎が
酷く頼りなく見えた。







一騎が僕の首に腕を撒きつけてくる。


ギュッ、と絡みついた腕の弱弱しさに 胸が切なくなった。









軋むほど強く抱きしめ返してやれば、
嗚咽交じりに 君の言葉が耳を掠める。
















「やっと・・・・・届いたっ・・!」











まるで手の届かないモノを抱きしめるように
僕の肩越しに顔を埋める一騎の苦しみが 空中へ零れ落ちるようで
胸が痛くなった。

















「一騎・・・・・・・・」







名前を呼んで、その華奢な身体をゆっくりと畳へと倒していく。





君は涙を行く筋も流しながら、懸命に僕の瞳の色を
その滲んだ栗色に映していた。

















首に撒きついた細い腕が少しだけ引き締まる。






僕はそれを合図に 君の唇へ触れるような口づけを贈った。
君はされるがままに 瞳を閉じた。








そして唇を離したあと、そっと耳元で囁いてみせる。







































「君在りて・・・・・・・幸福」

























瞬間、閉じていた瞳が 目を瞠るように開いて


僕を見つめた。










僕は静かに微笑んで、言った。



























「お前がいるから・・オレは幸せなんだ。
生まれてきてくれて、ありがとう・・・・
出逢えたことに、ーーーーーー感謝する」







































「・・・・っ、・・・・・・・うん」




















顔をくしゃっ、と歪めた君は
涙を流し終えたあと、小さく僕に微笑んでくれた。













・・その微笑みは、僕の部屋に飾ってある、
虚像(レプリカ)の微笑みと似ていた。 








母さんじゃない、その人。
僕が心から愛した、一騎。










もう、虚像(レプリカ)の微笑みは僕には必要ない。











一騎がいるから。
いてくれるから。











もし











これが本物の愛じゃないなら













もう一生、愛なんて僕には必要ないだろう。
















最初で、最後の 愛情を





僕の全てを、君にあげるよ。










長い長い、口づけを交わした後






僕と一騎は初めて感じ合う快楽の海へと
身を投じたのだった。



















そんな僕らを温かく見守るように



























虚像(レプリカ)は







































僕に微笑む。





























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こんにちは!!!青井聖梨です!!!
ついに、長かったパラレル連載もここに終結です(笑)

付き合って下さった方に感謝いたします。
危うく裏に行きそうでしたが何とか踏み止まった次第です(爆)
如何だったでしょうか?とりあえず総士なりに本物の愛を見つけた感じで
終わりです。いやいや、ホント長い連載になりました。

これからもパラレル連載を書いていくつもりですので
そのときは宜しくお願い申し上げます。

それではこの辺で〜。


青井聖梨 2007・2・17