あの日の言葉が
今も胸に残っている
あの日の残像が
今も瞳に焼き付いている
総士・・
俺をひとりにしないでくれ
残像少年
〜ひとりぼっち〜
ーーコンコン。
静かに響き渡る音。
扉を叩くその人物は、遠見真矢だった。
「・・一騎くん・・?居るんでしょ?
食事持ってきたの。扉ーー開けてくれる?」
優しい真矢の問いかけに、室内の一騎は
反応を見せない。
真矢は暫く様子を伺うも、そのうち
居ても経ってもいられなくなり、”開けるよ?”とひとこと
断りを入れると、紙を取り出して暗証番号式のドアに
紙に書いてある番号を入力した。
すると、ピーッという音を立てて 扉が開いた。
部屋の中は漆黒の闇に包まれていた。
真矢は部屋に入るなり、電気のスイッチを探す。
しかし、暗くてよく見えないため、なかなかスイッチが見つからない。
仕方がないので、辛うじて見えた机の上にある電気スタンドの
スイッチを押してみる。すると、小さな明かりが部屋の内部に灯った。
小さい明かりだが、無いよりかは良いと思いながら、真矢は手に
持っていた食事を机に置くと、一騎の姿を探してみる。
「・・・一騎くん?−−居ないの・・・?」
真矢がそう問いかける。
返事はない。
そのときだ。ふと床に靴が脱ぎ捨てられている事に気づく。
真矢は驚いて小さな明かりを頼りに、目を凝らして脱ぎ捨てられた
靴の先を辿ってみるとーーー。
一騎がベッドの上に横たわっているのに気づいた。
「・・・・・一騎くん。」
真矢の声色が安堵と悲哀に満ちた声に変化する。
「また・・・この部屋に居たんだね。
ーーーーーー皆城くんの部屋に・・・。」
一騎は何も喋ろうとはしなかった。
「・・・・・・・・・」
「食事持ってきたの・・・良かったら、食べて?」
真矢はそう言うと、沈痛な表情で部屋を出ようと扉に近づいた。
すると背後から、先ほどまで何も喋ろうとはしなかった一騎が
ひとこと呟いた。
「−−・・・・・ありがとう。」
聴こえなければよかった。
その一言が。
そう思わずには居られなかった。
泣き出しそうに、なってしまうから。
真矢には、今の一騎が見ていられなかった。
総士が居なくなって、一年。
島に平和が訪れて、皆それぞれ幸せな日々を過ごしていた。
一騎を覗いてはーーー。
両目の激しい同化現象に蝕まれた一騎は、一時期は学校に行かず、
治療に専念していた。
そしてやっと少しずつ回復の兆しが見えてきて、両目もだんだんと視力が
元に戻ってきていると真矢は母親から話を受けていた。
最近はやっと学校にこれるほどに回復した。
しかしーーー。
心の傷は、あの日のままだった。
・・皆城総士が消えて、
島に戻ってきたのが一騎一人だったときのあの日と。
総士が居なくなってからの一騎は、真矢にとって見るに耐えなかった。
治療に専念していたときも、学校に来たときも、一騎は驚くほど
よく笑っていた。楽しいから笑っているのではない、そんなこと
真矢には分かっていた。一騎はきっと無理に笑っている。
皆を心配させないために。
それは真矢だけでなく一騎を取り巻く周囲の人々にも分かりきった事だった。
皆そんなことには気づいている。けれどどうしようもない。
苦しむ一騎を救えるのは、たった一人だけ。
そう、居なくなった彼、皆城総士だけなのだ。
一騎を救う事が出来ない周囲の人々は、ただただ一騎の精一杯の
笑顔に微笑み返してあげることしか頭に浮かばなかった。
ひたすら平静を装う一騎を見て見ぬふりをしてあげる事
しか出来なかった。
けれど真矢は違った。
もう、こんな一騎は見たくない。
このままじゃいけない。このままじゃ一騎がいつか壊れてしまうと。
真矢は意を決したように、部屋から出ようとした足を留めると、
一騎の横たわるベッドに向かって問いかけた。
「一騎君・・もうやめよう?−−−こんなこと。
もうやめようよ・・。」
消え入りそうな声で真矢がそう言う。
一騎は横たわっていたベッドから起き上がると、
「・・・何が?」
と小さく答えた。
「一騎くん・・皆城君が居なくなってから、よく笑うようになった・・。
みんな知ってるよ・・一騎君が無理してる事。だからもう
無理して笑わなくていいんだよ。−−みんな、ちゃんとわかってるから
一騎君の気持ち・・。このまま無理して笑ってたら、一騎君壊れちゃうよ。」
”無理して笑わなくていいんだよ”
誰もが思ったこと。でも決して、口には出せなかったこと。
口に出してしまうと、一騎の精一杯の気持ちを暴き出してしまうことになる。
一騎にとって、それは心の傷を指摘されている事と同じであった。
だから皆、一騎の心の傷に触れていいものかと躊躇って
なかなかその一言を言い出せなかったのである。
しかし、この瞬間 一騎の全てを受け止める覚悟と決心を持ち合わせた
少女、遠見真矢が今だ史彦でさえ出来なかったことを成し遂げたのだった。
真矢は心配そうな、でも悲痛な面持ちで一騎の言葉を待っていた。
すると長い沈黙の後、やっと一騎が口を開いた。
「・・・いいよ、壊れても。」
その一言は真矢を心底悲しませたのは、言うまでも無い。
「いいってーーー・・!!一騎君・・何、言ってるの・・・。
このままでいいって、・・・そういう事なの?」
「・・・・・うん。いいよ・・・このままで。壊れても、いいーーー。」
「−−−−!!どうしてっ・・・どうしてそんなこと!!
一騎君・・・今の一騎君を見たら 皆城君、悲しむよ きっと。」
「・・・・・・・」
「一騎君、ーー私知ってるよ・・。いつも学校の休み時間に一騎君が皆城君を
探してる事。−−こうして夜になると、いつも自分の家を抜け出して
皆城君の部屋に来てること。私だけじゃない。ほんとは皆知ってる。
・・知ってて何も言わないで居るんだよ・・・」
「・・・・・・」
「一騎君を傷つけないように、皆なりに考えてるんだよ・・・。
今もってきた食事だって、うちのお母さんが”きっと一騎君は
皆城君の部屋に居ると思うからっ”て、夜食作ってくれたんだよ?」
「・・・・・・・・・・・」
「皆心配してる・・。一騎君・・、一騎君がそんなんじゃ きっと皆城君も
悲しむよーーー、心配するよ・・だからーーー」
「やめてくれ。」
「ーーえっ・・?」
「もう、・・・聞きたくない。」
「かずき、くんーーーー?」
「もう・・・・何も聞きたくないんだ・・・。」
耳を塞いで、瞳をきつく閉じて、
震えるように蹲る。
そんな一騎を薄明かりの中、真矢は悲痛な想いで
眺めていた。
「ーーー・・・一騎君にはもう・・・ないの?」
悲痛な想いを胸に抱えながら、真矢は再び問いかけた。
今一騎に問いかける事を止めてしまえば、きっと
一騎は今のまま、壊れていくだけだから。
真矢はそう感じたのだった。
「失いたくないものは・・もうないの?」
泣き出しそうな声で真矢は必死に一騎へと言葉を紡いだ。
一騎の心に届くようにと。
「私はあるよ。・・・そんな風になる前の一騎君を、失いたくないもの。」
ありったけの想いを言葉にこめた。
どうか少しでも苦しむ一騎を、救う事が出来るように。
「俺は・・・・」
真矢の問いかけに、一騎は耳を塞いでいた手を取り、
閉じていた瞳を開いた。
そしてポツリと静寂の中、言葉を零した。
「・・俺にはもう、ーーーーないよ。」
静かな部屋に、響き渡る一騎の声。
「失いたくないものなんて・・・」
机の上の小さな明かりが一騎を照らす。
「もう・・・何も残ってないから。」
ベッドシーツからは、微かに総士の匂いがした。
+++
そう、今の俺には何も残っていない。
あるのは 果たされない約束ばかり。
夕暮れの小高い丘に、一人登ってみる。
もうすぐ日が、地平線の彼方に全て沈む。
辺りを赤に染め上げて、暮れていく日の光に
何故か胸が締め付けられた。
季節は夏を迎えていた。
いつの間にか、どこからともなく風が吹いて
俺の髪を揺らす。
俺はその風の優しさに、思わず瞳を閉じた。
すると耳の奥であいつの声が聴こえた。
瞳の奥であの日の光景が鮮明に蘇ってきた。
あの日の言葉が
今も胸に残っている。
あの日の残像が
今も瞳に焼き付いている。
・・今の俺は、あの日の残像をもう一度と
思い描くだけしかできない。
ひと時だって、忘れた事なんてなかった。
あの日の約束。
『来年の夏は・・・二人で来ようか?』
耳の奥で総士が俺にそっと呟く。
『今年は大勢で来たが・・来年は二人で来ないか?・・夏祭り。』
そう言って総士は俺の右手を握り締めた。
今もはっきりと覚えてる。
総士の左手の力強さ。手のひらの、温度。
『お前と・・二人で来たいんだ・・一騎。』
総士の少し照れた・・でも真剣な顔。
返事に詰まった俺が、言葉の代わりに
頷いて、手を握り返したときの、総士の表情。
・・眩しそうに俺を見つめて、微笑んでくれた。
覚えているよ、いつだって。
総士がくれた言葉。総士がくれた気持ち。
この一年間、忘れた事なんてない。
忘れるはずが、ない。
もうすぐ夏祭りが催される。
あの約束は、叶わない。
だって、お前が居ない・・。
『ーーー・・・一騎君にはもう・・・ないの?』
遠見の言葉が、頭を掠める。
『失いたくないものは・・もうないの?』
あるよ。いっぱいある。
本当は沢山あって、言い切れないんだ。
でも俺が失いたくないものの全てに
総士が関わっているんだ。
だからもう無いんだ。
無いって言うしかないんだよ。
あいつが居ないのに、失いたくないものを
確認したところで意味なんてないじゃないか。
そんなの、虚しいだけじゃないか。
”一騎。”
「!?」
瞬間、総士の声が聴こえた気がして、
一騎は思わず辺りを見回す。
けれど、どこを見渡しても少し背の高くなった草ばかり。
真下には町並みが広がっているだけ。
一騎は行き場を失った胸の奥から込み上げて来る切なさと、やるせなさを
空中へと吐き出した。
「総士!!−−居るんだろ?!ここにっ・・
ここに居るんだろーーーー!!!?」
想いは溢れて止まらなかった。
声に出してしまえば、もう何もかもが崩れていくと解かっていた。
一騎はどこまでも広がる空へと叫んだあと、
勢いよく走り出した。
小高い丘を下り、坂を下る。
そして自分の家へと凄い速さで向かっていった。
理由なんてなかった。
でも試したい事があったのだ。
勢いよく石階段を上り、鍵を開けて、家の中に入った。
茶の間にあがると、すぐさま隅に置いてある、
電話に手を伸ばす。
電話を掛ける相手は決まっている。
皆城総士の部屋だ。
電話を掛ける手が震える。
でも、もしかしたら。
総士の声が聴こえた、今なら。
そう思って、震える手もそのままに
一騎は掛ける手を止めようとはしなかった。
何時だったか、総士と約束した事があった。
電話に出るときの約束。
『それじゃあ、五回まで待ってくれ。』
どこからともなく、耳の奥で幻聴のように
聴こえてくる低い声。
『呼び出し音が五回なるまでに必ず出るから。』
あの時した、もう一つの約束が蘇る。
ーーーその瞬間、総士の部屋に電話が掛かった。
プルルルル・・・
一回
プルルルル・・・
二回
「総士っ・・・早く、出ろよっ・・」
プルルルル・・・
三回
「そう・・・しっーー!!」
プルルルル・・・
四回
「居るんだろーーっ・・?」
プルルルル・・・・
五回
『じゃあ六回目は?』
『六回目は待たなくていい。
居ないって事だからーーー。』
プルルルル・・・
ーーガチャン。
六回目の呼び出し音を聴いて、
電話を切った。
「っーー・・・嘘吐き・・・。」
五回の呼び出しで必ず出るって
言ったじゃないか。
居るくせに。
ほんとは居るくせに・・なんで出ないんだよ。
『もし、居るのに五回までに出なかったときは
罰としてーーーーー』
嘘吐き総士。
早く来いよ。
『一騎にキスしに行くよ。』
総士・・
俺をひとりにしないでくれ。
〜序章に戻る〜 NOVELに戻る 〜ふたりぼっちに進む〜
こんにちは。青井です。いや〜、驚きの暗さですよね。はは。
よくこの話を読んでくださいました!どうもありがとうございます。
一騎が無理して笑顔で皆に振舞うのは、最終回で最後、無理して遠見に
笑顔を作ったところから来ています。きっとあのまま一年を過ごしていった
んだろうな〜と感じました。依存してしまうほど大切な人を失って、平穏に
過ごせるわけが無いと思い、こんな壊れそうな一騎を書いてしまいました。
総士を”嘘吐き”と一騎が言っていますが、これは別に本心ではありませんよ。
ただ総士が居ない事を認めたくなかっただけです。事実を今も尚、受け止めきれず
苦しんでいる一騎に、皆さんはどうお感じでしょうか?
さて、次の話で終わりますよ。次はふたりぼっちです。
もう一度言いますがバッドエンドではないので、ご安心を。
それでは失礼しました〜。
2005.3.22. 青井聖梨